☆shining DAYS☆

どんだけ痛いタイトルであろうと、
それはもう呪うしかない、当時の私を

マラソンとコスプレ、変わったなぁ、私

“ぼく”と「イイものはイイという」

2015年05月26日 21時25分35秒 | 日記
だいぶ昔のめちゃイケにて。

エガちゃんの一言物申すコーナーにて言い放たれた言葉。


江頭2:50「イイものはイイんだよ!」


たしかDA PUMPのISSAを褒めたんですよね、珍しく。

いつもであれば江頭アタックを喰らわせているのだけれど、

テロップも相まって「イイものイイ」という、ことだった。


それにあやかって、「イイものはイイ」があったんですよ。


SEKAI NO OWARI『RPG』


以前の職場での送別会でスタッフさんが歌っていたのを聞いていて、素直に「イイ」と思い、

今日、maimaiでプレイして、今エンドレスで聞いてます。


「イイものはイイ」

それでいいじゃないですか。





“ぼく”とファミリーマート

2015年05月22日 23時38分57秒 | 日記
一番思い出深いファミリーマートは

「南条SAのファミリーマート」

北陸の福井県にある南条SA。


3年前、休職して復帰して最初の職務が福井県での作業だった。

当時、石川県から通っていて、

いつも帰りの高速で南条SAに寄っていた。

片道1時間半でのオアシスだった。

よく初音ミクのビックリマンチョコみたいなのを買っていた記憶がある。


・・・今も、せっせと営業しているんだろうなぁ。

南条SAのファミリーマート。

これからも初音ミクコラボ、お願いします。





“ぼく”とBeForU

2015年05月21日 21時22分13秒 | 日記
今までの人生の中で、“ぼく”が唯一ハマってたアイドルグループ。

それが「BeForU」です。

詳しい説明は最後にコピペしてあります。


こんばんは。

流れ流れて トイレで踊る人です。


KONAMIの音ゲーにハマり、「BeForU」にハマる。

何とも自然な流れにございまする。

ライブにも行きましたし、グッズもたくさん買いました。

青春の1ページを書くにふさわしいものです。

オフ会にも参加したなぁ・・・。

参加したけど、誰とも仲良くなれず、勝手に一人ですっごい痛い目見たけどw

その後のオフ会では、とても良い人たちに巡り合えて本当によかった。

あの楽しかった日々は決して色褪せない・・・。


嘘偽りなく、そう思う。

ありがとう、「BeForU」






BeForUとは・・・

コナミが2000年12月に実施した「Dance Dance Revolution 5thMIX アーティストオーディション2001」で選ばれた小坂りゆ、Noria、代真、前原しゆなの女性4人により結成されたボーカルグループ。NAOKIというペンネームで知られる、結成当初のプロデューサー・前田尚紀は、BEMANIブランドの音楽を取りまとめるサウンドプロデューサーを務める。 ユニット名は一般公募により決められ、「あなたのために(私が)いる (be for you)」という意味のほか、『DDR』で発表された前田プロデューサーの代表曲のひとつ「B4U (ビーフォーユー Brilliant for you)」にかけられている。またデビュー当時からしばらくは「Be For U」とスペース入りで表記されていたが、現在は「BeForU」という表記が公式に用いられている。 グループとして、またはメンバーのソロ名義で『Dance Dance Revolution』(以下DDR)をはじめ、『GUITARFREAKS』(以下GF)、『drummania』(以下DM)、『beatmania IIDX』(以下IIDX)、『pop'n music』(以下pop'n)というコナミの音楽シミュレーションゲームのブランド、BEMANIシリーズを中心に、楽曲を提供。 作詞は小坂が、作曲と編曲は前田プロデューサーがそれぞれメインで担当。メンバーのソロ楽曲に於いては、dj TAKAやTЁЯRAのjun等他のアーティストも楽曲やREMIXトラックを過去に提供をしている。
コナミの通販サイト「コナミスタイル」から2003年11月28日に発売されたBeForUのファーストアルバムは、20,000枚以上を売り上げ、2004年6月に発売された小坂のソロアルバム「begin」、2006年2月に発売されたBeForUのセカンドアルバム「BeForU II」でも、コナミのオンライン流通販売のみにも関わらず、15,000枚を超えるセールスを更新している。
2004年3月、前原のメンバー脱退が発表され、それに伴い「BEMANIボーカリスト・オーディション2004」を実施。合格者の外花りさ、有沢みはる、南さやかが新メンバーとして加入。
このような軌跡を経て、2006年11月1日にavex modeからメジャーデビューシングル「Red Rocket Rising」が発売となった。メジャーデビュー後の彼女たちの楽曲作りにはLOVE+HATE、鳴瀬シュウヘイ、酒井陽一らが主に参加している。メジャーデビューに関して、前田プロデューサーがコメントなどをしていなかったが、最近では「LOVE+HATE=前田プロデューサー」説の信憑性が高まりつつあることから、公にはしていないものの、前田プロデューサーがメジャーデビュー後のBeForUにも楽曲製作に関わっていると推測される。
2007年12月、代真、有沢、外花、Noriaと相次いで脱退。 2008年2月、福下恵美・立花彩野・西内裕美が加入。後に南が体調不良を理由に脱退、引退を発表したことにより、現メンバーは小坂を含め4人で構成される



