いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

宮柊二とサンフランシスコ条約~恥と怒りの構造~

2019-06-20 20:48:51 | 短歌


戦後を生きる宮柊二は、自分を時代に合わせて作風を変える、
ということがなかった。
戦争体験が深すぎて、底流を流れる悲哀が秘めることもできずにうごめいているのだ。
1952年4月、日本がサンフランシスコ条約を結んだ時も、
手放しで喜んではいない。

いつの世もあはれにて人は権につく日本人ハビアンまた萄人沢野忠庵

ハビアンはイエズス会に入り、布教につとめる。後、棄教し、幕府の切支丹弾圧に協力する。
沢野忠庵はポルトガル出身のイエズス会の司祭である。禁教令施行後も、日本に残留潜伏して布教につとめるが、捕らえられ、棄教。長崎奉行の配下に入り、キリスト教を攻撃する。
2句目「あはれにて人は」に注目したい。作者のこころがこもっているのは間違いないが、内実がはっきりしない。
共感したり、同情したりしているのではない。
しかし、嫌悪しているのでもない。
人間はこういうものだ、という哲学に支えられている。
通底するのは「恥」の意識だ。
条約に対しても、直接的に肯定、否定するのではなく、人間性のひとつの帰結、とみているのだろう。

……

回想はとどめがたしも世の常にいやしきものは驕るとおもう
占領の解かるる夜半にかすかなる誓いをたてぬ自らのため
いきどほり抑えかぬる自嘲わきあざなふごときおもひして聞く
人のごとおこなひえぬを恥として常にしりぞき諦めきたりぬ

……
「思想とは生活の謂たとふれば批評のごとき間接をせず」というように、
生活に立脚しようという意識なのである。

次のような、他の歌人の歌と読み比べれば、それははっきりする。

……

独立の今日とよろこべ思ひ深く我ひと共に笑顔にならず(窪田空穂)
焼け跡の庭につつじのさき照れば朝しばしあり七年の後(土岐善麿)
吾のゆびしきりにふるへ寂し寂し白き爆撃の画面想ひて(近藤芳美)

















チェーホフと宮柊二の呼応~逃げるところなし~

2019-06-20 20:19:59 | 短歌


「よくない生活とみたら潔くそれを振り切って、生まれ故郷も生まれた古巣も棄てていけるのは、非凡な人間だけなのだ…。」

これは、チェーホフの「シベリアの旅」のなかの一節である。
これに響きあうように、宮柊二は、次の歌を詠んでいる。

英雄で吾らなきゆゑ暗くとも苦しとも堪ゑて今日に従ふ

この呼応をみるとき、わたしたちのこころにせつなさが響いてくる。
宮も、おそらくは、戦後の現実から逃げたかったのであろう。
また、過酷な闘いを経過した自分を、忘れたかったに違いない。
しかし、生活があり、家族がある。
宮は、長男である。
家族とのことを次のように詠んでいる。家族詠といっていいだろう。
……

涙ぐみ母黙りをり因循を責めらるる父責めてゐる弟
おろおろと声乱れこし弟が立ちゆきて厨に水を呑む音
汝も吾もたまたま遭ひて今日の日に言ひたきことを言へば鋭し
妹のいつか老けつつ家ごもりよき青年と遊ぶこともなし
嫁がざるままに過ぎ来てわが姉が老ひて床臥す父を怒れり
自らを守らむとしてやや貪にたくはへ秘めて姉老いそめぬ

……
年老いた両親、弟、姉妹との関係。
戦争の傷跡、家族という重荷、歌人としての自分が絡み合い、自由な動きを制限していく。逃げ場はない。

戦争体験者ゆえの屈折感を、癒す道は、絶えてないのだ。
























東京裁判に思う~宮柊二のたじろぎ~

2019-06-19 20:14:14 | 短歌


戦後短歌のエース、宮柊二と近藤芳美。
近藤芳美は、あらかじめ、新しい短歌を提唱しており、
それゆえ、戦後の歌壇に自らの力を注ぎ込んだ。
それに対し、宮柊二は、伝統的な精神を受け継ぎつつ、
自らの作品をもだえ苦しむように作らなければならなかった。

東京裁判についても、連作「砂光る」を発表したが、
なにか、割り切れぬ、魂の底がゆらいでいる、
そういう歌たちであった。
25名のA級戦犯、そのうち7名の死刑確定、
という判決を、複雑な思いでラジオを通して聴いたのである。

