☆shining DAYS☆

どんだけ痛いタイトルであろうと、
それはもう呪うしかない、当時の私を

マラソンとコスプレ、変わったなぁ、私

戦場の絆はとかく閉鎖的である

2012年09月23日 22時51分30秒 | 日記
野良で出撃するのも考えものだ。


こんばんは、2回目のマッチングでフリーズかましたPARIです。

久々の自己紹介でした。

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今日、ゲーセンに行ったら体調が悪くなった。

なんというか、胃液が上がってきてあいや~的な感じでした。

思わず車を止めて「いろはす」を買う始末。

絶対に買わねぇ!!と誓っていた「いろはす」を買う始末。

この始末。

即効家に帰って寝ました。

風邪にはお気を付けを。

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じゃ~んけん・・・コン!

これからを考える

2012年09月19日 23時24分07秒 | 日記
10年後を考える。
とても苦痛な事です。
なぜなら、想像した自分はとても惨めだからです。
さぁて、そうならないためには如何すべきか。

まずは自己管理という名の痩身ですね。
それと、この意識の変化です。

それからでよいでしょう。
そう思ってます。
妬みのないステージへ。

いやなゆめ

2012年09月15日 19時56分59秒 | 日記
ここのところ、嫌な夢を見る。
夢なのでところどころ物語が破綻しているがご容赦を。

昨日・・・
 なぜか女体化してくの一になる。
 そして、学校とおぼしき施設に侵入し、姫らしき重要人物をさらう。
 複雑に入り組んだ施設を縦横無尽に動き回るが捕らえられる。
 捕らえられた後、両刃の武器を差し出されボスである「かわしま あすみ」を殺せと命じられる。
 また、メスのようなもので仲間を殺せとも言われる。
 そして、それを2時間以内に遂行することを了承すると、急に自白剤のようなものを首に打たれて、夢終了。

今日・・・
 キャンプ場らしき場所で、山の頂上付近へ行進中。
 前方にいた4~5人の家族の一人(中学生ぐらいの男の子)が、こちらに向かって拳ぐらいの石を投げてくる。
 運よくナイスキャッチし、家族のお父さんらしき人に抗議するが生返事。
 そこできつく諭してその場を離れようとすると、前方から1m近くある岩が落ちてくる。
 自分を含め、回避したものの岩は坂を転がるようにして後方へ。
 自分はどこか小高い崖の上から「落石だー!」と声を上げる。
 ちょうど前方の坂の下あたりに何人かのグループが見え、自分の声に気付く。
 しかし、落石が当たったのか「警察を呼んでくれ」という声がする。
 自分は落石を止められなかった自責から気分が悪くなるところで、夢終了。


起きた時の気持ち悪さは、嘔吐とは違う気持ち悪さであった。
今日の夜もそんな夢を見るのかと思うと憂鬱である。

生も不要、名も不要・・・勝利だけがあればいい

2012年09月11日 22時12分11秒 | 日記
とは、戦国大戦“高橋紹運”の落城セリフ。
戦において、自身の名誉などは問題ではない。
この戦で、自身を超えた‐自身が信義とする‐何かを一番に考える。


戦国時代の人気武将である“真田幸村”も、同様であったと聞く。
大坂冬の陣において、豊臣方としてついた幸村。
大坂城の最前線にて、十倍以上あった家康軍をいわゆる「真田の戦‐少数で多勢を迎え撃つ戦術‐」で
大いに苦しめ、大打撃を与えた。(詳細はお調べいただきたい)

冬の陣の後、「寝返れば、幸村に十万石を与える」という破格の懐柔策を、家康は幸村に提示します。
それまで、関ヶ原の戦いで西軍に属していたため、15年も小国に幽閉状態となっていた幸村にとって、
とんでもない条件の提示でした。
しかし、幸村は寝返らなかった。
幸村は、

「関ヶ原の後、15年、ただ生き長らえているだけの私を、秀頼様は登用してくださった。
 それは、私を再び武士としての生を与えてくださったのだ。
 この御恩は、土地や金といったもので代えることはできない」

との旨を伝え、使者を返しました。
その後も「信濃一国」という、さらに破格の条件を出しますが、
幸村は使者と面会もせず、追い返すのでした。

幸村は「自身の名誉や保身」より「武士としての生を与えてくれた恩義」を大事にしたのでした。
この幸村の生き様には、多くの人が憧れたことでしょう。
その証拠として、歌舞伎「鎌倉三代記」があります。
この「鎌倉三代記」は、名前や時代を変えてはありますが、大坂の陣で家康に立ち向かう幸村を描いたものなのです。
江戸時代、幸村は家康に歯向かった反逆者とされていましたが、
この「鎌倉三代記」として、幸村の生き方を賛美されたのでした。

「土地も名誉も不要・・・武士としての生だけがあればいい」

こう捉えてもよいのではないでしょうか。
‐自身が信義とする何か‐を大切にした真田幸村を偲ぶ。