チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『眠れる森の美女』#24/乗馬ブーツを履いたオス猫と白いメス猫」

2010年09月12日 00時58分02秒 | やっぱりリラだ! 百年経っても大丈夫
[Pas de caractere/Le chat botte et la chatte blanche]

髪を金髪に染めた小泉純一郎元首相、あるいは、
コメディアンふうな芸風に変わったリチャード・ギア、
みたいな指揮者がNYフィルを"振った"
(会場の客を歌わせたり拍手させたりする芸は、
タモリが笑っていいともでパクッた)TV番組が30年ほど前にあった。
"An Evening With Danny Kaye and the New York Philharmonic"
(アニヴニング・ウィズ・ダニー・ケイ・アンダ・ニュー・ヨーク・フィルハーモニック)
映画「ホワイト・クリスマス」「五つの銅貨」などに出たたコメディアン、
ダニー・ケイに憧れてその名をもじった芸名をつけたのが、
谷啓である。ちなみに、ダニー・ケイはこの番組の当時、
米大リーグのスィアトル・マリナーズの共同オウナーだった。

チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」
第24曲「パ・ドゥ・カラクテル」
[Allegro moderato、3/4拍子、2♭(ト短調)]
前曲の終いが[4♯]だったのに対して、この
[2♭]は「五度圏概念」において「対極」に位置する。
ト短調というのは、このバレエ「眠りの森の美女」の
最後の大詰めで採られてる調性でもある。
"Pas de caractere(パ・ドゥ・カラクテル)"を
「個性的な踊り」とか「特徴的な踊り」だなんて
いい加減なことを言って悦に入ってるむきがある。
バレエの筋の進行に直接は関係してない
民族舞踊(スペインの踊り、ハンガリーの踊り、など)や、
この「眠れる森の美女」第3幕の、同じ原作者
シャルル・ペロの「登場人物=(英語で)キャラクター」に与えられた、
基本的にはトウ・シューズを履かない踊り手による踊り、
のことである。だから、
"Pas de caractere(パ・ドゥ・カラクテル)"は、
「童話の登場人物の踊り」である。もっとも、
ELTの持田香織女史と女優の黒川芽衣女史の顔の違いが
いまひとつ判らない拙脳なる私の私見にすぎない。

オーボエ1管+ファゴット2管が主動機を吹く。
oboe1  :****♪●●●ソ・>♯ファーーー・>ラーーー♪
farotto1:****♪●●●♯ド・<レーーー・<♯レーーー♪
farotto2:****♪●●●♯ラ・<シーーー・<ドーーー♪
このナンバーに減7が多用される雰囲気がさっそくうかがわれる。
次の小節は弦による減7のトレモロである。
[h(♯ド)-d(ミ)-f(ソ)-gis(♯ラ)]
音の頭にはコルネット2管+トランペット2管が16分音符の音価で補う。
これが繰り返され、さらに2度、であるが、あとの2度の際には、
弦はラッパと同じく16分音符を弾くのみに変更される。
次いで、木管の主動機の音価が短められ、あるいは、
当初の律動で、繰り返される。このときは、
弦はいちいち合いの手は入れず、一段落ごとに
弱音器具を装着して
****♪ソ●>>>ミ●♪
と区切る。それがしばらく続き、曲の半分くらいのところで、
冒頭の主動機が変型される。
oboe1:****♪●●●ラ・>♯ソーーー・>Nソー♪
その吹奏にコルノ・イングレーゼが
より元の主動機に近い音型をカノる。そして、
ピッコロ+フルート2管が3オクターヴのユニゾンで、
****♪ファ>ミ>♯レ<ミー│<ファ>ミ>♯レ<ミー・
   <ファ>ミ>♯レ<ミ<♯ファ<♯ソ・<ラー♪
と受ける。それが繰り返され、
クラリネット2管が16分音符に変型された主動機、
****♪●ファ>ミ>ラ、│<ファ>ミ>♯ソ<ミ、・>♯ソ<ド>♯ソ<シ・>ラ♪
を完全ユニゾンで吹き、
横笛が吹いた音型で閉め、vnプリーモがト短調の上昇スケイルで区切る。
終いは、ピッコロ+フルート2管+クラリネット2管が3オクターヴのユニゾンで
16分音符に変型された主動機を吹き連ねる。
両翼vn+ヴィオーラがラッパの16分音符に裏打ちされた
減7のトレモロをfffで奏し、両翼vnがオクターヴ・ユニゾンで
ト短調の上昇スケイルをffで弾き、木管群+弦群によって、
****♪ラー(主和音)>>>ラー(主音ユニゾン)♪
と閉められる。

