びんぼうで、つらいということはないが、知識を知らないでつらい時はある。
好きな勉強をできなかった、昔はつらかった。
大学に行き、そして体育の先生か、家庭科の先生になりたかった。
どちらも、好きな科目で、特に家庭科はすきだった。
物を作ることに、喜びを感じていた。
料理とか、服とか、小物を作るのが大好きだった。
体育は、陸上の選手だったので、おのずと好きになっていた。
それから、ジャージ姿の先生の姿に、あこがれていたから。
ちなみに、私の学校時代の陸上の新記録は抜かれてしまったけど、私のいた時代はだれにも抜かれていないので、とても、楽しかったですね。
勉強は、あまり好きではなかったので、数学と、英語がだめすぎて、今でも嫌いです。
それから、私が生涯勉強している課題は、同和問題と、在日問題です。
身近に、たくさん転がっているこの問題は、深刻です。
近所の人が、在日という関係上知らないと、いきてはいけません。
通名でも、すぐにわかる在日の人々の問題は、身近にあります。
まず、仕事ばかりしていた、在日の人々や、の人々は、字が読めない、かけないのです。
それは、社会の仕組みが、勉強からとうざけているからだと思います。
聞くのはいっ時の恥、聞かぬは、一生の損といいます。
つまり、できないことは勉強して、覚えたら、一生の糧になるのです。
読み書きは、一年もしないうちに、覚えるものです。
識字学級の通う人々を見て、少しの勇気で何でもできることを学びました。
この日本語は、習わないと、厄介なものらしいです。
独学は大変です。
先生という立場の人に、聞くことが大切ですね。
私の嫌いな、簿記は、今では覚えられないのですが、それでも今の年で勉強しました。
基本からやらないと、なんでもできないので、年を取ってからの勉強は大変です。
知識が少ないということは、世渡りが下手ということにつながります。
知っていて損な、知識はありません。
私は今でも、勉強をして、知らないことを知りたいほうです。
びんぼうでも、なんでも知らないで終わるほうのほうが、何よりもつらいのです。
年齢で遅いということはないのです。
何でもできるという、達成感は、年齢が高いほど、満足するものです。
私が年を取って覚えたものは、水泳と、パソコンです。
健康と、頭のボケ防止に役立っています。
私より上の70歳の人が、パソコンをはじめていました。
遅いと思うなら、やらなかったはずです。
人生に遅いというのは、ただの言い訳にしか思えません。
恥ずかしいことは、知らないまま人生を無駄に過ごすことだと感じています。