土佐のくじらです。
私は戦争観という言葉を用いております。
私の使う戦争観は、「戦争とは何ですか?」と問いかけて、返ってくる答えだと思ってください。
世界の人々にこの問いを投げかけると、恐らく「ビジネスです。」と答えるだろうと私は思います。
戦争には大義名分がございます。
ここではいくらでも言葉を飾ることが出来ます。
史実でも同様に、様々に語られる各国の大義名分はありますが、言葉はいくらでも飾り立てることが可能なものです。
本音は、史実では決して図れないのです。
たとえば、日露戦争の折、ロシアは日本に負けましたけど、ロシアには戦闘継続能力は、まだまだ余裕しゃくしゃくで残っておりました。
不凍港という、経済ツールを得るために、彼らは南下しておりましたけど、
日本という、”手ごわい国”が出てきたので、沿海州から南下するのを諦めた・・・
というのが、彼らの本音ではないでしょうか。
1年半、極東から南下のための戦争をしたけれど、ちっともラチがあかないので、
「もう、や~めた。」「別の方法論を探そ!」
結局これが、当時のロシアの本音だと思います。
旅順攻略時、そのロシアの要塞には武器も弾薬も食料も豊富にあったはずです。
旅順要塞は孤立しておらず、既にシベリア鉄道もあり、兵站の補給も十分だったからです。
ロシアにとっては、一戦争の勝ち負け以上に大事なものがあった・・・ということですね。
その証拠に、日露戦争後ロシアは、バルカン半島への政治的、軍事的な動きを強めております。
そしてバルカン半島から南下しようとして、その後の第1次世界大戦の遠因となりました。
奴らは、全然へこたれていないのですね。
日本は、外国から多額の借金をしてまで、この戦争をしたというのに・・・(^^;
順番が逆ですが、日清戦争もそうです。
当時近代化が遅れていたとはいえ、清は世界第1位のGDPを持つ大国です。
教科書などでは、朝鮮半島の利権が戦争の原因・・・とあります。
これはビジネス論的説明であります。
そして恐らく、清国側から見た戦争の原因だと思います。
利権が原因だとすれば、当時のロシアを含め、朝鮮半島の3国分割統治も可能だったはずです。
恐らく3国は、それらの交渉もしているはずです。
しかし日本側は、これらの交渉には恐らくのらず、朝鮮半島に対しては、強硬な姿勢を崩さなかったからこそ、
戦争になったはずなのですね。
意外なことですが、利権目的(戦争=ビジネス論)ならば、清との戦争にはならないのです。
小国日本ぐらいならなんとかなる・・・と、清も思っていたかもしれませんね。
しかし1年余り戦って、日本が思いがけず強いので、台湾を日本にあげて終わらせた・・・という感じでしょうか。
中国と言う国は、歴史的には完全な大陸民族であって、陸地の外に興味を示した形跡はありません。
当時の台湾は、清の国民にとっては、どうでも良い地域だったのです。
(ですから中国政府が言う、尖閣や沖縄中国領説は真っ赤なウソです!)
賠償金は、お金を国内でつくればよいわけですし、遼東半島はその後、三国干渉によって変換されます。
これなど、ロシア・フランス・ドイツの3国に、根回しはきっと済んでいたはずですね。
つまり、清という国は、大国としてのメンツと朝鮮半島への影響力は失いましたが、経済的には、それほどの損失はなかったのです。
しかし、日本は3国干渉にあっさり従っております。
せっかく、戦争という代償を払ったのにもかかわらずです。
清はその後、50年も歴史は続きます。
まあ、国家の体をなしていたとはとても言えませんけど。
とまあ、長々と書きましたけど、
日清・日露とも、戦争=ビジネス理論VS日本の戦争観との戦いであったということです。
大東亜太平洋戦争(太平洋戦争)に関しても、同じようなことが言えると思います。