昨日、勉強していたら、こんな言葉に出会った。
「刺激体としての乳幼児」。
これだけでは一体、何のことか分かりませんね。
実は、これは、初めて子どもを持った親に起こる現象とのことです。
赤ちゃんが泣きますね。
まあ、当然のことですが・・・。
そうすると、親は、赤ちゃんに同一化すると同時に、
自分の両親とも同一化してしまうということなのです。
つまり、自分の赤ちゃんを泣いてかわいそう・・・
などと思っているうちに、自分が小さな赤ん坊にリンクして
しまい、自分が子どもの時には、両親がこんな風だった
なんて思い出してしまいます。
それと同時に、両親の立場にもなり(つまり今度は自分が親の立場になり)、
泣いている赤ちゃん(自分)を見つめるという
二重構造になってしまうというのです。
それは、別に母親だけではなく、
父親にも起こる現象なのだそうです。
不思議ですね~。
しかし、もしかすると、お子さんを
お持ちの方には、案外すんなりと理解できることなのでは
ないでしょうか?
というのも、実は私にも経験があるのです。
私の場合には、これがあとあとまで尾を引いて、
自分と子どもとの関係、そして親との関係を
どうしても一度見直さざるおえなくなったのでした。
人間というものは、つくづく不思議な生き物だと思います。
過去の記憶や体験というものは、決してなくなっているわけではなく、
いつでもチャンスさえあれば、スッと思い出されるものなのですから・・・。
そうして、前進するチャンスを与えてくれるというわけです。
ったく、大変です。
苦しい・・・です。
でも、自分の成長のためには、そこは避けて通れなかったのかな・・・?
なーんて、今ではそんなことを思ったりしています。
そんな私の体験です。
「冬の旅」
「刺激体としての乳幼児」。
これだけでは一体、何のことか分かりませんね。
実は、これは、初めて子どもを持った親に起こる現象とのことです。
赤ちゃんが泣きますね。
まあ、当然のことですが・・・。
そうすると、親は、赤ちゃんに同一化すると同時に、
自分の両親とも同一化してしまうということなのです。
つまり、自分の赤ちゃんを泣いてかわいそう・・・
などと思っているうちに、自分が小さな赤ん坊にリンクして
しまい、自分が子どもの時には、両親がこんな風だった
なんて思い出してしまいます。
それと同時に、両親の立場にもなり(つまり今度は自分が親の立場になり)、
泣いている赤ちゃん(自分)を見つめるという
二重構造になってしまうというのです。
それは、別に母親だけではなく、
父親にも起こる現象なのだそうです。
不思議ですね~。
しかし、もしかすると、お子さんを
お持ちの方には、案外すんなりと理解できることなのでは
ないでしょうか?
というのも、実は私にも経験があるのです。
私の場合には、これがあとあとまで尾を引いて、
自分と子どもとの関係、そして親との関係を
どうしても一度見直さざるおえなくなったのでした。
人間というものは、つくづく不思議な生き物だと思います。
過去の記憶や体験というものは、決してなくなっているわけではなく、
いつでもチャンスさえあれば、スッと思い出されるものなのですから・・・。
そうして、前進するチャンスを与えてくれるというわけです。
ったく、大変です。
苦しい・・・です。
でも、自分の成長のためには、そこは避けて通れなかったのかな・・・?
なーんて、今ではそんなことを思ったりしています。
そんな私の体験です。
「冬の旅」
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