お寺ふぁん・続

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

神戸に遊ぶ 公館開放 相楽園つつじ インディア 神戸ポート

2018-04-29 20:08:40 | 

神戸に遊ぶ

 

 昭和の日、昭和生まれにとっては天皇誕生日です。 何の脈絡もなく神戸に遊びます。好天万歳!

 

 今日はお茶会があるようです。

 

 もう水が恋しいですね。

 

 相楽園に来る前に立ち寄り、兵庫県公館が開放されていました。

 

 

 初代県知事さま。

 

 4代さま。後の外務卿ですね。

 

 2代さまも3代さまも今とは違う風格です。2代さまは軍服?

 

 「兵庫県」という名称は無理があったのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 ふ~ のど乾き~  もっと安いのも見かけることもあるけど・・お安い口かな・・? 

 

 三宮よりさらに・・ 

 

 相楽園で山野草の花の展示をしていました。おばちゃんたちに大人気・・

 西洋系の大型鑑賞種より見甲斐がある気がします。 

 氷上で幟の出ていたクリンソウです。

 

 花あり。秋に紅葉を見せてくれた面々が新緑をまとっています。

 

 腹もへったし、よだれよだれ・・・

 

 

 ぐっとこらえて、屋内でインディアンランチです。 

 緑色のチャトニーソースの辛さがさわやかです。 

 

 

 

 ”5月の風にこいのぼ~り~ ♪”

 

 若い世代です。 

 

 なんの行列?

 インスタですかね? 列の次のメンバーに2~3ショットカメラマンお願いです。行儀いいんです。 

 

 

 わしら全然関係ない面々。 それにおいらも・・

 

 お昼からできあがり横丁。

 

 神戸もおもしろい・・・

 

 


白毫寺 九尺藤 無動山岩瀧寺 滝

2018-04-28 13:25:21 | 

白毫寺 九尺藤 無動山岩瀧寺 滝

 

 今年のGWが始まりました。

 好天ですね。・・・あまり”渋滞”ということを感じさせない・・ということで出かけてみましょう。

 

 観光バスがやってくるスポットになったんですね。

 

 

 

 知らない女の子を撮っても・・とも思うんですが・・写真屋さんたち萌えてますね・・

 

 う~ 知らない間にシャクナゲも・・・ もう随身院なんかも終わりだよね・・・

 

 ・・時の流れというのは残酷なものです。つい先刻まで栄華・美貌を誇ったんです・・・

 

 気になります。ここの池の水はクリスタルグラスのように澄み渡っていたと思うんですが・・・

 

 もう一点気にかかる点。遠景の伐採、城跡じゃね~の? 情報知りた~い!

 

 昨年は雨、この七福神さんたちも泣き顔だったけど、今年は笑顔ですね。

 

 やはり”織田さん”ですね。 神池寺というお寺さんも出てきました。

 

 

 ほぼ裏という地に移動します。 ”失礼な、こちらこそ表じゃ” ということもあるかも・・

 

 

 一定の水量があれば滝になるのは必然です。断層崖になっています。

 

 

 聖なる地・・み仏の導きによるものなのでしょうね。 中には像が祀られ水の滴りが音楽を奏でます。

 断層は透水層、断層粘土が洗われていき、風化も手伝って洞窟が形成されます。・・そんなことより仏の仕業と考えるのがいいですね。

 

 こんな急勾配が山中の経路であり、分岐があります。

 

 そこから見た不動堂。

 

 渓流には渓流魚がいます。しかし、濁りが気にかかります。白毫寺の池も薄く濁っていました。

 ・・どうやら水害があったようです。そしてそれはまだ完全には癒えていないようです。(まだ復旧工事中)

 

 

 

 しかし、はらへりました・・・(××;)

 ”牛やさん”に寄ります。

 

 

 

 

 丹波は深い地です。

 


荒陵山四天王寺 聖徳太子 精霊会 舞楽 

2018-04-23 20:20:34 | 雅楽(舞楽)

 21日(土)山登りをしました。

 

 八重ですが、山はまだ桜です。

 

