女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

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そして動物を愛する人です。
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ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

「遅い人」映画

2012-04-12 | 日記
脳性マヒの殺人鬼 — 『おそいひと』主演・住田雅清インタビュー
昨年から今年にかけ、数多の海外映画祭で注目を浴びた映画『おそいひと』が、この度、ようやく国内で公開される運びとなったという。『おそいひと』は実際に脳性マヒを持つ重度の障害者・住田雅清が、本名と同じ役で「脳性マヒの連続殺人鬼」という難役に挑んだ作品である。2004年、東京の映画祭でプレミア上映されたが、「障害者に対する偏見や誤解を与える」、「差別を助長する」といった様々な批判が集中した。そして国内での配給が一向に決まらぬまま、作品は黙殺されるように、お蔵入りしたという。しかしそれ以後、同作品が海外の映画祭で話題を集めると、日本にも再び話題が飛び火、言わば逆輸入される形で、ついに国内の一般上映が開始されたのである。以下は『おそいひと』にて映画初主演(初出演)を果たした、俳優・住田雅清へのインタビューである(写真は映画『おそいひと』より)。

今回のインタビューはもともと新刊雑誌「Modern Freaks Vol.1(ワイレア出版)」誌上にて実施されたものである。現在、住田氏は作中の主人公同様、電動車椅子とトークエイド(キーボードを通じて音声を発する機器)を使って生活している。その為、インタビューは、住田氏とのファックスによる往復書簡という形で実現した。
映画出演へのきっかけ

── 映画『おそいひと』で主演を務められた住田さんですが、普段はどのようなお仕事をなさってるんですか?(写真は映画『おそいひと』より)

住田 「阪神障害者解放センター」という障害者運動団体で働いています。

── 阪神障害者解放センターとはどのような活動を行ってる団体なんでしょうか。

住田 阪神障害者解放センターは、障害者の自立と差別からの解放を目指し、日夜活動している団体です。代表の福永さんを中心に仲間の障害者や支援者が協力して、平成元年に実質的に創立され、十九年、活動を続けています。今は、障害者の小規模作業所「きんとーん作業所」とヘルパー(介護者)派遣を行なう特定非営利法人「障害者生活支援センター遊び雲」の運営を行なっています。

 きんとーん作業所は障害者の社会参加と働く場として、簡単なアクセサリー作り、作業所併設の小さな喫茶店の経営、地域でのお祭りの時には出店をしたり、メンバーの絵画展などをやっています。私も花の写真展を一年前にしました。

 遊び雲はヘルパーを派遣し障害者の生活支援を行なっています。設立当初は障害者の家庭訪問をしていました。養護学校の同窓会名簿を手に一軒一軒と訪ね歩きました。そのときは親が三十歳とかの成人の障害者を抱え込んでいる姿を目の前にして、現実の厳しさに同行の職員と溜め息ばかりついていました。その体験をもとに行政との交渉をやり続け、今の障害者介護などの制度を作らせてきました。でも、障害者自立支援法によって、障害者がその制度を使いづらくしています。そのために、自立支援法の反対運動を今も継続しています。この十九年間、以上のような活動を続けています。四年前、C型肝炎になってから体力も衰え、あまり派手な活動はしていませんが、今も活動は続けています。

── 住田さんが映画『おそいひと』に出演されたのはどういった経緯だったんでしょうか?

