チャイコフスキー それは早春のことだった
「河内山早俊あるいは早春(こうちやま・そうしゅん)」といえば、
「ゆすり・たかり」の典型として歌舞伎で脚色されてる人物である。
頬のホクロがその人相の特徴だったらしい。もっとも、
アソコの巨大さ、がそれよりも「目だって」た、とか。
本来の身分は、いわゆる「茶坊主」。が、「坊主」といっても、
ブリトニーでもなければ、経を唱えるわけでもない。
れっきとした幕臣である。おおざっぱにいえば、(江戸城に)
登城してる大名や旗本に茶を淹れるなどその世話をする係である。が、城外でも、
茶坊主どうしでそれぞれの担当大名間の諸事の調整をはかったり、
便宜をとりはからったり、口利きをしてやったりと、
「ネゴシエーター」の役も担ってたそうである。当然、
教養を備え、儀式・世事に精通してなければならない。
作家の芥川龍之介は、たしか、江戸時代は茶坊主の家柄だった
芥川家(発狂した母の実家)に養子に入った人物である。
現在のJR両国駅南側にその家跡の碑がある。
旧吉良邸とは目と「鼻」の先である。京葉道路沿いの街頭だが、
外套には該当しないので、ゴー五里指標にはなってない。
昨日は陰暦の一月一日だったのだそうである。陰暦では1月から春。
といっても、太陽暦でもまだ2月。早春である。
弟アナトーリィに献呈された作品38「6つのロマンス」は、
第1曲「ドン・フアンのセレナード」、
第3曲「舞踏会のざわめきのなかで」、
第6曲「ピンピネッラ(フィレンツェの調べ)」、
など、チャイコフスキーの歌曲の珠玉が揃うが、
中でも、その第2曲は心に染み入る。詩は、
アリクスェーィ・タルストーィ(アレクセイ・トルストイ)伯爵の
「トー(それは)・ブィーラ(だった)・ラーンニユ(早い時期の)・ヴィスノーィ(春)」
である。ちなみに、
「ラーンニユ」は形容詞「ラーンニィ」の、「ヴィスノーィ」は名詞「ヴィスナー」の、
それぞれ「造格」、らしい。
ブィーチ(英語のbe動詞にあたる。ブィーラはその中性過去形)が
主部の「状態」を表す場合、
述部は「対格」でなく「造格」をとるんだそうである。
機微にあふれるともいえるが、ずいぶんとしち面倒くさい言語ともいえる。
[アッレーグロ・モデラート(性急すぎない「アレグロ」)、6/8=2/4、3♭]
「前奏」
♪≪ミーー・<ファ<♯ファ│<ソ<♯ソ・<ラ<シ│
<ドーー・>シ>ラ│>ソー>ファ・>ミー>レ│
<ミーー・<ファ<♯ファ│<ソ<♯ソ・<ラ<シ│
<ドーー・>シ>ラ│>ソー>ファ・>ミー>レ│
>ド(>ミ<ソ・<ミ>ソ<ド)≫♪
【A】
♪●●・●【♯ソ│<シー・>ラー│>レ<ミ・<ファ<ソ│>ミー・ー、
ミ│>レ<ミ・<ファ<ソ│>ミー・ミ●│
●ミ・<ファ<ソ│<ララ・>♯ソ<ラ│>レー・●
レ│<ファファ・>ミ<ファ│>レー・レ】●│
[→実質ヘ短に転調(変ホ長の階名のまま記す)]
「B」
[センプリチェ(力まずに)]
●<ラ<♭シ>ラ│>ソ>ファ・>ミ<ファ│>レ、
レ・>♯ド<レ│<♭ミー・ー>♯ド│<レー・レ●│
●<ラ<♭シ>ラ│>ソ>ファ・>ミ<ファ│>レー・ー、
レ│<♯レン♯レ・♯レ♯レ│<ミー・ミ●│
[→変ホ長に戻って]
【A】
●●・●【♯ソ│<シー・>ラー│>レ<ミ・<ファ<ソ│>ミー・ー、
ミ│>レ<ミ・<ファ<ソ│>ミー・ミ●│
●ミ・<ファ<ソ│<ララ・>♯ソ<ラ│>レー・ー、
レ│<ファファ・>レ<ミ│<ファー・>ドー】│
[→実質変イ長に転調(変ホ長の階名のまま記す)]
「C」
■│<♭シー・>レ<ミ│<ファ>♭レ・<ファ<ソ│<ラー・ーー│
●>(N)レ・レ<ミ│<ファー・ー>♭レ│>ドド・●●│
■│■│■│■│
[→変ホ長に戻って]
●●・●<ミ│<ファー・ーファ│<♯ファー・ー♯ファ│<ラン>ソ・ソー│
●●・<♯ソー│<ドー・ドー│ーー、>シ>ラ│ラー・ーー│>♯ソー●
【A】
【【♯ソ│<シー・>ラー│>レ<ミ・<ファ<ソ│>ミー・ー、
ミ│>レ<ミ・<ファ<ソ│>ミー・ミ●│
[モルト・メーノ・モッソ(きわめて速度を減じて)]
●ミ・<ファ<ソ│<ララ・>♯ソ<ラ│>レー・ーー│
●<ファ・<ソ<ラ│<シー・ーシ│>ソー・>ミー│
●<ソ・<ラ<シ│<ドド・>シ<ド│>ラー・ーー】】│
「結部」
●●・[リテヌート・アド・リビトゥム(程度はおまかせな「溜め」をつけて)]
<ドー│>シー・>ラー│●●・<♭ミー│
[ア・テンポ((指定)速度に従って→元のテンポで)]>レー・>ドー│
●●・[コン・トゥッタ・フォルツァ(ありったけの声で)]ドー│<ミー・ーー│ーー、
>ドー│>ソー・ーー│ーー、<♯ソー│<シン>ラ・ラー│
●●・ラー│<シ<ド・>ミ、<ファ│<ソー・ーー│ーー・ーー│>ドー・●●│
「後奏」
≪ミーー・<ファ<♯ファ│<ソ<♯ソ・<ラ<シ│
<ドーー・>シ>ラ│>ソー>ファ・>ミー>レ│
<ミーー・<ファ<♯ファ│<ソ<♯ソ・<ラ<シ│
<ドーー・>シ>ラ│>ソー>ファ・>ミー>レ│
>ド(>ミ<ソ)・<ミ(>ド>ソ)│<ソ(>ミ>ド)・<ド(>ソ>ミ)│
<ミ(>ド>ソ)・<ソ(>ミ>ド)│<ドーー・ーーー[フェルマータ]≫♪
すべては「早期」のことだった。「まだ」、のころだった。
とくに、[モルト・メーノ・モッソ]と指示された箇所の、
不可逆な時間進行に対する、もどかしさ・せつなさ・なつかしさ、を
「想起」させる「心の叫び」な音楽である。
過去への「扉(トー・ビラ)」は閉ざされてるのである。
……トイレット・ペイパーをおろしたてのころの量感・希望あふれ感と、
もうわずかにしか残ってないころに受ける寂寥感・終末観との差異……とでもいうか、
涙なしには聴けない歌である。
楽譜は、安価で買える全音の「チャイコフスキー歌曲集2」にも載ってるし、
演奏は、女声では「ゲルズマーヴァ」、男声では「フヴォロストフスキー」という
歌唱が優れた歌手がそれぞれ「ヘ長」「ニ長」に移調したもので録音してるので、
興味があるかたには松江藩のお屋敷に奉公にあがらずとも、
比較的容易にまともに触れることができる歌である。