……

重ねこし両手を解きて椅子を立つ判決放送の終わりたるゆゑ
二十五名の運命をききし日の夕べ暫く静かにひとり居りたし
硝子戸越しわが胸板に射して来つ淡淡し霜月十二日の夕陽
放送をききゐしあひだわが視野に花小さく立ちてをりし向日葵
苦しみていくさののちを三歳経し国のこころを救ひたまはな
金色に砂光る刹那刹那あり屋出でて孤り立ちし広場に
こころ深くなれば聞きゐつこの夕べわが耳もとにあそぶ風あり

……

とくに、第5首の「国のこころを救ひたまはな」というフレーズは、宮の
実感を詠ったものであろう。
国の苦しみは、敗戦後三年たってもかわらないし、宮自身が、救われる思いをもっていなかったことが感じられる。

そこを、どう突破できるか、ということが、
宮の悩みであり、思想の萌芽でもあったのだろう。


























新・短歌鑑賞②~とどまらざらん~馬場あき子

2019-06-19 18:04:55 | 短歌


馬場あき子。
昭和3年東京生まれ。「かりん」主宰。元「朝日新聞」歌壇選者。
歌集「桜花伝承」「葡萄唐草」など。
歌壇を代表する歌人である。
……

夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん

夜中、たまたま目覚めて外を見ると、そこには激しく花を散らす桜のひと木が。人の営みとは異なる時間の中で、いつまでも限りなく散り続ける花。花が散るという儚いはずの時間が、結句の「とどまらざらん」によって、永遠に続く時間であるように錯覚させる。馬場あき子には桜を詠った名歌が多いが、桜と時間が、分かちがたく結びついている歌が多い。次の一首も桜の巡りの中に、人生時間をしみじみ感じとるという構成になっている。

……

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり









新・短歌鑑賞①~3000の髪そよぐ~

2019-06-19 17:35:15 | 短歌


福島泰樹。
昭和18年東京生まれ。「月光の会」主宰。
歌集「バリケード・1966年4月」「茫漠山日誌」など。

福島泰樹は、学生として、60年代の学生運動にかかわった。
その経験から、多くの短歌を紡ぎ出した。

……

一隊をみおろす 夜の構内に3000の髪そよぎてやまず

60年代学生運動のさなか、指導者として、バリケードを築き、体制に抗した。
校舎の上に立てば、眼下には「構内」を埋め尽くした同志たちの「3000の髪」がそよいでいる。「髪」といえば、普通は、「美」や「やわらかさ」を表すが、ここでは「たたかい」や「意志」を象徴している。夜の中の髪、黒の中の黒、そこに青春の高揚と不穏な詩情があふれている。

………

その日からきみみあたらぬ仏文の 二月の花といえいヒヤシンス

学生運動の旗頭で会った作者に、同志がいた。ところが、いつもは講義に出るのに、今日もその姿が見えない。恋心とも詩情ともつかぬ思いが、頭をよぎる。

……

二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ

激しい戦いの中で、傷つき、疲れている。そのような中でも、ユーモラスな感慨がわいてくる。何も感じてくれない電車にやつあたりしているのだが、いくら騒いでも、暖簾に腕押し、の当局へのいら立ちを言いたいのかもしれない。


























戦争の中の歌~死屍累々~

2019-06-17 21:25:58 | 短歌


しばらく宮柊二の作品と、戦後の生きかたをたどったが、
戦争中の歌は、彼以外の多くの戦士が残している。
宮柊二の「山西省」のような芸術的な高みに達していなくても、
それなりに価値の高い歌は多い。
いずれも、日中戦争時の兵の作である。

……

次々に担ぎこまれる屍体、みんな凍ってゐる、ガツガツ凍ってゐる
背に負へる戦友の御骨に花一枝添へて行軍けふも続くる
銃眼より覗きて見たる眼のまへにうつ伏せに敵の兵死にており
幾列か雁渡る見つつ追撃のいきつくひまぞ故郷思いいるづる
照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に

……

こうした作品群を生んでしまった国家のありようは、いかに評すべきであろうか。


















湘南のサーファーたち、踊る

2019-06-17 18:20:20 | 短歌

昨日は、晴れ渡ったものの、
湘南には強い風が吹いていた。
荒波が押し寄せ、サーファーの群れが波乗りを楽しんでいた。
湘南ではおとなだけでなく、子どももサーフィンをする。
最年少は、4歳くらいで、小学校1年生ともなると、
大勢の子が、波乗りをする。
浜は、強い風にあおられて砂紋が連なっていた。

