小矢部市商工会女性部の皆さんと観音寺を訪れ、ご住職のお話を伺いました。
お寺の歴史や真言宗の教えについてのお話を伺いました
不動明王
三十三観音像
観音寺は白鳳7年(678)法道上人の開基。真言宗のお寺で、北陸三十三ヶ所観音霊場の第26番になっています。
空海(弘法大師)が観音寺に一泊の折、夢でお告げを賜わり、自刻の観音像を安置したといわれています。天正17年(1589)、今石動城主・前田利秀の寺院集中策により現在地に移りました。
護摩を焚くため黒褐色になったという観音堂は神仏分離で廃された倶利伽羅の長楽寺から移築されたものだそうです。本堂は明治初期、廃仏毀釈によって伏木の国泰寺から移築されたもの。延命地蔵は、信州松本から立山信仰の中心地として栄えた芦峅寺に寄進され、神仏分離で倶利伽羅の長楽寺に移され、さらに明治9年(1876)に観音寺に移されたそうです。お地蔵さんの体には、信州松本の立山信仰の信徒さんの名前が3,000余り刻まれています。
また、芭蕉十哲の一人・各務支考が自ら死んだと言いふらし、姿を隠し、正徳5年(1715)から観音寺に滞在しました。享保2年(1717)には、お寺の中庭に獅子庵を建て享保5年(1720)まで滞在しました。
観音堂(後)・延命地蔵(左)・各務支考の句碑(右)「蝉の羽も 暮れて杉間の 月ほそし」
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