チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『眠れる森の美女』第2曲『踊りの情景』の深遠」

2009年07月02日 02時21分07秒 | やっぱりリラだ! 百年経っても大丈夫
[Brahms' Wiegenlied in Scene Dansante, Tchaikovsky's ballet Sleeping Beauty]

昨日深夜(6月30日26時09分放送)に日テレで放送された
「ドクター・ハウス1」の第9話「DNR(邦題:生きる希望)」での
患者の言葉は、愚脳なる私の
「芸術」「スペシャルティ」に対する思いとほぼ同じだった。
私と同様な考えを持つ人がいることにも驚いたが、
それが米国のtvドラマの脚本を書く人物ということが
ちょっと意外だった。とはいえ、それはとりもなおさず私が
"テレビっこ"だということかもしれない。
ほとんど毎日、ドラマからヴァラエティ、そしてニューズで、
あらゆるジャンルの番組を留守録し、
一日約15時間分はtv番、組をチェックしてる。私は
食欲も旺盛で一日5食は摂取してるし、
性欲も50過ぎのジジイにしてはかなりあり、実際、
機能してるのだが、
知識欲はそれらの比ではない。つまり、
元がバカなのでそれを少しでも補填しようという
劣等意識が働くのである。ところで、
IQ世界一は228の
"Marilyn Vos Savant(マリリン・ヴォス・サヴァント)"という
米国女性だそうである。が、
はたしてそんな「実像」が存在するのか、私は
はなはだ疑問に思ってる。というのは、
その名である。マリリンはモンロウを引いてるのだろう。
男性が女性に求める肉体的魅力の象徴として。そして、
vos savantとは、英語読みではヴォス・サヴァントだが、
仏語ではヴォ・サヴァン。で、Savanteではなく
Savantであるとこがまたミソなのである。つまり、
vos=your、savant=learned person、である。
「あなたがたの先生」、「博学な人物」
などという、子供だましなネイミングなのである。

さて、チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」の
プロローグ第2曲は"Scene Dansante(セーヌ・ダンサント)"。
このナンバーは3つの部分から成る。
オロール姫の洗礼を祝い、同姫に徳を授ける6精が現れ、
授けものを前に廷臣や廷女らが舞う場面である。
まず、リラの精以外の5精が登場する部分である。
[モデラート・コン・モート、3/4、1♭(ヘ長調)]
中低弦がピッツィカートで強拍を打ち、
クラリネット2管とファゴット1管がヘ長の主和音を持続させ、
ハープがその主和音をアルペジオで奏でる。
それぞれ3つにディヴィーズィされたvnプリーモとvnセコンドが
***♪【ミー<ソー、│<ドー>シー、>ラー│>ソー】、>Nファー>♭ファー│
  >ミー、>レー>ドー│<ラーーー>ソー♪
という主題をドルチッスィモで弾く。
じつに美しい上品な音楽である。が、
この節は次の歌を引用してるのである。
***♪ミミ│<ソーーー>ミ、ミー│<ソー、●●、
 >【ミ<ソ│<ドー>シーー>ラ│ラー>ソー】♪
チャイコフスキーが生まれる7年前の5月7日という
(現行暦でいえば)お誕生日がおんなじ、な
ブラームスが1869年に作曲したop49
"Funf Lieder(フュンフ・リーダー=5つの歌曲)"の第4曲
"Wiegenlied(ヴィーゲンリート=子守歌)"である。ちなみに、
この「ブラームスの子守歌」、
***♪『ミミ│<ソーーー』>『ミ、ミー│<ソー』、●●、
 >ミ<ソ│<ドー>シーー>ラ│ラー>ソー、
 >『レ<ミ│<ファー』>『レー、レ<ミ│<ファー』●●、
 >レ<ファ│<シ>ラ>ソー、<シー│<ドー●●♪
は、「シューベルトの子守歌」、
***♪『ミーーー<ソーーー』、>『レーー<ミ<ファーーー』│
  >ミーミー>レ>ド>シ<ド<レーーー>ソーーー♪
の『ミ<ソ』『レ<ミ<ファ』という動機が海馬に貯蔵され、
時を経て「作曲」という機会にそれが、
ニューロンのネットワークが粗雑な脳なため、
他人様の作、という附随情報がはずれてしまい、
「自作として」想起されてしまった、
というみすぼらしいメカニズムで
「産みだされた」ものである。いっぽうで、
チャイコフスキーは、そこらへんの、平凡な知能凡庸な才能で、
「作曲」などという尊く至難な営みを
低レヴルな次元で行ってる輩とは頭のできが違う。
チャイコフスキーの音楽には、
深遠なる譬えがはめ込まれてるのである。