2首。

……

湘南の浜に寄せ来る荒波に高く飛び乗るサーファーの群れ

ますがしき湘南の浜風つよく砂紋あらわれたゆたう光





























宮柊二の歌③~旧約聖書との接点~

2019-06-15 20:51:52 | 短歌

宮柊二は、戦後になっても、
必ずしも幸福にはなれなかった。
戦争での体験から、素直な悲しみや喜びにひたることができなかったのだ。
その一端として、
旧約聖書を題材とする作品がある。
詩編第80章を意識している。
古代イスラエルの教典からとり、日本の再生を願ったものといわれる。

……

なんぢ葡萄の樹をエヂプトより携え出しもろもろの国人を逐ひ退けてこれを植えたまゑり

汝その前に地を設け給へしかば深く根差して国に蔓れり

その影はもろもろの山を庇ひその枝は神の香柏の如くにてありき

その樹は枝を海にまでのべ其若枝を河にまで延べたり

汝いかなれば其垣を崩して路ゆく凡の人に摘み取らせたまふや

……

(詩編第80章)
イスラエルを養う方
ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ
御耳を傾けてください
ケルビムの上に座し、顕現してください
エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。
目覚めてみ力を振るい
わたしたちを救うために来てください。
神よ、わたしたちを連れ帰り
み顔の光を輝かせ
わたしたちをお救いください。
(以下略)
























































宮柊二の歌②~終戦直後の深きまなざし~

2019-06-14 21:43:42 | 短歌

終戦直後、
宮柊二は、復員(戦争から帰る)して、黒部に遊んだ。
次の5首をつくっている。

たたかひを終わりたる身を遊ばせて石群れる谷川を超ゆ
河原来てひとり踏み立つ昼時の風落ちしかば砂のしづまり
砂分けて湧き出づる湯を浴まむとしつぶさに寒し山のはざまの
山川の鳴瀬にむかひ遊びつつ涙にじみ来ありがてぬかも
めぐりたる岩のかたかげ暗くして湧き清水ひとつ日暮れのごとし

ここでは、戦争が終わったという安心感も、解放感もない。
また、平和な生活がまっているという喜びも感じられない。
むしろ暗く、くぐもっている。
次のような歌人の歌とは、一線を画している。
戦争を肌身に感じて戦ってきたからだろうか。

聖断はくだりたまひて畏くもあるか涙しながる(斎藤茂吉)
戦ひに果てし我が子も聴けよかしかなしきみことをくだし賜うなり(釈超空)
あなうれしとにもかくにも生きのびて戦ひやめるけふの日にあふ(河上肇)





























与謝野晶子の歌⑪~色彩の魔術師~

2019-06-14 21:21:03 | 短歌


与謝野晶子は、処女歌集「みだれ髪」の中で、
色彩感覚にあふれた作品を多く発表し、
与謝野鉄幹の「明星」にも、そのような歌を
多く投稿したことが知られる。

……

百合にやる天の小蝶のみづいろの翅にしつけの糸をとる神

この歌では、百合の「白」と蝶の「みずいろ」の対比が
たいへん美しい。
ほかにも
「ここちよく青みわたれり紅の椿のもとの一寸の雪」
など、色の名を多用し、情景を鮮明に歌い込んだ。

……

いにしへのクレオパトラを飾りたる玉の色してめでたきダリア

ダリアは、品種が多く、花の色もさまざまだが、クレオパトラの身を飾った宝玉は何色だったのだろう。
「あな恋し琥珀の色の冬の日の中に君あり椿となりて」
という歌もある。

……

晶子は、デパートの顧問として、流行色の命名にかかわり、色の美しさを再発見したといわれる。歌のみならず、童話でもくっきりした色を使って、独特の世界を構築した。








































宮柊二の歌①~死体とともに~

2019-06-14 20:49:17 | 短歌

河原より夜をまぎれ来し敵兵の3人迄を抑へて刺せり

宮柊二27歳のときの歌である。
歌集「山西省」に収められている。
過酷な戦争(日中戦争)の中の出来事である。

少々説明せねば、状況がわからないだろう。

宮柊二
1912年生まれ、1986年死亡(74歳)。
商家に生まれ、分けあってエリートの道に進むことなく家業を継いだ。
歌人北原白秋に師事し、富士製鉄に勤める。
日中戦争が勃発し、1939年に招集され、中国山西省にわたる。
一兵卒として、戦争の第一線で戦う。
はじめに挙げた歌は、そういう生活の中で生まれた歌である。
宮は、薦められたのにもかかわらず、幹部候補生になることを拒否した。

