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女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

私の住む街は、東京でいえば日暮里みたいなところ?!

2012-06-25 | 日記
大阪でも、派手でもなく、そうかといって不便でもない、下町。
緑もあり、鳥の声もして、何となく隠れ屋みたいなこの場所がすきです。

猫がたくさんいて、その子たちを見ているだけでも、癒されます。
それに、下町らしく、軒下の小さな植物たちが、季節を彩りたのしませてくれます。

散歩をするなら、この下町から、山の手になる坂を上がった街をあるくのがいいですね。
お金持ちらしく、美しい家がおおく、門構えも素晴らしいので、歩く住宅展示場みたいです。

それでも、あんまりうらやましくないのは、お金持ちになるのを望まない、のんびりした間の抜けた自分がいるからでしょうか。
下町では、あんまり、物を買うのもいけません。すぐに噂になるのです。

地味に、暗く、おとなしく、暮らしていくのがあうみたいです。
人よりも、賢くも目立たない暮らしが、この町のルールらしいのです。

食べるものは、すぐに買えるので、満足しているのですが、一つだけ不満があります。
それは、言葉遣いがきついのです。優しくいわないのが、大阪風なのでしょうね。

愛と誠(西城秀樹、早乙女愛)

2012-06-25 | 日記
私の時代の、愛と誠の映画は、秀樹の主演の映画でした。
ドラマになるほど、この漫画は魅力的でした。

今の時代に合うのかはわかりませんが、最近愛と誠が上映されています。
ミュージカルのような作りで、おもしろそうですね。

映画で一番最初に見て感激したのは、サウンドオブミュージックです。
何となく、のびのびとした洋画でしたので、はまりました。

映画を見ると、自分の殻の中の狭い空間が少しだけ広がるような感じがしました。
それに、何とも不思議なのですが、外人になったような気になるのです。

日本人としては、洋風なドレス、建物、風景すべて憧れの代物でした。
特に、ローマの休日は、女性の憧れのスタイルのオードリーの服装はあこがれになり、それからずっと、この年まであの美しい、ローマをスクーターで走る姿に、ロマンスを感じています。

母は、冗談でわかいとき、オードリーに似ているなんて、親ばかなことをいっています。
今では、色の黒い、オバードリーに変身してそれでも、ロマンチックなおばやんですわ。

貴女の懐かしい映画の思い出を、たまに思い出して、昔を懐かしむのは、年寄ならではの楽しみの一つですよね。

マゾ男の気持ち(朴正子)

2012-06-25 | 日記
僕は至って、普通の容姿で、普通の教養とすべて平凡な男性です。
そして、ただの安リーマン10年目なのです。

しかし、僕にはいたってかわった趣味がありますそれは?!
普通のエッチでは燃えない、変態なのです。

たとえば、太って肉好きのいい女の股に塞がりたい、またすごい豊満な胸で死んでみたい。
子供のころから、夏休みが好きでした。僕は近所の放漫なお姉さんにいつもあそんでもらっていたからです。もちろん、お姉さんの体に僕は、いつも感じていました。

顔よりも、体の感じが僕が好きなところでした。あえて言えば美人であろうがなかろうが、放漫な女性しか、かんじないおとこなのでした。
いまでも、僕は弱い男ではないけれど、強い女にいたぶられて、弄繰り回される夢を見ていってしまうのが、日常の僕です。

さりとて、そんな美しい体の女を求めるのは、たいへんで風俗でそれなりの女を求めていました。お金で割り切るそんなうそつきな女王様は、すぐに僕をあきさせていました。

本物の、奴隷をいたぶることが、心底好きな肉体を持つ女をいつも求めていました。
大阪の日常は、いつもつまらない日々で、僕は乾いた心をいつも、想像という素晴らしい夢で満たしていたのです。

ところがです。僕は本当の肉体美で、僕好みの女に知り合ってしまいました。
その女は、決して若くはないのですが、体が豊満で特に胸とお尻は素晴らしい、肉の塊でした。
初めて会った時、僕は図らずも、感じてしまい、目がくらくらしてしまったのです。

その女は、深夜のスーパーで一人買い物をしていました。
僕は背丈170センチはありそうな、その女の後ろから、つけてゆきました。
お尻は大きく、僕の3倍はありそうで、足は、僕の胸までありました。
シャンプーの香りが素敵で、少しわからないように、後を付けてしまいました。

カノジョは一人身らしく、買い物も対して買わないで、近所のマンションに帰るのでした。
顔は、対して美人ではないけれど、不細工ほどではないので、僕はお気に入りになりました。
また、その家のそばを通りかかって、会えるのをいつも、期待してました。

大きな女は、何をするでもなく、日々日常を暮らしていました。
その女に僕は声をかけるまで、3か月は、悩んでいましたが、ついに一言言いました。

「よかったら、お茶しませんか?」

「えっ、わたしでいいの?」

女は、小さい僕を子供のようにあやすようで、とてもやさしいかんじにみえました。
並んで歩くと、親子のようでとても、燃えてしまったのです。

「僕の家に、よっていきませんか?」

「そう、じゃあ暇だから行きます?!」

僕は、夢ではないかと思いました。僕の女王様と思った人があそびにきてくれる。
あの肉の塊で、僕は死んでもいいとまで、おもいました。
素直に、好きとは言えないまでも、電話番号を交換しました。

「よかったら、かけてくださいね?!」

「そう、また機会があればね?!」

僕は半分夢のようで、もし電話があれば、僕をがんじがらめにして、貴女のうちまで、箱の中に入り、おもちゃになるといいたいほど、うれしかったのです。

おとこの願望は、ひとそれぞれですが、僕は肉体のすごい女に、抱かれて甘えてみたいそして、その中で、いたぶられて、眠ってみたいのが、僕の本当の夢でした。
でかい女は、最高に素敵でした。正し痩せた女は、僕を興奮させませんでした。

その女と私は今では、趣味も会うようで、うまくつきあっています。
女王様と呼んではいませんが、僕の心をつかんで離さないのは、子供のころ夢みた、包まれたい、挟まれたい、そんな体を持っている、その女に今では夢中な、変態です。


携帯見ないと、死んでしまうのですか?

2012-06-25 | 日記
携帯電話の画面が、一番の自分の命のようで、若い子から、年寄まで見ているわ、みている。
情報化社会で、仕方のない事実、しかし、携帯電話でしか、人を聞き取れないなんて。

私は、携帯電話が大嫌いである。
お金がないのもその理由であるが、最もいやなのは、携帯に縛られたり、人に縛られるみたいで、いやな感じがする。

さみしさの裏返しで、携帯がないと、夫婦でも、恋人でも不安になるのか、トイレまで携帯と一緒で、なんだか、悲しい。

嘘をつくのにも、人をだますのにも、携帯が使われている。
メールは仕事以外必要なし、そして、喧嘩をしても友達と話さなくても、本当は信じあうことが友達なのに、どうして確認し合わないとだめなのか、不思議だ。

私は、携帯電話が嫌いだけど、ある意味いい時もあると思う。
災害の時とか、緊急時に役立つし、さみしい人には心の慰めにもなり、どこでも話せるし、安心感が変えるから。

しかし、私は、安心よりも、自由を求める人です。
携帯電話で、どこにいて、何をしているといわれると、私の勝手だし、言いたくないし。

そんな友達なら、必要なし。
縛られることが、一番嫌いだし。
そんなもので、友情が図れるなんて、いやだし、まして、男と女は、信用できないなら終わりだし。

そんなわけでみなさん。

携帯の画面を何日見ないと、死んでしまうのですか?