わたしは、
オヤジが好きだった。
欠点だらけでも、
酒臭くても
入れ歯が臭くとも、
好きだった。
彼は、
「放任主義」
を
自称していた。
しかし、
よく働いてくれた。
大学まで出してくれた。
将棋の相手としても、
絶好であった。
家は、広島の原爆ののとき、
爆心地から
300めーろるのところで、
両親、祖父、姉2人、妹2人失った。
海軍に入隊して、
横須賀から帰ってきたとき
残ったのは
疎開していた
2人だけ。
20歳であった父と
中2と小2の
3人と、
焼け跡から
木材を集めて、
バラックをたてて
生活した。
それまでの苦労、
それからの苦労も
並みではない。
そういうオヤジに育てられた。
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