☆shining DAYS☆

どんだけ痛いタイトルであろうと、
それはもう呪うしかない、当時の私を

マラソンとコスプレ、変わったなぁ、私

ジグソーパズル

2022年04月03日 13時01分59秒 | 日記
いったいどれほどの人が「ジグソーパズル」という言葉を発しただろうか、直近一週間で。
私はない。
考えて考えてみたが、最後に「ジグソーパズル」と発したことは思い出せない。
もしかすると、今まで「ジグソーパズル」と発したことがないのではないか。
そう思うぐらいに、私は「ジグソーパズル」と疎遠である。

しかし、私だけなのであろうか。
世間のほとんどの人もそうではないのだろうか。
いや、それがわかったとしても、世間のほとんどの人がそうであったとしても、
だからどうした?ということなのだが。

あのお店がいけないのだ。
先日、運動不足を解消しようと3駅ほど歩いた。
その途中、とある店先にこういった謳い文句があった。

「あなたのスマホの中の写真をジグソーパズルにしませんか」

これが、プリントしませんか?とかバックアップしませんか?とかならわかるし、
マグカップにしませんか?もひどく微妙だがギリギリセーフにしておけるくらいではある。
ただジグソーパズルはどうであろう?
はたしてこの世の中で「あぁ!そうそう、この写真ジグソーパズルにしたかったんだ!」という
奇特な人物がどれほどいるのであろうか。
奇特であるというのは私の勝手な感想であるとしても、ジグソーパズルにした人はいったいどうして
その結論に至ったのであろうか。
そして、プリントして額縁に飾るでなしにジグソーパズルにするということは、
そのジグソーパズルで遊ぶということになる。
自分で遊ぶのだろうか?それとも自分の子供や孫に遊ばせるのであろうか。
はたまた取引先の部長や懇意にしている喫茶店のマスターに遊ばせるのであろうか。

「いや、そういえばですね、私事で恐縮なんですがお気に入りの写真をジグソーパズルにしましてねぇ・・・」
「マスター、作っちゃったよ、コレ・・・」

なんていうやりとりがあるのだろう。
ジグソーパズルを遊ぶ時を想像できない私がいる。