宮柊二が、今後も大切な歌人として語られるであろうことは確実である。
戦後短歌の旗手として、近藤芳美と並び称されたことは間違いのない事実だと言える。
北原白秋のもとを去ってから、芸術家と俸給取りという2面を持たざるをえなくなり、
そのことが、彼を煩悶させた。
現代の芸術家にも通ずるこの通底音を、しっかりと把握しておくことは大切である。
このような視点から、3首をとりあげ、
鑑賞しておく。
悲しみを耐へたへてきて某夜せしわが号泣は妻が見しのみ
わが一世喘ぐに似つつすぎむかと雨の夜明けの蛙ききをり
十年を苦しみ共に生きてきてまだ苦しまねばならぬこともある
これらの歌に見られるように、個人として、勤め人として、夫として、
各々の立ち場の相克の中で、中間者としての存在という位置を選び、
芸術性を高めていった、というのが、宮柊二の世界の総合的な歴史だと思う。
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