このナンバーの主動機は、冒頭でオーボエによって、
2♭(ト短調)の調号の譜面において、
****♪●●●ソ・>♯ファーーー・>ラーーー♪
とは吹かれるものの、そののちに
変型された音型でもわかるとおり、実質的には、
調号を取り払った形の
****♪●●●ファ・>ミーーー・>ソーーー♪
である。チャイコフスキーの音楽には、このようなヒネリが
しばしば見受けられる。それにしても、このナンバーは、
百年以上前に死んでる人が書いたような感じがしない。

しかしながら、
百年あとの現状はひどいものである。
4分音符が分母の拍子に附された速度標語が
[アッレーグロ・モデラート]、つまり、
「アレグロという速度の中で中庸なテンポ」、
テンポの認識にブレがないチャイコフスキーにおいては、ほぼ、
「4分音符=126乃至138」
に相当する。巷におけるほとんどの演奏が遅すぎる。
チャイコフスキーのことなど何もわかっちゃいない輩ばかりが
指揮者になって、その"解釈"とやらを誇示する以前の問題である。
[アッレーグロ・モデラート]を「速くないアレグロ」などと
奇妙奇天烈な認識をしてるのである。
無知、無学。低知能、不勉強。
また、
"Le chat botte et la chatte blanche"
(ル・シャ・ボト・エ・ラ・シャト・ブラォンシュ=乗馬ブーツを履いたオス猫と白いメス猫)
英語圏ではこれを、
"Puss in Boots and the White Cat"
などとして、オスとメスを取り違えて誤訳・誤認されてるものも散見される。
半可通が専門家ぶってどんどん間違ったことを広める。そして、
誤りが正しいことに変わってくのである。
"Bad money drives out good(悪貨は良貨を駆逐する)"

さて、
犬も歩けば弓に当たるし、
街を歩けば野良猫に遭遇する、
という諺のとおり、
「世界ふれあい街歩き」(音楽担当:村井秀清)のテーマ曲は、
****♪●●●ファ│>ミーーー・>ソーーー♪
である。ある意味クレイズィなキャッツの物語である。
ガチョーン!
いっぽう、「英雄」も引退して隠居でもすれば、
猫と戯れることもあるかもしれないが、
「乗馬ブーツを履いたオス猫」のように、
功績をあげて出世するのを「英雄」と呼ぶ場合もある。
リヒャート・シュトラウスの「英雄の生涯」の終い、
独奏ホルンと独奏ヴァイオリンがデュエットする箇所、
[ラングザーム(遅く)、6/8拍子、3♭(変ホ長調)]
****♪(Horn)ソー<ドー<レー│
   >ソーーーーー・ーー<ラ<シ<ド<レ│
   <ミーーーーー・ーーーー(Geige)ミー│
   <ファーーーーー・ーー<ラー>ソー│
   >ミーーーーー・(Horn)【ソー<ミー<ファー│
   >♯ソーーーーー】・<ラ<シ<ド<レ<ミ<ファ│
   <ソーーーーー・ーーーーーー♪
と、【ファ>ミ>ソ<♯ソ】というチャイコフスキーの
「乗馬ブーツを履いたオス猫」のアナグラムなのである。
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