住田 さきほど話した、きんとーん作業所に仲悟志さんという大阪芸術大学の卒業生が元職員としていて、彼から「大阪芸術大学出身で、映画を作ろうとしている男がいるから協力してくれないか」と言われたのが、映画出演のきっかけでした。

── 『おそいひと』では「障害者による連続殺人」という衝撃的な内容が描かれていますが、住田さんが初めてこのストーリーを聞かされたときの率直な感想を教えてください。

住田 撮影時は、まったくストーリーを知りませんでした。撮影するそのときそのとき、柴田監督がセリフや演技を指示するというやり方でした。

障害者の実像はそんなに美しくない

── ではストーリーはいつ頃知ったんですか。(写真は映画『おそいひと』より)

住田 ストーリーを知ったのは、映画が完成して見せてくれたときでした。ストーリーについては、今までの障害者が出ている映画はドキュメンタリーも含めて、お涙ちょうだいか頑張る障害者像を描いている映画ばかりで、私はそういう描き方にすごく違和感と反発を感じていました。実際の障害者の実像はそんなに美しくないし、ドロドロしたものだから、連続殺人は極端かもしれませんが、障害者の中にも頑張らない者もいるし、大酒飲みもスケベエもいるし、詐欺師も泥棒もいます。そのことをこの映画は連続殺人という極端な表現で描いていると思います。

── ストーリーが分からないままでの演技は大変だったと思いますが、撮影中はどのような気持ちで演じられていたんでしょうか。

住田 私は柴田監督の実験台だと思っていました。たとえ、この作品が失敗してお蔵入りになってもいいと。柴田監督の大成への踏み台になればいいと腹を決めていました。だからストーリーがわからなくても、監督の指示をできるだけ忠実にやれるようにしていく、それだけを集中して動いていました。俳優として素人の私ができるのはそれだけです。

── 撮影中、不安や心配はありませんでしたか。

住田 ありません。監督を信頼して演じていました。彼の大成のために協力しているということを内心決めていましたからね。

── 住田さんの役は、まず住田さんと同様の障害を持ち、介護の女性に好意を抱き、拒否されたことをきっかけに、連続殺人鬼へ変貌するという難役でした。実際に演じてみた感想は?

住田 正直に言って、あまり気分のいいものではありませんでした。後味の悪い、変な気分になりました。実際に戦争などで人を殺す人たちのことを思うと、吐き気がしてきて、人を殺すことだけはしたくないと思いました。

自分の中のドロドロしたもの
── 撮影は住田さんのご自宅で行なわれたそうですが。

住田 自宅の一階の一部屋はまるでスタジオのようで、ケバケバしいカーテン、多くの時計、派手な飾り、そこら辺にフィギュアがところ狭しと置いてあって、普段は地味な部屋がまるでカーニバルのような感じでした。撮影するときはその部屋は撮影隊に占領されて、私は台所に行って小さくなって食事をしていました。一度、目をキラキラ輝かせた子どもたちが自宅にやってきて、監督やカメラマンに興味深く質問していたことが印象に残っています。

── 撮影時に苦労はなかったんでしょうか。

住田 冬で雨の中を撮影するんだもの。カメラマンとの出会いのシーン(劇中、住田氏が演じる殺人犯がカメラマンと出会う)。あのときも数時間かかりました。寒くて寒くて死にそうだった。また、夜から夜中の四時まで、大阪の埠頭の倉庫の中での撮影。しかもそれが三回くらいあったかなぁ……。翌日、仕事もあるし、眠たいし、このときだけは「助けてくれ!」と叫びたかった。でもそのときも文句は言わなかった。撮影は重労働でした。冗談で「ギャラ一千万円くらい欲しいよ」と言いました。もちろんノーギャラでやりました。

── 『おそいひと』にご出演される以前に、映画もしくは舞台などへの出演経験はあるんでしょうか。

住田 大阪にある障害者だけの劇団「態変」でエキストラとして三回出演しました。

── 映画に出演されるにあたって、演技の参考にした人物やキャラクター、もしくは映画などはありますか。

住田 特にありません。自分の中のドロドロしたものを引き出したオリジナルです。あとは監督の指示通りに演じただけです。

お涙ちょうだいや頑張る障害者を描くのは嫌

── 柴田監督が演出される際、住田さんから演技について提案されたり、アイディアを出されたりしたこともあったんですか。(写真は映画『おそいひと』より)