“ぼく”とネタTシャツ

2015年05月20日 21時46分24秒 | 日記
一昨日、そして今日と陸上競技場で練習してきました。


こんばんは、これでも一応陸上少年でした。

トイレで踊る人です。


一昨日は朝に、今日は夜に行ってきました。

当然のごとく、夜の方が利用人数が多く、

“ぼく”みたいに一人で練習している人はほとんどいません。

陸上部やチームで練習をしている中に、必殺大宇宙ひとりぼっち。

そして、feat.ネタTシャツ。

来ていたのは・・・





まぁ、いちいち人のTシャツ気にしている人なんていないでしょうからね。


思い返せば、この手のネタTシャツを好んで着ていました。

今は、昔に比べれば無難なTシャツばかりです。

昔はネタTシャツを介して、アイデンティティの確保を行っていました。


「こんなTシャツ着てるんだぜ?おもしろいべさ?」


てな感じで。


・・・「かもすぞTシャツ」、捨てちゃったっけか?

“ぼく”と宮島

2015年05月18日 20時43分12秒 | 日記
“ぼく”は2年間広島にいた。

世界遺産にも登録されている「安芸の宮島」からほど近いところに家があったが、

その2年間で5度ほどしか行かなかった。

近ければ近いほど行かないものである。

東京にいた頃に、20数年間ほど東京タワーに行かなかったように。


行くと必ず観光客が多かれ少なかれいた。

たしかに厳島神社も宮島水族館も素晴らしい。

・・・宮島水族館入ったことないけど。

お目当ての方が多い、大鳥居も荘厳である。

そして、鹿。

完全に人慣れしている鹿は宮島を我が物顔で闊歩している。

宮島においでの際は、ぜひ鹿を優しく生温かく見守ってあげてください。


・・・そっとしておいてあげてくださいな。




“ぼく”と牛乳

2015年05月17日 09時06分35秒 | 日記
あ、今日は走らないと・・・。

ただいま来月のハーフマラソンに出ようと画策中。

10km以上の大会には出たことがないトイレで踊る人です。


例に漏れず、小学校からほぼ毎日牛乳を飲み始めて、

およそ皆さんが少し距離を置くであろう高校の頃でも、

地元の牛乳屋に通う、牛乳少年であった“ぼく”。

・・・といっても、飲むのは大抵コーヒー牛乳だったりする。

幸いにも、“ぼく”は牛乳は難なく飲めるが、

嫌いな人にとっては、給食は辛かったんだろうなぁ、としみじみ思う。

よく話に挙がる「米と牛乳のミスマッチ」であるが、

“ぼく”は気にならない。

むしろ、今でもそのミスマッチはいつでもウェルカムだし、エブリデイようこそである。

そう言ったところで、共感者が増えるわけではないのだが。


早くアメリカみたいに瓶詰めの牛乳出ないかなぁ。






“ぼく”とヒトカラ

2015年05月14日 21時11分38秒 | 日記
中野→秋葉原と渡り歩き、

不要品を処分して参りました。

“ぼく”より大切にしていただける人の元へ行きますように。


こんばんは。

トイレで踊る人の憂鬱です。

めがっさ!



