女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

しのぶの100のお話(14)夜の街の話。

2011-02-11 | 日記
ある日あるとき、銀行のATMの残高が、500円になっていることに女は、気づきました。
そのつきの払いが終わると、そんな少ない残高になってしまったのでした。

(あぶない、やばい、)女の心の叫びは、きこえたようでした。
女は、よくよく考えて、「かんにゃい、あーにゃん銀行」の残高がないということは、
明日からの生活費がないので、餓死が、ホームレスになるしかなかったのです。

ホームレスも、餓死もいやなので、女は夜の街に出かけました。
明日の糧をもとめてのことでした。

お金よりも大切なものは、今の女にとっては、考えられない状態でした。
明日からの、心配で心がつぶれそうで、不安でいっぱいの状態でした。

ある夜の街について、張り紙を見ました。

「求人?! 笑顔で元気な人を求む?! スナック桃色」
女は、すぐにそのドアをたたきました。

「あの、もしまだ募集してますか?!笑顔だけは自信があります?!」
ママは、はっきりとうなずきました。

「ちょうど、いい子がほしいと思っていたところ、今日から働いてみる?!」
女は、
「今日の働いた分は、本日もらえますか?」とききました。
ママは、うなずいて、
「いいですよ?!」
と、笑顔で答えました。

女が、最初についたお客は、素敵な紳士でした。
その紳士は、女に興味をしめしたらしく、いろいろと女に質問をしてきました。
女の住んでいるところから、女の趣味まで、いろいろと、事細かにきいてきました。

最後に女に聞いたのは、この町に来たわけでした。
女は、お金に困っていること、生活のことなど、その紳士に正直に話しました。
お金に困っているなら、その紳士は、お金を貸してくれるといいました。

女は、丁寧にことわりました。
断った後に、その紳士の仕事をあれこれと、かんがえてみました。

実は、その紳士は、探偵さんでした。
つまり、女の実家は、かなりの資産家ですが、女はそれを頼らないで、自立していました。
それでも、金策尽きたので、この町に着たんですが。

少しだけ後悔していました。
よるのまちが、女には、すてきにはみえませんでした。
化粧も好きではないし、話をするのも苦痛でした。
もちろん、まじめなせいかくですので、無理なしごとだったのです。

しかしです。金のためとはいえ、しんどい仕事をしようとしていたのです。

女の実家は、最近連絡もないので、しんぱいして、探偵を雇い調べていたのでした。
だから、彼女は、気がついて、実家に帰り、わけを話して、
夜の街に、二度と行くことが、なくなったわけなんです。

幸せは、人が心配してくれるおもいやりでもあるわけですね。

おわり。

愛するあなたへ私から送ることば。

2011-02-07 | 日記
あの、もうとどいたんですか?
わたしの、手作りのことばつづり、
愛してますなんて、いいません。

恋してますなんて、いいません。
いまでも、いつまでも完結しない恋人物語。

あなたにおくります。
わたしのかわいかったときに、愛したものを、
それは、未知への不安とあこがれと、動物たちと、親たちを、
すべて、失ったときに、あこがれた、皆無の世界。

