旧日本海軍の戦艦「比叡」が発見されたとのニュースを見た。
何を今更・・という気も勿論あるが、ロマンには違いない。随分南の海に沈んだんだね。
日本軍は、南太平洋の楽園ニューカレドニア、フィジー、サモア方面への作戦を企図したが、“なぜか?”のズバリの答がこの地図かな。
連合軍の反攻拠点はオーストラリアであると見込み、米豪連絡線を遮断しておく。
その上でオーストラリア占領もあり得るという壮大な作戦だ。
太平洋戦争において、日本軍の緒戦は予想以上に順調に推移した。
そのため、第二段の作戦が計画されたが、緒戦の順調はとりもなおさず準備不足での第二段作戦への突入を意味していた。各作戦の整合性が取れていないのである。
当時有力な空母機動部隊を保有・運用できるのは日本とアメリカだけであり、日本の優位ははっきりと見えていた。それが油断であり、驕りとなっていく。
実戦を経験することにより、幾多の問題点が顕在化されたにも関わらず、結果オーライでスルーされたままミッドウェー作戦を決行した結果、海上兵力は致命的な損失を被ることとなった。
南太平洋で展開する作戦の戦闘力も大きく損なわれたのである。
地図を見ると島伝いソロモン諸島の南端付近に後に「餓島」と呼ばれることとなるガダルカナル島があり、日本軍はここに飛行場適地を見つけて設置を開始した。
この時点でこの島の重要性を強く意識したのは、基地設営を行っている日本軍ではなく、米軍の方であった。
喉元に突きつけられるナイフとなるこの島は脅威である。逆に奪えば絶好の反攻拠点とできる。
日本軍は、”そのうちにここへも(米軍が)来るやろな~” 程度ののんびりしたものであったに違いないと思う。工兵隊、要するに工事部隊だけがほとんど裸状態で設営工事を行っていた。
ツルハシとモッコというスタイルだから当然進捗は遅い。
1期工事ほぼ終了、そこに米軍が大挙上陸してきた。日本軍守備隊(ほとんど工兵)は、備蓄していた糧食さえ運搬することもできずに退避せざるを得ない状況になった。
敵のために飛行場を用意したことになる。
ここから日米両軍による陸海空の血みどろの島(飛行場)の奪い合い攻防が始まる。
強行偵察程度だろうと情勢判断を甘く見た日本軍に救われた向きも指摘されるが、物量を擁する米軍でも決して楽な戦いではなかった。
ただ、持てる国アメリカは、輸送船への攻撃を重視し、貧しい国日本は戦闘艦艇への攻撃を優先した。
米軍は大した被害を受けず揚陸された兵員、資器材、重機などにより、飛行場を整備拡充、着々と戦力を強化していった。
米軍は昼間悠々と輸送船から揚陸、日本軍は夜間こそこそと貨物収容力のない駆逐艦や潜水艦でほそぼそと補給。
奪回を図る日本軍は、一度成功している飛行場に対する戦艦の夜間艦砲射撃を再度行い、飛行機の発着を不能にして直後に大規模揚陸を行う作戦を立てる。
米軍は当然阻止するということで生起した海戦が第三次ソロモン開戦であり、you tubeでも再現映像が見られる。
このときの飛行場砲撃担当が戦艦比叡と霧島の姉妹艦である。
両軍大艦隊同士の混戦の中で比叡は被弾、舵機故障で自由が効かず、夜が明けて機能を失っていない飛行場からも含めさらなる猛攻を受ける。
救援またはそれが困難な場合の処分のため派遣された日本軍艦艇が漂流海域に至ったときには艦影が失われていた。
つまり誰にも看取られずに沈んだ戦艦が比叡であり、今回の発見記事となっているものである。
過去の戦闘記録を追うことは、別に戦争にこだわるものではなく、会社などの組織運営に役立つものなので有用だと思う。
しかし、新たな戦闘記録を残すことになるのは・・避けないとね。
【戦艦比叡】
比叡の同級と言われるのは、霧島、榛名、金剛の計4隻。
大正生まれであり、太平洋戦争時には既に”おばあちゃん”であるが、改装により近代化されていた。
12隻あった戦艦のうち、その優速性から活躍の場を得たのはこの級だけというのは過言でなく、それ故喪失も早かった。
2日後には霧島も喪失艦となった。