住田 演出に関しては口出しをしませんでした。でも、あくまで障害者としてどのような映画を創ってほしいかという希望は話しました。お涙ちょうだいや頑張る障害者を描くのは嫌だとか、あまり殺人だけを強調して中身のない映画ならやめてくれとか、本当の障害者像に近い映画にしてほしいとか、無理難題を話しました。

── 柴田監督の演出はいかがでしたか。

住田 すごくこだわりを感じました。例えば、川の土手を電動車椅子とカメラが並びながら走るシーン。三秒ほどのシーンですが、撮影は夜の八時から夜中の二時までかかりました。そのようなことが何回もありました。本当のプロ根性を見た思いがしました。将来はすごい監督になる人だと思います。

── 完成した作品をご覧になっていかがでしたか。

住田 まず、カメラワークの素晴らしさに感動しました。でもストーリーとしては腰が抜けるほど驚きました。この映画が世の中に出たら、大問題になるかもしれない。そうなればどうしようと思いました。しかし、これほどのインパクトがある映画ならば、支持する人も多くいるかもしれない。それに前半は障害者と健常者の人間的な関係もちゃんと描けているし、私の演技は別として、優れた映画であり、映画史上に残る映画ではないかなぁと思いました。

総理大臣や厚生労働大臣に見てもらいたい
── 『おそいひと』は海外十四カ国、十七の映画祭で上映されたと聞いています。住田さんご自身もオランダ・ロッテルダム映画祭へ参加されたそうですが、海外の映画ファンの反応はいかがでしたか。

住田 ロッテルダム映画祭では、上映されたホールがほぼ満席で、誰も途中退席せずに最後まで観てくれたから、ちゃんとした映画として認めてくれていると感じました。また、韓国の映画祭を主催したスタッフが来日されたとき、私に「感動しました。大変素晴らしい演技でした」と言われてサインを求められました。海外では高い評価を得ていると聞いています。

── 仕事の同僚の方や介護者の方は今作をどのように評価されていますか。

住田 全体的に、前半は私のありのままの姿が出ていて、後半は演じていて怖い感じが出ていたという感想でした。ある介護者は「女子学生と私が電動車椅子で遊んでいるシーンを観ていたら、胸がキュンとなって切なくなった」と言われました。悲恋や失恋ばかり繰り返している私をダブらせて、そう思ったのでしょう。一方で「前半と後半の必然性がない」という批判もありました。それでもカメラワークのよさに関しては共通していました。

── それでは最後に、今回の映画をどのような人に観てもらいたいと思いますか。

住田 まずは、収容施設にいる障害者。施設から外に出て自立生活したら、こんな面白いことができるんだよ、ということを知らせてあげたい。

 それと、障害者とまったく関係がないところにいる人たちにも観てもらいたい。そして総理大臣・厚生労働大臣・国会議員・国の官僚などにも見てもらいたい。同席して、一緒に映画を観て、最後にニッコリ微笑みながら「お帰りの際は気をつけてください。障害者を怒らせたら怖いですよ」と言いたいね。


住田雅清(Masakiyo Sumida) プロフィール
昭和32年4月11日生まれ。兵庫県西宮市出身。趣味=花や自然の写真の撮影・読書。西宮市に拠点を置く「阪神障害者解放センター」事務局長、NPO法人・障害者生活支援センター「遊び雲」副代表を兼任するかたわら、障害者だけの劇団「態変」のエキストラとして過去4回の公演に出演。12月より公開の映画『おそいひと』の主演俳優。

- 住田雅清公式サイト『スミダーのページ』
映画『おそいひと』(2004年/日本)
■監督 柴田剛 出演 住田雅清、堀田直蔵、とりいまり他
■公式ホームページ  - 映画『おそいひと』公式サイト
■東京「ポレポレ東中野」(tel.03-3371-0088)にてレイトショー公開中。

