亡くなった母が枕元に立っていた。
私が見慣れたブルーの爽やかな夏服のワンピースを着て。
目覚める時に、
私は父に、弟と同じくらい
愛して欲しかったんだなあ〜
という文字が浮かんだ。
弟やその嫁さんと同じように、
私を愛して欲しかったんだなあ〜と。
夢の中で、文字が浮かぶというのは、
私には結構あることで、
目覚めてから、何だかその言葉が、胸にストンと落ちた。
ああ、私は父から愛されたかったんだなあ、
だからあんなに怒っていたんだなあ〜と。
なんだか帰って来てからの、胸のモヤモヤが
取れた気がした。
怒りをようやく手放せたと言うか。
田舎に帰っていた間の2週間で、
私は四キロも太った。
甘い物が常時側にあり、会葬御礼で使ったカステラが三箱も余ったりして、
そんな物を口に入れていた。
何だか無理やりって感じで詰め込んでいた。
甘い物を欲しがる時には、褒めて貰いたい時なんだそうだ。
自分の働きに対して、誰も褒めてくれないので、人は甘い物を食べて自分で自分を慰めるらしい。
今思えば、向こうへ帰ってからの2週間、しゃかりきに働いて、父の面倒も見て、合間には銀行間を走り回り、相続の問題で不動産屋に聞きに行き、母の遺品整理、二階の片付けをしたり…と、
一日中高麗鼠のように働き、
また、大量のゴミを捨て、要らないものをリサイクルショップへ売ったり、母の大量の服を洗濯、アイロンがけして、福祉事務所にあげたりと、7面六臂の活躍をしながらも、
弟には遺産問題で噛み付かれ、どつかれまでし、その嫁さんからは、自分達のために働いている私達に対してのお礼の一言もなく、
一緒にいた父からは、早く片付けて弟夫婦に引き渡せと言われ、
本当にストレスフルな生活をしていたんだなあと思う。
だからカステラを三箱も食べる羽目になったんだわ!
私的にはあんな弟夫婦と暮らしたがる父にも失望していたし、
なんだか私を大事にしない、父にも怒りが湧いていたんだと思う。
私が散々やってあげたにもかかわらず、
ありがとうの一言もない父に。
何だか自分たちの生活のために、利用されたという気持ちになってしょうがない。
弟と暮らしたいが為に、娘を売ったとしか思えない。
そんな父の所業に絶望し、嘆いていたんだなあと思った。
愛されたかった、
父にもっと愛されたかった。
もっともっと、大事にされたかったんだよなあ〜とは、
私の本心だったのだろう。
ようやくその気持ちに気づけて、
受け止める準備が出来て、
そうして今朝やっと、
許す事が出来たんだろう、
と思った。
人は愛してくれない人を
愛してはいけないのだ。
それはその人を地獄へ叩き込む行為だから。
愛されなかった時、人は、
ああ、愛されなかったね〜…と
自分を慰め、
愛してくれなかった人を手放すしか
ないのだ。
決してそこに執着してはいけない。
それが今まで生きて来た私の持論なのだ。
執着すれば、愛憎のドロドロに巻き込まれ、嫌な思いをするだろう。
苦しんで苦しんで、嫉妬の炎に苛まれることだろう。
だから、人は愛されなかった時、
思い切ってその人を手放すのだ。
そうすれば、未来は開ける。
必ずそうなるのだ。
でもそのためには、まずは、
私にはこの一年、何が起こったのかを、
検証する時間が必要だったのだ。
怒りや悲しみを消化する時間が…。
そして、今朝やっと分かったのは、
私は父に愛されたかったという事。
弟たちにかける愛情の半分くらいでも、
私に掛けて欲しかったという事。
ありがとう、よくやってくれたねと
言って欲しかったんだなあという思いだったのだ。
けれど、自分の気持ちに気付いたのなら、もう大丈夫。
私は私の人生を生きることができるわ。
彼らに振り回されずに、と思いました。
今日は爽やかな一日になりそうです。
ありがとうございます。
そして、お母さん。
それをわざわざ伝えに来てくれたんだね。
無駄に苦しんでいる私を見かねて、
来てくれたんだね。
あんな奴に執着することなんてないよと、
そう教えに来てくれたんだね。
ありがとう。
あなたには感謝しかありません。
どうぞあちらでも平穏に暮らして下さいね。
いつもありがとう!
思いを込めて。
☆それでは今日もよい一日を。