 天気上々、スコア“もう来んな!”レベルで心身ともに激落ち込みです。

 よって、22日は家で静養というところなんですが、聖徳太子のご命日だそうです。

 

 太子は伝承があまりにも聡明であり、架空人物であるとか、“聖”も“徳”もいわゆる佳字であり、こういう諡号を受ける人というのはやはりそれに相応しい事績を残したか・・・暗殺されて怨霊を封じ込めるまじないみたいなものということを聞いたことがありますが、・・・研究はどう進んでいるんですかね。

 

 何はともあれ、ご命日です。日本最初の官寺と言われる四天王寺で催される法要を見学、いや、見物が正解ですね。行ってきました。精霊会というそうです。

 

 聖徳太子の身内ではないので、ただただぼさーっと見ています。

 〇年忌というような法事に雅楽が組み込まれています。お目当ては当然これです。

 

 

 では、いきなり。

 

 紅い丸飾りが舞台の四隅に建てられています。

 極楽浄土に咲く花、曼殊沙華を象っているそうです。現世ではヒガンバナを当てますがさ~実際はどんな花なんでしょう?

 

 ここで舞楽が演じられていきます。

 

【振鉾(えんぶ)】

 舞台の清め的に舞われるそうです。 ・・・にしても、松の木、結構じゃまなんですよね・・

 

【蘇利古】

 

【打球楽】

 

 「伝供(てんぐ)」という行事があります。顔見せ興行みたいなものですかね? 以降の行事の出演者が手渡し(リレー)で供物を捧げます。

 ともに西域面でしょうね。

 

 

 童舞の番舞

【迦陵頻】(左方)と【胡蝶】(右方)

 

 

 

 

【太平楽】

 最も見たかった舞です。4人で舞います。

 武将抜刀、これを合図に篝が焚かれます。

 まだ明るいけど、昔、もっと長くやってたときの名残らしいです。

 

 

 

【蘭陵王】

 

三軍叱咤

 

 

 

 こどもってどこの国の子も似たようなことするんだね。きっとお母さんに叱られてるんだろうな~ “ナニヤッテルノ テガヨゴレルデショウ(><)”

 

 

 篝火が小さくなりました。 陽が傾きます。

 下がって行きます。終了です。

  背景楽器は鼉太鼓(だだいこ)、太陽と月があるようです。見た目も音もインパクト大きかったです。

 

 蘭陵王の目と鬼瓦の目は同じ手法ですね。”穴” です。

 

 感動。舞楽をこれほどまとまって見られること、まして撮影できることはありません。

 特に、太平楽は長編、大型、装束の準備も大変ということで滅多に見られるものではないと聞いたことがあります。

 体的にしんどいお出かけでしたが、今年を逃すと来年の4月22日は月曜、次に土日にかかるまで暫く見られません。貴重でした。

 帰路に就きます。

 

  塔は工事中。

 

 以前来たときには転法輪に気づきませんでした。

 

 お寺の鳥居も気になりませんでした。まだまだ、いろいろありますね。

 

 舞楽、めちゃ撮りした分があるんで、自己満足の固まりとしてスライドショーにしてみましょうかね~

 


れんげ草 薫風 利生山興法寺

2018-04-19 20:21:38 | 

 風がさわやかです。

 こういう感じを緑風とか薫風とかいうんですかね。

 雨があったせいか、花粉、黄砂なんかも気にならないレベルです。

 

 ・・病気かも・・・

 こうなると・・じっとしてられないんですね。意識はしてないんですが、放浪癖があるかも、と・・ 齢行ったら 放浪⇒徘徊 にならないか心配!

 

 ・・っと、小1時間もあるとメシついでにチャリ出してみます。

 

 田んぼに蓮華草が咲いています。(今西家付近)

 蓮華草ってのどかな感じします・・って、あまりしない・・・れんげ草と書けばいいのかな?

