昨夜は、日テレ「24時間TV」のドラマスペシャル
「今日の日はさようなら」
をみてしまった。大野智の演技の巧さに。
満島ひかりのようなわざとらしい演技過多の下品な
舞台芝居のようなものと違って、じつに上質である。
絵の才能のほかに演技の才能も備わってるのである。ちなみに、
大野智の智はサトシであってサトルではないらしい。
今朝は、横浜で35歳の男が自転車のサドルばかりを200個盗んだかどで
山手署に逮捕されたというnewsがさかんに報じられてた。
子供用が付いてる、女性が乗ってそうな電動自転車ばかりを狙ってたという。
<女性が乗るサドルが好きだった。サドルの革の質感やにおいも好きだった。
サドルをなめたり、においをかいだりしていた>
と供述してるらしい。
実際に乗ってる女性を見てしまったらげんなりしてしまうのに、
そうした否定的な可能性には目をふさいで、
(女性が尻や股間を押しつけてた)
という都合のいい部分だけをピックアップして自分の
"理想像"を作り上げてしまう、
想像性あふれる者にしか描けない世界である。
典型的なフェチである。こうしたフェチとは異なるが、ナポレオンは
ジョセフィーヌの"ブルーチーズ臭"が大好きだったらしい。どちらも、
想像力に乏しい、現実を直視してしまう私のように即物的な者には
けっして味わえない嗜好である。
絵空事の小説など絶対に書けないし、
ゴッホと同じように現実にないものは描けない。
お世辞や嘘をつくのも苦手である。
岸本セシル女史と今くるよ女史の顔を判別するのに時間がかかる
拙脳なる私はつい、本音を言ってしまう。
同じく変態性愛という範疇であっても、
近親相姦は、そういった意味では、フェティシストの対極である。
きわめて現実的である。すべてがわかってる
兄弟姉妹親子の間に生まれる性愛だからである。また、
姉に対して性欲と愛情の双方をともに持ち得る点でも、
バイロンは実に"家庭的"であるといえる。
未知の異性や異なる遺伝子を追い求める
"正常な"性欲とは正反対である。
その"不足点"を補わんとして、
対オスマンのギリシャ独立戦争に加担したのである。。だから、
バイロンの詩や戯曲などにはファンタスィーが乏しいのである
荒唐無稽な設定を装ってても、その実、
きわめて現実的な世界しか描いてない。
せいぜいが、「夢でみたこと」程度である。
誰に死を求めても叶わないのに、
地獄を支配する悪の神であるアリマーナに頼むと、
その餌食になりそうになるマンフレッドには
望みどおりの死がもたらされる、
なんていう整合性に欠けた話である。
チャイコフスキーのいわゆる「マンフレッド交響曲」は
4つの楽章から成る。その
【第2楽章】は3つの部分から成ってる。
1)主部:アルプスの魔女の主題
2)中間部:魔女の甘い誘惑の主題
3)主部の再現:魔女の主題
という、いわゆる[A-B-A]形式である。
私に服従すればお前の願いを叶えてやるよ、
と魔女はマンフレッドに甘い誘惑をもちかける。が、
いとしいアスタルテを思いつつマンフレッドは拒否するのである。
中間部(トリオ)。
2台のハープのアルペッジョの和音に乗って
con grazia(コン・グラッツィア=慈悲の優しさをもって)と指示されたvnプリーモだけが、
[(ヴィヴァーチェ・コン・スピーリト(=快速に、生気をこめて)、四分音符=120の)
リステッソ・テンポ(同じテンポ)]
で、アルプスの魔女がマンフレッドにお前の魂を売れば望みを叶えてやるぞ、
という誘惑の主題を提示する。
♪【ミ>レ│<ソー】、・>ミ>レ│>ドー(<レ>ド)・>シ>ラ、│<レー・ーー♪
やはりコン・グラッツィアと指示されたクラリネットのソロがこの主題を確保すると、
他弦4部に支えられて、
con tenerezza e molto espressivo
(コン・テネレッツァ・エ・モルト・エスプレッスィーヴォ
=優しさをもって、非常に感情あらわに)
と指示されたvnプリーモが主題の後半を提示する。
♪ド<レ│<ミー(<ファ>ミ)・>レ<ミ│<ソー・>ファ>ミ│>レー・ーー│ーー♪
次いで、やはりコン・テネレッツァ・エ・モルト・エスプレッスィーヴォと指示された