だけど、もう自分から、いきたいとは思わなくなった。
時間がないから、生きていたい。

いきて、いきて楽しかったこと、くるしかったことを、てみやげにして、
あなたの生きている国にいけるように、がんばろうと思う。

あなたの意地悪な、かくれんぼうは、ながいけど、
そのうちに、わたしはつかれて、あきらめて、いきぬいたね。

あなたの優しい私への、愛情は、しっかりとうけとめていきてます。

もうとどいたんですか?
わたしの、手作りの、恋のレシピが。

しのぶの100のお話(13)やくざの話。

2011-02-07 | 日記
インテリやくざは、考えました組の資金源がないと、
やくざも、生活のために、恐喝、おどしなどをするものは減りました。

暴力で金を貸したり、不動産を奪い取ったりしていたのはむかしのはなしです。
やくざの今のしのぎは、なんと介護のしごとです。

お国からもらえるお金のために、介護会社を経営してます。
もちろん、介護用医療器具ももちろん、介護全般に経営してます。

その他、学校もそうなんです。
国から支援のでる基金訓練学校なども、経営しているんです。

なんと、生徒もやくざです。
なぜ、私が気がついたかというと、あるときです。

私も生徒でしたので、わかりました。
組長のいでたち、若頭の様子でわかりました。

舎弟たちの、妻、恋人たちも生徒です。
なぜなら一人頭に、6万円ははいるし、生徒は、組の家族なら、まちがいなくやめないからです。

やくざも、資金源にそこがつき、インテリやくざたちは、今は国からの援助金ねらいです。
介護会社の8割以上は、やくざがからみますね。

それから、商売にしても、やくざがからまないと、できないですしね。
やくざの妻たちも、金がないので、仕事をしているようです。

きれいな若い妻たちは、クラブのママになるものもいるし、きれいなおとこたちは、ホストですね。
ホストクラブのオーナーは、たいていやくざなのもうなずけるでしょ。

かねのいい、上手い商売は、やくざのなわばりです。
一般の人々には、できないおいしいところだからです。

ところで、と在日がおおいのは、本当なんです。やくざがね。
それから、歳をとったやくざは、みんな夫婦別れをして、生活保護なんですね。

それがやくざのなれのはてです。
みじめなものですね。

やくざの先生と、生徒へんながっこうがありました。
そんないろんなことがあるのでおもしろいですが。

最近のやくざの女は、不細工であんまり礼儀を知らないので驚きですが、
そこまで、地に落ちていったチンピラのおんなでしょうね。

おわり。

バレンタインデー、本チョコと、義理の値段。

2011-02-07 | 日記
みなさんにきいて、わかりました。
義理チョコは1000円以内で、本チョコは2000円以上だそうです。

できるだけ、1000円ぐらいなら、愛はないそうですね。
義理チョコは、かえさなくていいそうですし、安いものでいいみたいで楽ですね。

しかし、本命チョコは死んだだんなには送らないで、ぎりチョコをわたしましたね。
でも、向こうが本気なので、お手紙と何かよいものを私にくれましたね。

もう一人が、マシュマロでしたね。
死んだだんなは、ほんきらしく、すぐにデートに誘われました。

30年ほど前のたのしいおもいででしたね。
マツダルーチェでした。しかも新車でね。

車でたのしく、どらいぶでした。
いろんなところにいきましたね。

私とは、仕事場の同級生ですので、とてもなかよしでした。
すぐに、けっこんしたかったらしく、誕生日には、結婚衣装を着た人形をくれましたね。

もちろん、わたしはすぐにきにいり、結婚しました。30年前にね。
それから20年後には、おわかれです。(死に別れ)

いまでも、いきていたら、チョコよりも愛情をこめてなんかいいものをあげていたのにね。

いまではさみしい、バレンタインデーに、義理チョコから、本チョコになったはなしでした。
みなさん、がんばって、恋してくださいね。

しのぶの100のお話(12)文鳥会の話。

2011-02-06 | 日記
文鳥の同好会が毎月第二にちようびにおこなわれていました。
文鳥さんの、みんなの元気をお互いにたずねあう、優しい人が集まる会でした。

文鳥さん一家族あたり、最低2ペアは、皆さんかっておりました。
ある日、文鳥委員会の、山田さんが、「今度みんなで飲み会をしませんか」と、
よびかけました。

文鳥同好会の人々は、やさしいかたがただったので、もちろん万障繰り合わせして、
あつまりました。ある町の居酒屋に集まりました。

春まだ遠い、梅のさく2月のこさむいひでした。
文鳥さんたちのかわいい写真あり、かわいいはなしありで、もりあがりました。

そうして来月の予定を、幹事が立てたところ来月はみんながよていがありだめになりました。
そろそろ文鳥さんの、お産のときですので気を使う飼い主がたくさんいたからです。

それから、文鳥さんのために遊んであげる日にみんなかさなってしまったからです。
文鳥さんも、みんなにとっては、かぞくで、誕生日もあり、おそうしきもあり、もちろん結婚式もあるのです。

たまに、人間のように、みえますが。
愛好会では、文鳥は、パートナーとよばれて、にんげんの愛する相棒なのです。

この前のある日では、文鳥さんがおなくなりになりましたので、
みんなで、お別れ会をしました。

美しい色のぶんちょうさんが、遺影でほほえんでいましたね。

おわり。

しのぶの100のお話(11)天神さんの話。

2011-02-05 | 日記
私の生まれた片田舎では、北の天満宮という神社がありました。
そこは、学問の神様と、筆のかみさまでした。

おかあちゃんと、私の散歩コースでしたので、いつも境内までおんぶです。
かあちゃんはいつも、貧乏で本当にぼろぼろのふくでしたが、
こころは、ピカピカの中身でした。

お金はなくても、すべての人に尽くしやさしいひとでした。
わたしには、とても優しいひとだったのです。

ちーちゃんは、苦労するけど、長生きするようにこの名前をつけたんだよ。
よく子供のころは、わかりませんでした。

しかし今では、苦労しすぎで、よく倒れますし、悲しいぐらいつらいひびをすごしました。
差別され続けられ、男にだまされ続けて、もう誰も信用していませんが、
母ちゃんのいった言葉のとおり、ながいきしてます。