「ブラームスの子守歌」は、一般に、
堀内敬三のまったくお門違いな「訳詞」しか
知られておらず、そのとおりにしか認識されてない。
現実に目をそむけ、きれいごとに糊塗した
陳腐で心動かされざる「歌詞」である。
実際は以下のとおりである。私は
このドイツ語をきちんと訳したものを、
いかなるところでも見たことがない。つまり、
誰も真っ当に訳してない、のである。もちろん、
ひとつの外国語もできない私にも、その
正確なる意味はわからない。が、拙大意は
誰の理解・訳詞よりもまし、なはずである。

[歌詞1番]
Guten Abend, gut' Nacht
Mit Rosen bedacht
Mit Naeglein(*) besteckt
Schluepf unter die Deck'
Morgen frueh, wenn Gott will,
Wirst du wieder geweckt.
(拙発音)
グーテナーベント、グート'ナッハト、
ミット・ローゼン・ベダッハト、
ミット・ネーグライン(*)・ベシュテックト、
シュリュンプフ・ウンター・ディ・デック'、
モルゲン・フリュー、ヴェン・ゴット・ヴィル、
ヴィアスト・ドゥ・ヴィーダー・ゲヴェックト
(拙大意)
日が暮れた、もう夜ださあお休み
イエスのバラのことを思い起こし、
棘を毛布の下に挿し入れなさい。
翌朝、神の御心によっては、
お前はまた目覚めることになる。

[歌詞2番]
Guten Abend, gute Nacht,
von Eng'lein bewacht,
die zeigen im Traum
dir Christkindleins Baum;
schlaf'nun selig und suess,
schau' im Traum's Paradies
(拙発音)
グーテナーベント、グート'ナッハト、
フォン・エング'ライン・ベヴァッハト、
ディ・ツァイゲン・イム・トラオム、
ディーア・クリストキントラインス・バオム、
シュラーフ'ヌーン・ゼーリッヒ・ウント・ズュース、
シャオ'・イム・トラオム'ス・パラディース
(拙大意)
日が暮れた、もう夜ださあお休み
お前の守護天使があの
みどりごキリストの木の夢を見せてくれるよ
さあお眠り
その夢の天国の中で至福なる甘い夢をごらん

(*)Naglein(aはウムラオト)はNagel(ナーゲル=爪・トゲ)の複数
Nagel(aはウムラオト/ネーゲル)の指小形であって、
一部に「訳されてる」ように、「リラ」ではない。

イエスが人々の代表・身代わり・生贄として処刑されたときの、
屈辱と苦痛の荊の冠をかぶされた故事を引いてるのである。
バレエ「眠れる森の美女」の寓意のひとつである
「茨姫→トゲ・尖ったもの・錘」
それから、「眠り(=死)→再生」
などが、この「子守歌」に内包されてることを、
チャイコフスキーは見抜いた。
「眠れる森の美女」の数年前、チャイコフスキー自身、
「子供のための16の歌曲」(op54)の第5曲
「伝説(レギェーンダ)」で、やはり
幼児キリストと茨を題材にした歌詞に曲をつけてる。
チャイコフスキーは狂信的なキリスト教徒ではなかったが、
「受難」の噺の主人公としてのイエスには、
畏怖の念を抱いてたのである。
同性愛者、という背徳者としての自分に対比させて……。
大嫌いなブラームスの音楽を引用してまでも
「茨の道」を採った理由が、ここにある。また、
なんの意味もなくただ先人の音楽を切り接ぎして
大衆の人気を得るパッチワーク作家ブラームスへの侮蔑でもあった。

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