ぜんきちの365日

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年の瀬の話題

2015-12-08 09:00:24 | 日記
 年末になると必ず話が出てきます。忠臣蔵。

 江戸時代、赤穂浪士の浪士たちが旧主の仇を討った事件。
 1971年(元禄14年3月)、播州赤穂城主浅野長矩(ながのり)が江戸城中において高家吉良義央(よしなか)に
 切り付けた事件に対し、幕府は長矩を切腹させ赤穂藩をとりつぶすという厳罰をもってのぞんだ。これは長矩の場所を
 わきまえない行動をとがめたもので、喧嘩とみなさなかたから、相手の義央には何の処罰も無く、ただまもなく自ら
 退役隠居しただけであった。これ以上は長くなるので末尾だけを

 12月14日夜、大石以下46人の同士は江戸本所の吉良邸を襲って復讐をとげ、翌朝芝泉岳寺の墓前に義央の首を
 ささげたうえ、幕府へ届けてその処遇をまった。幕府は翌年2月にいたり全員に」切腹を命じた。(46人のほか、
 討ち入り当夜逃亡した寺坂嘉右エ門野信行を加えて四十七士とも呼ぶ。