■【ストーリー】重度の障害者である住田(住田雅清)は介護者のサポートを受けて一人暮らしをしている。住田の理解者でもあるバンドマンのタケ(堀田直蔵)とつるみながら、平穏な日々を過ごしていた。 ある日、住田のもとに大学の卒業論文のために介護を経験したいという敦子(とりいまり)が現われる。そんな経験は何度もしているはずの住田の中で、自身にも整理しきれない違和がうごめき始める。そして、住田はある一つの決心をするのだが……すべては血塗られた結末へと加速度的に収束されていく。

■【住田・舞台挨拶より】「障害者が殺人鬼として登場するから、障害者差別を助長する」と感じる方たちもおられるでしょう。日本の映画で今まで殺人を扱った作品は無数にあると思います。この「おそいひと」はその一つに過ぎません。障害者というだけで、過激な表現が暗黙の了解のもとに制約されてきた日本映画界において、障害者が常軌を逸した人物として登場するこの映画は、強いメッセージを持ち、且つ優れた文化作品だと誇りを持って言えます。」

☆日本の映画では、タブーされた障害者差別につながるものですが、みてみたいです?!

人嫌い(朴正子)

2012-04-12 | 日記
職安の面接官に、私はこういった。
「仕事は、選ばないけど、人に接しない仕事がいいんだけど?!」

「そんな仕事はないと思うけど、掃除とかかなあ。」

私は仕事をしたくて仕方がなかったが、今までの人間関係でうんざりしていた。
人が人を、貶めたり、だましたり、いろんなことでうんざりしていた。

そんな私が、ある日ひょんなことから、仕事を見つけた。
「一人でやる仕事で、だれにも会わない仕事です?!」

そういうわけで、電話して、面接してしごとをはじめた。

ビルの一室で、電話だけを使い、アポとりのしごとだった。
一人で、黙々と人には合わないので、楽にしごとができた。
私は、不思議な人で、電話などではひとみしりがない、実際会うのは苦手なくせに。

どんなにおこられても、電話を切ればさようならという、こちらの都合のいいしごとだった。
もちろん、コツコツするうちに、こつをつかんで、アポが取れるようになった。

ひとりでさみしくはなく、一人でいろんなことをかんがえて、住所と電話番号が書いてある紙をひたすら、電話して営業した。

時給は安くも高くもない、まあ一人でやるので楽であった。
私には、最適で楽しい仕事であった。

でも、人嫌いな私は、アポはとれても、そこには絶対に、営業に行きたくはなかった。
それは、極端にあがり、失敗するのは目に見えているからだった。

それから一番のコンプレックスが、顔にあったからだ。
私の顔は、半分ほど、あかいあざがうすくあった。
だから、いつも厚化粧をしていたが、それが取れると、本当に嫌だった。

顔は、隠すわけにもいかないので、この赤いあざが取れるように、整形をかんがえたりしたが、それにも、ためらいがあった。

人は、何を見て、どうおもうのか?
意外と、そんな自分が気にしているほどに、気にしていないものだとも知っていた。

コンプレックスもあり、一人で部屋で黙々と電話をする仕事が好きだった。
人間には誰でも、いろんな理由でこの苦しい状態があるはずで、顔以外にも、人はコンプレックスをもって、いきるのに、自分はどうして、ダメ人間だろうとおもった。

誰かが、見た目ばかりこだわる人が、差別したとしても、平気で入れる人間になりたかった。

人前に出られるなら、もっと性格もおおらかで、やさしいひとだったのに、暗くって、いじわるなじぶんに、あきあきしていた。

人の欠点がわたしの、すべてのやすらぎだった。
その人のいいところが見えないで、悪いところばかり探す意地悪な人間になっていた。

そもそも、人間は不完全で未熟で、すべては欠点ばかりで、みんな悩んでいるのに、自分だけ不幸の塊のように感じていた。

それは間違いであることに気が付いた時があった。

その話は、のちにしようと思う。

セックス依存症の人へ?!

