清々しい青空の下、万葉集の時代から歌枕とされた水無瀬駅出発は9時40分。
気温はもう27度を指している。
湊川の戦いに出陣する楠木正成が嫡子楠木正行と別れた「桜井の別れ」の地として太平記に登場する
桜井駅跡に立ち寄り、JRの踏切を渡り島本町役場前を過ぎて若山台センター前を左折。
孟宗竹の竹林を巻くように若山神社の参道に入る。
参道脇に咲く可憐な山野草に目を奪われているとこの分野に詳しいメンバーが「シソバタツナミ草」
だと教えてくれた。
竹林と杉の木立の間から鶯のさえずりが聞こえて緩やかな登りはウォームアップに丁度いい。
少し汗ばんできた頃に神社境内に着き、まずは素戔嗚尊を祀る社殿に参拝ししばし休息。
大阪みどり百選の石柱と若山への道標がありここから登る。
息をきらしながら20分程でまずは今日一番の急坂を登りきる。
汗が噴き出る感があるが肌にまとわりつくような不快感はない。
この森周辺は樹齢200年を越すツブラジイを主体とする府下でも有数の椎林が群生していて
登山道は落ち葉の絨毯の感さえありそのクッション性が心地よい。
ゴルフ場のフェンス沿いに緩やかなアップダウンを繰り返し鉄塔を過ぎ林道分岐を左手にとり
急に視界が開けた地点まで50分。丸太のベンチがいくつか設置されていてここで昼食とする。
宇治川・木津川・桂川の三川合流地点の背割り堤や八幡市・枚方市の眺望を楽しみつつ30分休息。
ここから三角点までは約20分。植林された杉木立の径は気温25度、心地よい山歩きだ。
このコースは山崎の合戦で秀吉が中国返しで通った道とかで太閤道とも呼ばれている。
13時、目的地の金龍寺跡に着く。寺の本堂は1983年(昭和58年)、ハイカーの火の不始末により
焼失して廃寺となり、現在は金龍寺跡となっている。
杉・楓・欅などの樹木で覆われた境内には石垣や礎石が残り往時の隆盛がしのばれる。
紅葉した楓の風情は勿論の事、この時期の緑を纏った楓の風情には清涼感さえ感じさせる。
ここからは丁石道を川沿いに下り磐手橋には13時50分。当初は阪急高槻駅まで歩くつもりだったのに
タイミングよく待つほどもなくバスが来たので楽な方を選択してしまいこれに乗る。
高槻駅には14時15分に着き、駅ビル内の店に入りビールで喉を潤し帰路に就く。
皆さんお疲れさんでした。
次回、6月例会は能勢の雨森山を予定しています。
若山神社から太閤道へ
気温はもう27度を指している。
湊川の戦いに出陣する楠木正成が嫡子楠木正行と別れた「桜井の別れ」の地として太平記に登場する
桜井駅跡に立ち寄り、JRの踏切を渡り島本町役場前を過ぎて若山台センター前を左折。
孟宗竹の竹林を巻くように若山神社の参道に入る。
参道脇に咲く可憐な山野草に目を奪われているとこの分野に詳しいメンバーが「シソバタツナミ草」
だと教えてくれた。
竹林と杉の木立の間から鶯のさえずりが聞こえて緩やかな登りはウォームアップに丁度いい。
少し汗ばんできた頃に神社境内に着き、まずは素戔嗚尊を祀る社殿に参拝ししばし休息。
大阪みどり百選の石柱と若山への道標がありここから登る。
息をきらしながら20分程でまずは今日一番の急坂を登りきる。
汗が噴き出る感があるが肌にまとわりつくような不快感はない。
この森周辺は樹齢200年を越すツブラジイを主体とする府下でも有数の椎林が群生していて
登山道は落ち葉の絨毯の感さえありそのクッション性が心地よい。
ゴルフ場のフェンス沿いに緩やかなアップダウンを繰り返し鉄塔を過ぎ林道分岐を左手にとり
急に視界が開けた地点まで50分。丸太のベンチがいくつか設置されていてここで昼食とする。
宇治川・木津川・桂川の三川合流地点の背割り堤や八幡市・枚方市の眺望を楽しみつつ30分休息。
ここから三角点までは約20分。植林された杉木立の径は気温25度、心地よい山歩きだ。
このコースは山崎の合戦で秀吉が中国返しで通った道とかで太閤道とも呼ばれている。
13時、目的地の金龍寺跡に着く。寺の本堂は1983年(昭和58年)、ハイカーの火の不始末により
焼失して廃寺となり、現在は金龍寺跡となっている。
杉・楓・欅などの樹木で覆われた境内には石垣や礎石が残り往時の隆盛がしのばれる。
紅葉した楓の風情は勿論の事、この時期の緑を纏った楓の風情には清涼感さえ感じさせる。
ここからは丁石道を川沿いに下り磐手橋には13時50分。当初は阪急高槻駅まで歩くつもりだったのに
タイミングよく待つほどもなくバスが来たので楽な方を選択してしまいこれに乗る。
高槻駅には14時15分に着き、駅ビル内の店に入りビールで喉を潤し帰路に就く。
皆さんお疲れさんでした。
次回、6月例会は能勢の雨森山を予定しています。
若山神社から太閤道へ