理由は、次の歌から推測できる。

おそらくは知らるるなけむ一兵の生の有様をまつぶさに遂げむ

幹部でなく、最前線の一兵卒として働く道を自ら選んだのである。
次の歌も、そのような体験から生まれたものである。

……

自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつは振り返りみず

胸元に銃剣受けし捕虜ふたり青深谷に姿を呑まれる

5度6度つづけざま敵弾が岩を打ちし時わが軽機関銃鳴り初む

不覚の涙落とせり隊長を担架にゆりて担ぎ上げしとき

……

戦後、宮は製鉄会社に勤めつつ、歌人として短歌結社「コスモス」を運営し、
歌を発表し続けた。













































令和の衝撃②~味わい深いつじどう会の歌③~

2019-06-12 19:54:09 | 短歌


平成・令和のの御代にまたがる十連休 みどりの日なり 突然雹雨

……

令和の世になった。
はじめから、衝撃的な事件があった。
高齢者の起こした交通大事故。
凶悪な殺人事件。
そして、突然雹雨が降り、畑が穴だらけになってしまった。

こういう事件が、令和を象徴するものなのかもしれない。
厳しい時代である。
高齢者が増え、それを支える若い人も苦しい日々を送らねばならない。
この新しい世を迎えるにあたり、
わたしたちは、強い志をもって生きていきたい。









令和の衝撃①ティアラ~味わい深いつじどう会の歌②~

2019-06-12 19:43:54 | 短歌


令和になって、世の中のことどもも
どんどん変化していく。
雅子様は皇后になられ……

……

雅子様頭上に輝く「皇后の第1ティアラ」令和の初日

(解釈)
令和の世になった。
天皇陛下も即位され、雅子様も皇后さまである。
頭上には、ティアラがある。
ティアラとは、明治時代以来、皇后しかかぶらない帽子である。
明治、大正、昭和、平成、令和、と5代めを迎える。
ティアラには、世界第3位という大きなダイヤモンドがつけられている。
やっと、雅子様は病から解放されるように思われる。
愛子様は、出生直後から、極めて優れた資質をあらわしておられる。
女性天皇、というものがあってもおかしくないのではないか……。





















味わい深いつじどう会の歌①

2019-06-12 18:39:17 | 短歌


藤沢市辻堂で開かれれるつじどう会の短歌。
5人の同人が、自作を発表、合評する。
それぞれに、人生の明暗を過ごし、ここに集まるわけである。

①なりわいに何をし選ぶ二十五歳の君は 心の病を十余年過ごして

(解釈)
友人の息子が、十歳の時から不登校になり、心の病をかかえたまま、二十五歳になってしまった。
何もしてやれないし、先はかなり厳しい。せめて、心を寄せて、見守ろうと思うのである。

②赦したし 障がいゆえの物言いに 応えかえして錐でもまるる

(解釈)
障がいのある友人と優しく交わりたい。コンプレックスを感じさせないよう、つつましく付き合うことを心掛けている。ところが、突然不条理なことばを浴びせられ、心が驚く。赦したいのはやまやまだが、どうしても心がついてゆけない。悲哀を感じつつ、今日も生きていかねばならない。

③なべてみてやさしきひとのよにありてなぜにあらそうなぜにあらがう

(解釈)
人は優しいものだ、心底から信じ、交わりを結べば理解しあえる……などと考えるのは甘いことくらい、わかっている。しかし、現実は現在進行形で進んでいく。もし、神ならせば、上記のような言葉を世に告げるのだが……。
















不快指数、赤いべこ~~英訳

2019-06-10 20:18:11 | 短歌


短歌の英訳について、書いたことがある。
日本の短歌が、英訳されることが多い。

今回は、俵万智作の2首を例にとって紹介しておきたい。

……

不快指数
信じて過ごす木曜日
元気がないのは天気のせいだ

It'sThursday,
which I will pass, believing
accident statics.
I don't feel well at all.
It's probably the weather.

……

吾の部屋の
キーホルダーにつながれて
時々首を振る
あかいべこ

There is attached
to the keyholder
for my room.
a small red cow who sometimes
pensively shakes her head.