2022年7月29日
2日前、お姑さんの通院日で一緒に病院へ行ったのだが、いつもならレントゲン写真を撮るのに今回は無かった。
血液検査だけで終わったので、早く診察して貰えるのかな?と思ったのが、予想以上に遅かったのである。
そして、今回は主治医がいないという事で代わりの先生が来られて、一から説明する羽目になった。
お姑さんは、とにかく今までと違う身体の不調を訴えるのに必死で、主治医に聞いてもイマイチ反応が無いというか、お姑さんが納得いくような答えが出ないという事で、そのために私を誘ったという事が判明した。
今回、違う先生が診察して下さったのだが、主治医よりもベテランであることが解ると、もう今までの経過を逐一話し始めて、何とか共感して貰おうとしているのが伝わったのだが、『患者さんが控えているので早めに切り上げないと・・・』という私の思いがありつつも、勢いがついているので止めることが出来ず、その状況に私はいつも以上に気を遣った次第だ。
で、先生も出来る範囲でお姑さんの話に耳を傾けて聴いて下さったのだが、最後の方は凄く急いでいるのが態度で解ったので、私の方から『○○だとおっしゃってるから心配しなくて大丈夫だよ』と伝えて診察室を出た次第だ。
血液検査の結果を見て思ったのだが、あくまでも私の感覚として伝えると、本来の病気の治癒よりも今まで何ともなかった病気を生み出しているなぁ~と感じたの。
肺の方は、ほぼ完治していて肺炎の数値も下がっていて正常になったけれど、ステロイド剤を服用することによる副作用の方がきつく出ているように思った。
むくみ・筋肉の衰え・骨の質の低下・味覚障害・糖尿病・体重の増加など、余計に悪くしているように思うのよね。
私は、ダメ元で聞いてみたんだけど、『このステロイド剤の服用が終わったら、今、不調を訴えている症状が治まりますか?』と。
すると、先生は『そうですね。このステロイド剤の服用が終われば治る可能性はあります』とおっしゃったので、『ステロイド剤の代わりになるようなお薬って無いのですか?』と聞いたら、『今のところこれしかありません。この薬を突如止めると又肺炎がぶり返しますから駄目なんです』とおっしゃった。
結局、薬で症状を抑えているに過ぎないのだ。
根本的な治癒には繋がらないという事をひしひしと感じた次第だ。
御年83歳であるお姑さん。
まぁ~、この世で生きる年齢も私と比べると少なくはなるが、つくづく健康であることの有り難さを感じるなぁ~って思った。
なので、私は出来る限り病気になっても薬を利用せず、自然に任せてあちらの世界へ旅立ちたいなぁ~って思うし、私が重い病気になったとしても(癌とか)、延命治療をせずに過ごしたいという希望がある。
パパにもその旨を伝えている。そして了承を得ている。
母親のあの苦しい状況を見るのは辛い。胃癌で他界しているのだが、抗がん剤のきつさをまじまじと見せつけられているからね。治療費も馬鹿にならないしさ。
病院をあとにしてから、バスに乗っていつも立ち寄るスーパーへ行った。
そこで色んな物を買い込んで家に着いたのだが、病院へ行ってから自宅に戻るまで3時間コースであった。
腰の痛みもあるし、腕の痛みもあるし、この暑さで気持ち悪い(吐きそうになっていた)と言っていたので、細心の注意を払って帰宅したから私自身も疲れがドッと出たのだろうと思う。
母親の介護をろくにしないまま見送った分(父親がずっと看病してくれていたし、母親曰く『おまえは来るな!●●家の嫁じゃ。そっちを優先しろ!』と言って近寄らせてくれなかったのである)、私は心を込めてお姑さんの介護に努めたいという気持ちでいる。母親以上に近い距離にある感覚だからね。
薬の服用も、本当に気をつけて欲しいと思う。
母親も、生前から病気がちだったから、薬の量でお腹いっぱいになっていた。
私はそのようなことにならないようにしたいね。
思わず呟いてしまったが、読んでくれて有難う。
『病院食は、味は薄いし、量も少ないし、鶏肉と白身魚がちょっと出るだけやし、果物も一週間に2回程出るけど食べた気分にならへん。野菜もみじん切りにしたものがちょっと出るだけやから見事体重が減ったわ。とにかくお腹空いて満足出来へんかったから、肉と甘いものが欲しい』という事で、「肉じゃが」も牛肉を使って奮発したよ😃
2022年4月6日
どこの誰か知らないが、声の感じだと幼稚園児くらいかな?