信用できるのは、天神様ぐらいなんですが、母ちゃんは、よくでかいみみくそを奉納してました。
おかげで、耳はよくきこえますし、大きな耳くそも、いまでもできるのです。

母ちゃんの背中で、歌った歌。

「おうちいこ、りゃんりゃんりゃん」
「りゃん、りゃん、りゃん、おうちいこ」

「ちーちゃんは、あたまだいいんだね。」とかあちゃんはいいました。

お歌を、かけあいするのに、同じ歌をくりかえさないからです。
いまでも、ほんとうは、ちーちゃんは、かしこいのですが、天然ボケです。

おおさかでは、天然ボケなので、馬鹿にされ、差別されつらいまいにちですが、
あくまでも、作っているのは事実ですよ。

天然ボケは、天然に見せる技があるのですよ。

本当は、●●です。

天神様は、かしこくなるかみさまですからね。

おわり。

しのぶの100のお話(10)幸せの分量の話。

2011-02-04 | 日記
人間は、人の幸せを見比べたりして、ひがんだりひねくれたり、
いじめたり、ひどい人は集団で攻撃するとかね。

でも、ひとそれぞれ、かみさまからいただける、幸せの分量はきまってますよ。
いつも、ひとのことをみてうらやましがる男がいました。

再婚もできないで、女の人をだましたり、りようするおとこです。
幸せになれないのは、もう幸せの分量を使い果たし、不幸の種をまきすぎたからです。

そのうちに、彼は女性をころしたり、刑務所に入るようなことをするかもしれません。
みんなを、不幸にする人は、じぶんをも不幸におとしいれることになるのです。

不幸の種が、自分にさいていくのです。
人をひとつ不幸にするたびに、ふこうのたねがめばえてゆくのです。

やがて、がんじがらめになり、自分の不幸の花が咲き、死んでゆくのです。
ひとのしあわせをうらやんだり、なんどもしあわせについて、欲張る人は、
かわいそうですね。

一度でも幸せになった人は、よくばりすぎてませんか?!
わたしは、半世紀で十分しあわせでしたので、今の生活は、貧乏でも満足してます。

勉強したり、仕事をしたり、年齢よりもいろんなことができてしあわせです。
なによりも、人を幸せにすることに、喜びを感じてそれが自分のしあわせです。

みんながそんな素敵人になるのが、自分の夢です。
わたしは、そうですね。

字のかけない勉強のできない、識字の人々を教えて、恋人へラブレターを、
書いてもらうことです。

字を書くたのしさを、おしえてあげたいです。
心は、文字で十分とどきますからね。

しのぶの100のお話(9)素敵なおふろやさんの話。

2011-02-01 | 日記
ある猫町猫番地22の2に、猫招き温泉がありました。
そこのご主人は、優しいお湯を沸かす名人でした。

いつも、この猫招き温泉に来るお客さんのために、優しい木の燃料をつかい、
真心こめて、愛をこめて、一生懸命にお風呂をわかしていました。

猫町のおおやさんでもありました。
そのお風呂屋さんでは、いつも素敵な人々がたくさん訪れました。

「おとうさん、あったまりました、ありがとう?!」
「このやさしいお湯はなんなのです?」

おとうさんは、わらっていました。
毎日風呂の薪を一生懸命、探してはひとつひとつあつめて、お風呂をたいていたんです。

今の時代、簡単にガスでしたら楽でしょ。
おとうさんは、みんなのために、苦労して体を、痛めてまで薪をあつめたんです。

やさしいまろやかな湯は、たぶんお父さんのすごい苦労と、やさしさとほんのすこしの、
おもいやりがこもっている薪を、つかったからです。

ほんとうは、たくさんのみんなの心が、お父さんのきもちにとどいて、
しんどい仕事を、たのしくさせていたんでしょう。

「この町は、いい町だよ。だってさあ。この温泉にわざわざきてくれるんだよ」
内風呂はあるんですが、やわらかな、暖かい、ゆるりとした温泉は芯まで温まりました。

お父さんのこの温泉は、本当にお父さんの代で、このやさしいお湯は、おわるそうです。
残念におもったわたしは、たぶんいつまでも、この町にいる人々がついでほしいと、
せつにねがったのです。

ある日、一人の若い青年がこの町にたずねてきました。
「この温泉は、死んだ父さんが大好きだったお湯なんだ、のこしたいのです。弟子にしてください」

おとうさんは、すこしこまったけれど、すこしうれしかったのでした。

おわり。