 

 

 チェーンのうどん屋さんが見えました。

 ん? その手前に長崎ちゃんぽんがあります。今日はここだな。

 

 最初の思いどおりちゃんぽん注文。

 

 素人かな? そう思うくらい。野菜の芯まで炒まっていない、スープも油浮きがなく頼りないくらいの塩気・・ それがいいんですね(^^) 気に入り気に入り!

 ランチやその他料理もかなりのボリュームです。

 ほんとはそっちに行きたいんですが、・・基礎代謝低いし・・運動してないし・・貯金は貯まらんけど、体にばかり貯金しちゃアカン言われるし・・ とほほですわ(;´д`)

 

 風を感じながら少々大回りで帰ります。

 緑陰があって少し汗ばむ程度で済みます。

 豊中は大きく見るとひらぺったな土地なんですが、部分で見ると結構な起伏があるんですよね・・大阪のベッドタウンとして新しい住宅の密集がある一方、昔からの村落、お屋敷を残しています。

 

 

 いかにも大店という感じです。

 

 

 いい雰囲気の通りです。電柱が無ければもっと・・

 

 

 池に出ました。ごつごつしてるのは・・・亀さんですね。アカミミ?

 

 

 お寺が見えます。枝はさくら、先週か、今年はもっと前、いい風景だったろうな・・

 行ってみましょう。

 

 お寺さんは利生山興法寺とある。立派な門構え、武家屋敷に見えます。

 

 ん・・! ちょっと険しいことが書いてありますね。

 

 超大雑把にでたらめ縮約してみます。

“法然上人が神崎に立ち寄った際、現在の尼崎市今福の一郷守護をしていた源経基の子孫が教化を受けて歓喜、一宇を建て、その翌年お礼に上洛した。上人により御法を興した法師として興法寺という号を賜った。”

 

 ここからが「ん!」ですね。

“その後天正二年顕如上人が法敵信長と合戦した際、顕如に加勢したため、信長激オコ、軍勢を差し向けてきた。当主父甲冑を帯びて勇戦したものの利あらず戦死敗退、堂宇も焼かれた。”

 

 ここにも信長の影があるんですね。豊中は今西家といい、反織田地域だったようですね。 

 碑文は、“顕如と信長の和約がなり、落ち着いてきたので堂宇を再建でき、今につながる。”と続きます。

 

 いつの世であっても武力の行使が当たり前という時代ってほんと恐ろしいです。 

 

 

 

因みに 「源経基」

 源氏に二十一流が知られますが、著しく栄えた清和源氏の祖らしいです。

 頼朝も義経も、足利氏も武田氏も清和源氏、その他有名人物多数。

 清和源氏は清和天皇の皇子、後の陽成天皇の弟皇子からの流れとされていますが、実際は陽成天皇からの流れとする説もあるそうです。

 なにせ正確な戸籍のない時代ですから言ったもん勝ちで通じたんでしょう。

 ま~実質の大きな違いないから・・と立証されたとしても 清和源氏→陽成源氏 の言い換えは起きないだろうとも(現に陽成源氏もある。)。

 天皇の名前は諡号・追号、要するに生前のお姿に応じて贈るもののようです。

 「陽成」の“陽”は、隋の煬帝の“煬”に通じるところがあり、必ずしも良い意味ではないと聞いたことがあります。

 事実か冤罪かは別として陽成天皇には暴君だったという説があり、清和源氏一族が“祖”であることを嫌ったのでは・・? ということらしいです。

 


陽春 煬春 黄砂

2018-04-17 06:46:43 | 日記

 すっきり青空、新緑です。

 ”煬春” という言葉はないだろうな・・と思います。

 ”煬”は隋の皇帝煬帝の煬、苛烈というか激烈というか”火”偏が示すように燃え盛るような激しさ的な意味があるようですね。

 あまり肯定的な語ではないようです。身内殺しの皇帝さまですしね・・・

 

 この後すぐ、箕面の山から霞が吹き下りてきました。

 春霞といったのどかなものではないですね。"煬"です。

 非常に激しかった福岡の黄砂、PM2.5を思い出します。

 

 ・・・春霞は古からあるようですが、最近のって100%自然現象と言えるんですかね・・?

 青い空が欲しい〜!