土佐のくじらです。
ブログ開設以来の歴史シリーズも、いよいよ戦後の時代に入ってまいりました。
日本は、大東亜戦争=太平洋戦争をやりたくはなかったでしょう。
日本は元来、国防線が延びることを嫌う、国防史観の国だからです。
日本が覇権主義的な国家であったら、強い軍隊を使って、南満州鉄道の利権を得た時点で、
ロシア領沿海州や、中国北部などに侵攻したはずです。
当時の軍事バランスから言って、それは十分可能でした。
戦争=ビジネス論的な発想をする国であったら、自分たちより弱い部分が見えたら攻め込みます。
日本は、そういう発想そのものをしない国なのです。
今の日本が、敗戦を通して平和国家になったのではなく、昔も今も、日本は変わってはいないのです。
しかしABCD包囲網による石油全面禁輸の措置は、国防史観の国日本の重い腰を上げさせました。
イギリス海軍などが駐屯する中国大陸沿岸部、アメリカ領フィリピン、オランダ領東インド(インドネシア)、
シンガポールからインド東部にいたるイギリス領に次々と攻め入り、この地から200年以上支配した者たちを追い払いました。
これは日本視点から見れば、オランダ領東インド(現インドネシア)の石油資源確保の戦いでしたが、
しかし現地の人々、特に被支配階級であった国民たちには、全く違ったものとなりました。
絶対にかなわないと思っていた白人が、自分と同じ、小柄な黄色人種に追い払われ、みっともなく逃げ惑う姿を目の当たりにする機会だったからです。
当時は、「白人優位説」というのが、世界を支配しておりました。
また、圧倒的な兵器を持つ白人列強諸国に、アジアの人々は、「絶対にかなわない。」と思っていたのです。
それを日本人が、「そうではありませんよ!」という実例を、強烈なインパクトで見せ付けてしまったのです。
終戦後、欧米列強諸国はかつての植民地に、再び戻ってきました。
しかしアジア諸国は、もう二度と、元の植民地支配には戻ることはありませんでした。
なぜなら、彼らは気づいてしまったからです。
「たとえ彼らが我々を攻撃できたとしても、服従せず団結すれば、彼らは我々を支配することはできない。」ということを。
これは、かつての幕末の日本が、欧米列強に屈せず明治維新を成し遂げた時と同じ智恵です。
欧米列強諸国は船でやって来ますから、決して大人数では来れません。
また、植民地人の全てを殺めるだけの武器弾薬があるわけではありません。
植民地の民の方が、圧倒的に人口は多いのです。
ですから、彼らがたとえ無防備であっても、一斉蜂起されたら、列強は支配できないのです。
ですから、羊飼いに飼われる羊の如く、植民地の民が戦意も気概もなく、
ただ彼らが生き残ることだけを考え、屈している状況下でのみ、支配が可能だったのです。
インドの独立の父ガンジーの、有名な無抵抗主義もこれの延長戦上にあると思います。
日本のアジアでの戦いは、アジア全体の維新の幕開けとなりました。
日本の維新の幕開けに、吉田松陰先生は処刑されました。
日本の維新は、吉田松陰先生の死から実際は始まりました。
日本の敗戦は、アジア維新の幕開けに必用だった、松蔭先生の死・・・だったのかも知れません。
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本当は、リンクを貼るべき処ですが、何故かブックマークすら、貼れないのが申し訳無い限りです。(どうして貼れないのか、ワカラナイのですが…)
取り急ぎご報告まで!
商売繁盛、何よりです。(笑)
たくさんの方々の眼に触れる機会をお与えいただき、心より感謝いたします。
リンクの張り方、私もわかりません。(笑)
はい、さっぱりわかりません。(爆笑)
桜師匠はこんな時、どうしているんでしょうか?(^^;