3管のフルートのユニゾンが主題前半を繰り返す。その後、
第1部の主題の断片が絡み、トリオの主題が展開されていく。そして、
ニ長調のトリオの主題はハ長調に転調され、
マンフレッドのアスタルテに対する強い思いが絡んでクライマックスを形成する。
マンフレッドがアルプスの魔女の甘い誘いを断った描写である。
そしてまた、第1部の主題の断片が現れ、
第3部(第1部の再現)へと移行する。最後は、
イングリッシュ・ホルンやクラリネットがマンフレッドの主題を吹く中、
vnプリーモの首席がソロでアルプスの滝の水しぶきの動機を繰り返し、
静かに消える。
このトリオの主題、
♪【ミ>レ│<ソー】、・>ミ>レ│>ドー♪
は、第1楽章で現れた、亡きアスタルテを偲ぶ主題、
♪●【ミ・>レ<ラ・>ソ】>ミ│<ファー・ーー・ーー♪
の亜種である。つまり、マンフレッドの気持ちを揺さぶる目的で
アルプスの魔女がアスタルテモドキを魔法によって出現させたものである。
ここではチャイコフスキーはgrazia(グラッツィア)とかtenerezza(テネレッツァ)といった
「優しさ」「慈悲深い心」を意味する標語を用いて、
アスタルテと見紛うばかりの"節"をさらに似せた演出をしてるのである。が、
この主題の主要動機の
♪【ミ>レ<ソー】♪
は、5年後のオペラ「スペードの女王」の
「3枚のカード(3、7、A)」の動機と発展する。
♪【ミ>レ・<ソー】、・・>【ファ>ミ・<♭シー】│>ラ♪
トランプ賭博で勝つための秘密の3枚のカード、
という悪魔に魂を売る誘惑の"3音"である。
(vnプリーモで提示されるこのトリオの主題と、
「スペードの女王」の「3枚のカード」の動機(導入曲)と、
トリオの主題がハ長調に転じられてクライマックスをむかえる箇所、
の3本だてを、
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-manfred-2nd-mov
にアップしておきました)
「今日の日はさようなら」
をみてしまった。大野智の演技の巧さに。
満島ひかりのようなわざとらしい演技過多の下品な
舞台芝居のようなものと違って、じつに上質である。
絵の才能のほかに演技の才能も備わってるのである。ちなみに、
大野智の智はサトシであってサトルではないらしい。
今朝は、横浜で35歳の男が自転車のサドルばかりを200個盗んだかどで
山手署に逮捕されたというnewsがさかんに報じられてた。
子供用が付いてる、女性が乗ってそうな電動自転車ばかりを狙ってたという。
<女性が乗るサドルが好きだった。サドルの革の質感やにおいも好きだった。
サドルをなめたり、においをかいだりしていた>
と供述してるらしい。
実際に乗ってる女性を見てしまったらげんなりしてしまうのに、
そうした否定的な可能性には目をふさいで、
(女性が尻や股間を押しつけてた)
という都合のいい部分だけをピックアップして自分の
"理想像"を作り上げてしまう、
想像性あふれる者にしか描けない世界である。
典型的なフェチである。こうしたフェチとは異なるが、ナポレオンは
ジョセフィーヌの"ブルーチーズ臭"が大好きだったらしい。どちらも、
想像力に乏しい、現実を直視してしまう私のように即物的な者には
けっして味わえない嗜好である。
絵空事の小説など絶対に書けないし、
ゴッホと同じように現実にないものは描けない。
お世辞や嘘をつくのも苦手である。
岸本セシル女史と今くるよ女史の顔を判別するのに時間がかかる
拙脳なる私はつい、本音を言ってしまう。
同じく変態性愛という範疇であっても、
近親相姦は、そういった意味では、フェティシストの対極である。
きわめて現実的である。すべてがわかってる
兄弟姉妹親子の間に生まれる性愛だからである。また、
姉に対して性欲と愛情の双方をともに持ち得る点でも、
バイロンは実に"家庭的"であるといえる。
未知の異性や異なる遺伝子を追い求める
"正常な"性欲とは正反対である。
その"不足点"を補わんとして、
対オスマンのギリシャ独立戦争に加担したのである。。だから、
