私の本の感想がなかなかネットに上がってこないなぁ・・・と思っていたのだけれど、
昨夜検索していたら、レビューが一件上がっていて、
それが、否定的な意見だったので、へこんだ。
こちらの意図をまったく理解していない、こういう読者は、かならず批判をしてくるんだよな~。
それは、単に、自分の思いと違うから、というだけで書き込むのだ。
私にとって「百害あって一利なし」なのだが、
かき込む人は、文句を言いたい人であって、
「良かった」と思う人は、なかなか書いてはくれない。
だから、批判ばかりのコメントでも、本当のところはどうかは分からない。
心ある人は、そもそもレビューを書こうということすら、思いつかないだろうから。
しかし、困るのは、こういう人の意見がまかり通っちゃうこと。
この人しかレビューを書かなければ、デジタルタトゥーじゃないけれど、この人の意見しかでてこないということなるので、この人の意見が全てだと思われてしまう。
私はこの本の中で、被害者がいつまでも苦しんで、なかなか被害感情から抜け出せないことを、
世間の無理解がそうさせている、つまりは、被害者の感情を理解出来ない世間の批判が、
被害者に二次被害を起こさせていると書いたのだが、それすら、この人には伝わらなかったらしい。
正直、こういう人が、被害者を被害者たらしめているのだがね。
(この人は、主人公が、本の半分まで憎しみを抱いているのが、嫌だと書いてあった。)
そうして、いとも簡単にこういうことを言う人は、本当の意味で、酷い目に遭ったことがない人だ。
人生は平板で、何も恐ろしいことも起きず、半ば退屈しているのだろう。
そうした高見から見下ろして、他人の苦しみを平然と批判する。
「あんた、いつまで、恨み言いってんのよッ!そういうの、良くないよッ!」と。
本当の〇ホだと思う。
そして、こういう世間の言葉を、ちゃんと本書の中でも書いたけれど、
自分のことだとは思いもしなかったようだ。
まったく、本が読めない、文章が読み取れない人だと思う。
行間を読む―とは、小説を読むときに言われる言葉だが、
それすら、今は死語になっている。
伏線、伏線とうるさいくらい言われて、
万事丸く収まらなければ、小説ではないみたいな言われ方をする。
大体、伏線というのは、シナリオ用語であって、一般的に小説では使わないのだが、
大量のシナリオライター崩れが、小説界に湧いてきて、あっという間に、小説作法を
壊してしまった。
その中の一人が私だけれど、それでも、立ち入ってはいけないところは、一応は、
わきまえているつもりだ。
しかし、伏線回収という、あまりにも分かりやすい書き方に慣れてしまった読者たちは、
そうでないと不満に思うらしい。
小説、特に、純文学では、こんな書き方はしない。
分からないものは、明らかに分からないのだ。
それは、書き手にゆだねられている。
読者は、その世界観を犯さず、端っこの方で堪能させてもらうだけだ。
まあ、読者を甘やかしたツケが、今、こんな発言に表われているのだろうと思うが・・・。
本当に、〇ホだと思う。
読んでくれたこの人には悪いけれど。
でも、悪口書かれたこちらとしても、このくらいは言ってもいいかな?とは思うよ。
まあね、悔しいけれど、こういう事もあるんですよ。
世間に公表するというのはね。
まあ、私の元に届いている友人、知人は、好意的な意見だし、
別のブログで本書の事を取り上げてくれた方も、こちらが
思ってもみない考察を見事に書いてくれたりもしたので、
有難かったです。
感謝です。
たけぴよさん、ごめんなさい💦
勝手にリンク貼らせてもらいました。
感想、ご高察、感謝申し上げます。
まあ、こういう方もいらっしゃるので、
私などは、もっているようなものですよ。
さて、私もしばらく停滞していたのですが、春風とともに、
すこしずつ、モチベが戻ってきているので、新作にそろそろ
取り掛かる事にしましょう。
ありがとうございました。
☆それでは今日もよい一日を。
感謝します。
すべては上手くいっている。
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