2012-04-12 | 日記
私は幸い、依存症ではなかったのですが、若い時はそんなことを毎日しているときもありました。しかし、快楽は癖になるものではなく、愛情の一つととらえるようになり。

遊んでいる人々の本当の気持ちがわからない、バカでした。
それが、さみしさへの代償であり、ひと時の快楽が薬なんだと最近しりました。

男性がいなくては、さびしくていきてはいけない。
これは、男性の思いのままに、遊ばれる危険性があります。
本来、人間は、さみしい時にも順応できる強い意志があります。

我慢していきていくものなのです。
男性がほしいから、体を簡単に許してゆく、それは危険なのです。

そういう、我慢ができない女の人は、たぶんとんでもない罪をおかしたりします。
覚せい剤、窃盗罪、はては殺人です。

この町では、覚せい剤なんかは、手に入るのです。
だから、覚せい剤中毒や、売春で肝炎をわずらう、若い女子がたくさんいます。

そのうちに、やめれないのは、我慢できないでしてしまった薬や、男との関係です。

私もえらいことは言えませんが、男なしでも生きていける勇気と、さみしさを克服する意志をもつことをおすすめします。

男は、わるいひとばかりではないのですが、男性関係の多い女性を愛する人は、あまりいません。少しでも幸せになりたいなら、好きな人だけの、女になることです。

我慢できないなら、昇華するようにして、素敵な女性になることをおすすめします。

決して、遊びで体を許したら、恐ろしいことにいつかは、なります。

将来はおなかの減らない人間を作ってほしいわ?!

2012-04-12 | 日記
人間が、食糧を入れて、動くわけだけど、人間だけはめんどくさい生き物。
ペットのように、同じものを食べるわけにもいかないし、好き嫌いが激しい。

そして、一番困るのが、排泄物の多さと、臭さ、それゆえに、人間も充電式にして、エコにしたらどうなんだろうか、ロボットのようで、不気味ではあるが、簡単でいい。

今日の献立を考えることもないし、トイレにもいかなくてもいい。
しかし、そんな将来はいらないと思うだろう。

人間は、食べることも楽しみの一つで、食文化が、産業の一つだから。
おいしいものを食べれなくなったら、人間をやめるひとがでそうだから。

介護の問題で、一番は、排せつ問題、においを軽減する薬はあるのだが、それ以外に人間は動かなくても、食事をするから、排便はする。
本当に、これは問題であるが、しかたがない。

おなかが減らなくても、栄養剤の点滴で、おむつは必要だし。
人間が、排泄物をなくしたら、介護は本当に楽になるのに。

生き物だから、それは無理だし。
人間の食欲は、最後の最後まであるので、生理現象は最後まである。

おなかの減らない、機械になるのは無理だから、私はせめて、自分でぼけないように、排せつを最後の最後まで、自分でできるように、生活するだけである。

本日も、おなかが減る。もうすぐにお昼、人間として、たのしくいただきたいです。


トートバッグ。

2012-04-12 | 日記
いまでは、雑誌の付録で、トートバッグの丈夫でかわいいものがあります。
私たちのころは、りぼん、なかよし、などのふろくがたのしみなものでした。

ほんなんかよりも、ふろくをたのしみにしたものです。
かわいい、びんせん、ふうとう、シール、カバン、などたのしみでした。

さいきんは、むかしのように、本よりも、ふろく目的で買うような雑誌がふえました。
この前も、500円ぐらいの本で、ふろくが気に入って買いました。
ほんとうに、丈夫で買い物袋にして、調法しています。