バイロンの詩や戯曲などにはファンタスィーが乏しいのである
荒唐無稽な設定を装ってても、その実、
きわめて現実的な世界しか描いてない。
せいぜいが、「夢でみたこと」程度である。
誰に死を求めても叶わないのに、
地獄を支配する悪の神であるアリマーナに頼むと、
その餌食になりそうになるマンフレッドには
望みどおりの死がもたらされる、
なんていう整合性に欠けた話である。
チャイコフスキーのいわゆる「マンフレッド交響曲」は
4つの楽章から成る。その
【第2楽章】は3つの部分から成ってる。
1)主部:アルプスの魔女の主題
2)中間部:魔女の甘い誘惑の主題
3)主部の再現:魔女の主題
という、いわゆる[A-B-A]形式である。
私に服従すればお前の願いを叶えてやるよ、
と魔女はマンフレッドに甘い誘惑をもちかける。が、
いとしいアスタルテを思いつつマンフレッドは拒否するのである。
中間部(トリオ)。
2台のハープのアルペッジョの和音に乗って
con grazia(コン・グラッツィア=慈悲の優しさをもって)と指示されたvnプリーモだけが、
[(ヴィヴァーチェ・コン・スピーリト(=快速に、生気をこめて)、四分音符=120の)
リステッソ・テンポ(同じテンポ)]
で、アルプスの魔女がマンフレッドにお前の魂を売れば望みを叶えてやるぞ、
という誘惑の主題を提示する。
♪【ミ>レ│<ソー】、・>ミ>レ│>ドー(<レ>ド)・>シ>ラ、│<レー・ーー♪
やはりコン・グラッツィアと指示されたクラリネットのソロがこの主題を確保すると、
他弦4部に支えられて、
con tenerezza e molto espressivo
(コン・テネレッツァ・エ・モルト・エスプレッスィーヴォ
=優しさをもって、非常に感情あらわに)
と指示されたvnプリーモが主題の後半を提示する。
♪ド<レ│<ミー(<ファ>ミ)・>レ<ミ│<ソー・>ファ>ミ│>レー・ーー│ーー♪
次いで、やはりコン・テネレッツァ・エ・モルト・エスプレッスィーヴォと指示された
3管のフルートのユニゾンが主題前半を繰り返す。その後、
第1部の主題の断片が絡み、トリオの主題が展開されていく。そして、
ニ長調のトリオの主題はハ長調に転調され、
マンフレッドのアスタルテに対する強い思いが絡んでクライマックスを形成する。
マンフレッドがアルプスの魔女の甘い誘いを断った描写である。
そしてまた、第1部の主題の断片が現れ、
第3部(第1部の再現)へと移行する。最後は、
イングリッシュ・ホルンやクラリネットがマンフレッドの主題を吹く中、
vnプリーモの首席がソロでアルプスの滝の水しぶきの動機を繰り返し、
静かに消える。
このトリオの主題、
♪【ミ>レ│<ソー】、・>ミ>レ│>ドー♪
は、第1楽章で現れた、亡きアスタルテを偲ぶ主題、
♪●【ミ・>レ<ラ・>ソ】>ミ│<ファー・ーー・ーー♪
の亜種である。つまり、マンフレッドの気持ちを揺さぶる目的で
アルプスの魔女がアスタルテモドキを魔法によって出現させたものである。
ここではチャイコフスキーはgrazia(グラッツィア)とかtenerezza(テネレッツァ)といった
「優しさ」「慈悲深い心」を意味する標語を用いて、
アスタルテと見紛うばかりの"節"をさらに似せた演出をしてるのである。が、
この主題の主要動機の
♪【ミ>レ<ソー】♪
は、5年後のオペラ「スペードの女王」の
「3枚のカード(3、7、A)」の動機と発展する。
♪【ミ>レ・<ソー】、・・>【ファ>ミ・<♭シー】│>ラ♪
トランプ賭博で勝つための秘密の3枚のカード、
という悪魔に魂を売る誘惑の"3音"である。
(vnプリーモで提示されるこのトリオの主題と、
「スペードの女王」の「3枚のカード」の動機(導入曲)と、
トリオの主題がハ長調に転じられてクライマックスをむかえる箇所、
の3本だてを、
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-manfred-2nd-mov
にアップしておきました)
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