ず~と『嫌や』と泣き叫んでいる。
それに対してお母さんとお婆ちゃんらしき声が聞こえ、泣き叫んでいる子供をなだめているのだろう。
相当頑固な子供のようだ。
私はただ泣き叫んでいる子どもの声と、お母さんとお婆ちゃんの声を聞きながら分析中だ。
幼稚園児くらいの子だと、ボキャブラリーが少ないから上手く表現できないのだろうと思われる。
子どもの訴えを上手く聞き取れない大人も正直苛々しちゃうよね。
まして、我が子だったら余計に苛立ちがきつくなり、度が過ぎると手が出ちゃうことだってあるかもしれない。
子どもの泣き声って、身体は小さいけど遠くまで聞こえるよね?
全身で泣くよね?
人目を気にせずにさ。
ある意味羨ましい気もするんだよね。
大人になるとそんな風にはいかないじゃん。
年齢を重ねる毎に、行動に【遠慮】というものがついてくるように思うの。
人目も気にするし、泣くときも大声を張り上げて「うわ~ん」と泣けないじゃん。
どちらかというと声を出来るだけ出さないようにして「しくしく・・・」って感じにならない?
これって、私だけなのかな?
そんな風に思ったのだ。
実は、願い事って、子どものような心を持っている方が叶いやすいと言われている。
余計な思考が入らない方が良い。
素直な方が良い。
大人になると、色んな経験に基づいて分析したりするから『本当は○○が出来れば良いんだけど、そんなの無理よね?』と思ったりする。
思い込みが邪魔をして、本当の気持ちから段々離れてしまうわけだ。
だから当然願い事は叶わないという結果になる。
今、私はお姑さんの事で毎日お祈りをしている。
『絶対に治る』と信じて、余計な思考を入れず、Instagramの方にもUPさせて貰ったんだけど、薬師観音様をお呼びしてお取り次ぎをさせて貰っている。
ただ、神様ルールとしてその人に見合ったことしか動くことが出来ない。
もっと良いように行動したくても出来ないのである。
如何に、日頃の行いが反映するか・・・って事なんだよね。
お姑さんは、本当に今まで家族のことに時間を費やし行動されてきた。
結婚してから、お舅さんの御両親を看取るまで懸命に行動されていたようだ。
そして、自分の御両親の介護をして看取り、お舅さんも看取った。
その良い行いはきっと反映されると思う。
なかなか出来るものでは無い。
その素晴らしさは、きっと神様もお分かりだろう。
私のすることは、あくまでもお取り次ぎだ。
神様は、身体が無い。
だから、私の身体を使って動かれるのである。
その許可を貰うのに時間がかかる。
私自身の魂分野で整っていないとお取り次ぎは出来ない。
なので、毎日メンタルを整えるのが一番苦労する。
これも私にとって修行だと思うので、良い機会を頂いていると思っているところだ。
今日も、お姑さんが入院している病院へ足を運んで着替えを看護士さんに渡してきた。
看護士さんに様子を聞かせて貰ったのだが、4月3日から熱も出ていないそうだ。
それだけでも一歩前進しているなぁ~と思って、安心して帰宅した。
『きっと良くなる』
『大丈夫・大丈夫・大丈夫』
毎日呟いているときっと願いは叶うはず。
潜在意識の書き換え作業中である。
最低21日間かかるが、良い方向へ向かうことだけを考えて取り組みたい。
そろそろ晩御飯を作ろうかと思う。
それまでに更新したかったのだ。
今日も、長文を読んでくれて有難う。
良い報告が出来る様にしたいな。