創建は養老2年(718)、八幡宮の総本宮 宇佐八幡宮(大分県)の分霊を勧請したのがはじまりといわれています。
八幡宮の神使は「鳩」。
八が鳩の姿をしています。
水源は倶利伽羅山中の「鳩清水」の滝。
木曽義仲が山中行軍の折、白鳩が飛来し、
その案内で源氏軍が清水を得たと伝えられています。
「富山の名水」に指定されています。
寿永2年(1183)、平維盛との戦(倶利伽羅合戦)のため、倶利伽羅山の北の外れ埴生に陣を取った源義仲は木立の間から八幡宮の屋根を見つけ、この戦いの勝利を確信し戦勝祈願の願書をしたため奉納しました。すると雲間から山鳩が三羽飛来し、白旗の上をひらひらと舞ったといわれています。この祈願は平家物語や源平盛衰記に記述されています。また願文は後に「木曾願文」とよばれ、名文とされ県指定文化財に指定されています。以来、佐々成政 武田信玄、前田利家などの戦国武将も埴生護国八幡宮を信仰しました。
木曽義仲公願書碑
「源義仲騎馬像」青銅製重量5トン高さ10メートル
苔むした石段はまるでグリーンカーペットの様です。
木漏れ日に照らされた屋根には梅鉢(加賀梅鉢)の神紋が金色に輝いていました。
本殿は慶長5年(1600)加賀藩二代藩主前田利長から寄進され埴生八幡宮は「護国」の敬称をうけました。以来、釣殿、拝殿の寄進、弊殿改築と加賀藩から手厚く保護されてきました。
国指定重要文化財に指定されています。
こけら葺きの屋根の重厚感に歴史を感じます。
参照文献「木曽義仲と埴生」 観光ガイドブック
「ふるさとガイド 小矢部」小矢部市
社殿の周りに鬱蒼と茂った大木。その木立が風に揺ぐ音が、兵どもの足音に聞こえてきます。
義仲は何を想って陣を構えていたのでしょうか。。。
ところで、今年初めて、蝉の声を聞きました。北陸にも夏が来ました!