本の付録は、韓国ではすごいらしいです。
傘とか、ずいぶんいいものが、本の付録につくらしいです。

にほんでも、本が売れなくなって、考えたのが、ふろくですね。
本が好きでなくても、ふろくが好きなら、ついついかってしまうものです。

ふろくだけ見て買う人もたくさんいます。
本が売れなくなっても、いいおしゃれな付録がつきていたら、わたしもかうように、
みんなも買うでしょうね。

トートバックは、ふろくでしたが、お値打ちな感じがして気にいっていますよ。

鬱の過ごし方。

2012-04-12 | 日記
毎日鬱にはなりませんが、たまに天気の悪い日に落ち込みます。
不安で、過去の失敗ばかり思い出す時があるんです。

わたしは、パニックになりやすいのです。
忘れものとか、失敗に対して、人よりも異常な反応になります。
その時は、寝込んでしまうほどになるのです。

パニックは、簡単に言えばふしぎにおもうのですが、人間としての判断がなくなり、どうしていいのか、おろおろして、変な不安におそわれてしまうのです。

その時冷静に対処できるように、なればいいのですが、パニックは、みんなあるでしょうが、私の場合は、何かの問題や、ショックや、人間関係のことで、おこります。

対処方法は、ゆっくり休み、かんがえないようにすること。
もちろん、その時は、すべてやすめるように、普段から、買い物は済ませておく。
出かけなくてもいいように、準備しておくのです。

おうちでのんびりすると、ドキドキして不安はなくなります。
あわてると、より失敗するので、落ち着いて行動します。

最近は、そんな鬱もすくなくなりました。
失敗も、かなりなくなり、慎重な行動がとれるようになりました。

しかし、再発することもある鬱だから、特に気を付けて生きています。

真夏の過ごし方。

2012-04-12 | 日記
一人暮らしなので、夜は薄着で過ごします。
その上熱い時は、たぶん寝ているうちに、全裸になっています。

ふとんに、裸は、きもちがいいからです。
アイスノンは、いつも頭にひいてから寝ます。

それから、ひんやり枕カバーとかつかいますし、今年は、ひんやりする敷布団カバーで寝てみてエコにしようかと考えてます。

夏は、だいすきでしたが、年を取ると、夏も、冬も苦手になりました。
今頃の季節がいちばん、いいかんじなのです。

ところてんが好きですし、夏は冷麺を大好きなのですが、今年は暑いのかと、少し心配してます。熱いなら、熱いものがおいしいらしいので、汗をかきかき鍋を食べようかとも思ってます。

夏には、文鳥まで、熱くて、はあ、はあいいますから。
そんなときに、熱中症にならないのには、水分、栄養、睡眠です。

ふだんでも、おなじですが、運動をする前と、後には、必ず水分補給です。
そうすると、あせもかくけど、体のパランスがいいそうです。

真夏は、きらいですが、今年は、蚊取り線香で風流に、アルコール風飲料で、プハアーとすごしたいものです。

夏はサウナのようなお部屋です。

2012-04-12 | 日記
今の部屋の温度は、18度まあすごしやすいですが、夏になると40度ぐらいになります。
大げさですが、熱いので、扇風機では間に合いません。

そこで、冷房をつけるんですが、そうしないと住めないほどの、室温です。
あんまり暑い時は、図書館、公共施設に逃げますが、冷房のおかげでなんとかすごします。

扇風機は、もう昨日つかいました。
室温が、20度でしたので、扇風機を解体して洗い、さっそくつかいました。
この部屋は、冬はいいのですが、夏はあついのです。

窓を開けても、盆地のようになっていますので、かぜはぬけません。
しかし、広さと、下町の良さと、買い物が便利と、家賃の安さでここを選びました。

暑さは、7月より、9月までの辛抱でくらしやすいところです。
暑さの弱い人には、熱帯夜になりますので、窓を開けても、熱いので、無理でしょうね。

一番の個々の良さは、古い昭和があるんです。
昭和の下町の良さと、なつかしさがあります。

扇風機で、風鈴が似合う町です。
今風な派手なところがなく、生まれた町に似た、やすらげるまちです。

しかし、夏は地獄です。
いやでも、やせるところです。

窓を開けても、玄関をあけても、すごい熱風で、サウナです。
そんな夏が、ことしもきますね。すこしいやです。

でも、それにもなれたら、あんがいよいところです。
おすすめのまちかもしれません。