“ぼく”は大学時代にカラオケ店でバイトをしていた。

思い出しうる限り、その大学時代に初めてヒトカラなるものをしたはずです。

ある程度カラオケという内部事情を、自分なりに理解して、

「ぼっち」へのステップアップ―ヒトカラ―に挑んだのでした。

初期は、当時ハマっていたギタドラの版権曲を歌いまくってました。

その後は、当時当時のハマり曲を気ままに歌っていました・・・が、

20代後半になると、もう3時間は歌えなくなりました。

フリータイムくらい余裕だったんだけどなぁ・・・。


ヒトカラ = 衰えを思い出す行為


なわけなのですよ、“ぼく”の中で。



・・・今度2時間だけ行こうかな。

『六本木~GIROPPON~』歌いたい。






“ぼく”と島根県

2015年05月13日 22時26分48秒 | 日記
数年前に賞味期限が切れたエヴァデザインの缶コーヒーと、

涼宮ハルヒのお茶缶を売りに行ったら、買い取り拒否されました。

残当。


こんばんは。

スペース・トルネード・トイレで踊る人です。


つい数ヶ月前まで広島県に住んでました。

少し足を伸ばせば島根県ですので、

2年の間に3度ほど行きました。

定番の出雲大社、それから私の好きな「なつかし自販機」巡り。

印象に残っているのは、


・場末感たっぷりのバッティングセンター

→出雲大社から鳥取方面へ車を走らせている途中にあった、

 言っちゃ悪いが、お世辞にも繁盛しているとは思えないバッティングセンター。

 案の定、入ると管理人のおばちゃんがお友達らしきおばちゃんと話し込んでる。

 しれっとスルーして100kmのレーンに入るも15球目から機械が空転。

 結局、プレイ代300円の内の100円を返金してもらった。

 その後、少し話し込んだが「島根県民は排他的だ」みたいな軽いバッシングをしていた。

 それ言われてもなぁ・・・。


・道の駅「秋鹿なぎさ公園」での一人カヌー

→何と300円でカヌーを1時間漕げるのだ。
 
 漕いだことない?無問題!たった3分程度の漕ぎ方説明で宍道湖に放り出されるぜ!

 いや、本当に少しくたびれた救命胴衣をつけて、3分ほどのオールの使い方レクチャーで終わりなんですから。

 「立ち上がると一発で転覆しますからね」

 いや、スマホも財布も持ってるんですけど、エスキモーロールするようなことになりませんよね?

 「余程のことしなければ大丈夫ですよ~」

 いや、その余程がわからんのですが・・・。

 でも、そんな私でも悠々と漕げて、1時間宍道湖を満喫したのだから、大丈夫!

 けっこうマジなオススメです。


である。


夏休みは島根県へ行こう!

・・・強くは勧めないけど。






“ぼく”とギャンブル

2015年05月12日 23時19分36秒 | 日記
ギャンブルで大損した人の話を聞いたことがあるだろうか・・・。

ネットでは聞くものの、リアルでは聞いたことがない。

ただの見栄なのか、それとも本当に負けなしなのか。

真相は・・・特に気になりません。



こんばんは。

今日はかなり無駄な過ごし方をしてしまった、トイレで踊る人です。


初めてのギャンブルは、小学生の時でした。

祖父に連れられて競艇場で賭けました。

もちろん、祖父のお金でね。

たしか・・・1回だけ勝ったんだったかな。


次は高校卒業した時にパチンコ屋行って1500円負けて、

休職した時に4円パチンコやって3000円勝って、

地元でお正月にやって、トータル10000円負け。


結局負け越してます。


ギャンブルなんてやるもんじゃないね。

付き合い、以外はね。