チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー 法律学校行進曲/ロンドン五輪柔道でにわかに話題のジュリーにちなんで」

2012年08月01日 00時12分32秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー

チャイコフスキー 法律学校行進曲


民法、否、民放各社のれっきとした美人アナが集って
♪はぁ~~あっ。ロンドン、ドン。ロンドン、ドン。ロンドン、ロンドン、ロンドン、ドン♪
とやらかしてくれる、40年ほど前の同名のキャバレーのTVCMをパロった
「ロンドン五輪放送PR&選手応援スポット」
の滑稽さが愉しめる今日この頃である。ただし、
BBC制作のTVドラマ"Sherlock(シャーロック)"の主演である
Sherlock Holmes(シャーロック・ハウムズ)役の
Benedict Cumberbatch(ベネディクト・カンバーバッチ)と
ズンバでアッチッチな郷ひろみの顔が判別できない拙脳なる私ゆえ、
バッキンガム宮殿近衛兵の帽子・ミニスカ・ブーツ姿で太腿あらわに女子アナらが
ラインダンスを踊ってたかどうかは覚えてない。ともあれ、そんな
今般のロンドン五輪の柔道で、
寝技が現に進行中に待てをかけ、あげくは
負けた選手に勝ちを示すようなバカ審判に代表される
lawレヴェルというよりはlowレヴェルな審判団の、
萩本欣ちゃんの「バンザイ、なしよ」みたいな手振りによる技あり取消や、
「青挙げて、白挙げないで、青下げて、青挙げないで、白挙げる」
などに関与して一躍"流行語"の仲間入りをはたした
"Jury(ジュリ)"とは、誤審術という意味ではない。
米国の法廷ものドラマのセリフにもしばしば出てくるように、
「審判団」「陪審団」という意味で集合的に使われる名詞である。
一人ひとりの審判・審査員・陪審員はjuror(ジュラ)である。
スピルバーグではない。ちなみに、
沢田研二のジュリーはドレミ歌手女優の
ジュリー・アンドルーズから採ったものであり、その原義は
カエサルの名でもあるJuliusのフランス語女子名からの英語女性名Julieなので、
ロミオとジュリエットがroseを花と呼ぼうがnoseと称しようが、
どんな誤審の危機希林であっても悠木千帆であっても、
「柔道のジュリーって何?」の答えとしては受理されない。それはともあれ、
juryから派生した語にjurist(ジュリスト=法学者・法科学生、法律家)がある。
有斐閣が版元の判例紹介誌のタイトルにもなってる。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは帝政ロシアの貴族階級増設政策で
下級貴族に叙された家の傍系に1840年、生まれた。
当時のそういった階級の師弟が進む典型的な学校が、legalながらregalな、
"Императорское училище правоведения"
(インピラータルスカエ・ウチーリシシェ・プラヴァヴィェーヂニエ)
「帝室法科学校」
だった。チャイコフスキーも10歳でその予科に入り、
競争率12倍の本科試験に合格して本科に進み、
19歳で同期30名中13番の席次で卒業し、
ロシア帝国法務省のキャリア組となった。同級生には、
席次2番の秀才だったものの詩人となったアプーフチン、
時を経てチャイコフスキーの伝記の最期に
元老院首席沢田検事として名前が出てくるイェコービ、
などがいた。この学校は1835年に創設されたが、その50年後、
すでに世界的な作曲家となってた卒業生チャイコフスキーに、その
創立50周年記念行事のための行進曲様の
管弦楽小品が依頼された。それが、
"Правоведский марш"
(プラヴァヴィェーツキィ・マールシ)
「法科学校生行進曲」
である。英語では、
"Jurists' March"もしくは"Jurisprudence March"
というように表記されてる。ちなみに、
この学校は1917年のロシア革命で閉校にされた。

[Allegro risoluto*(アッレーグロ・リゾルート=速く晴ればれと)、
4/4拍子、2♯(ニ長調)]
*risolutoは動詞risolvere(リゾルヴェレ=解決する、決断する)の
過去分詞で、それが形容詞化したものである
(イタリア語は形容詞=副詞)。もともとの語義はラテン語の
risolvere=ri+solvere=繰り返し+解く→解き放つ、である

主要主題の主要動機から成る10小節分の導入に続いて、
主要主題が提示される。
♪ドーーー│<ファーーー・ーーー>ミ・・>レーーー・<ミーーー│
>ドーーー・ーーー・・ーー、●●・<ドーーー│
>ラーーー・ラーーー(ラ<シ)・・<ドーーー・>シーー>ラ│
>ソーーー・ーーー>ファ・・>ミー、●●・<ラー●●│
>レー●●・レー●<ミ・・<ソーーー・>ファーーー│
>ミーーー・>レーーー・・>ドーーー、・<ソーー<ラ│
<ドーーー・>シーーー・・>ラーーー・<シーーー│
>ソーーー・ーー●●・・●●●●♪
これがA部だとすると、B部は、
主要主題の後半部分を短化して断片的に繰り出す
パッセージ的なものである。
A部が戻り、C部となる。
C部は実質変ロ長調に転じて
主要主題の前半部分を断片的に繰り出す。途中、
短期的にニ長調に帰るがまた変ロ長調に戻り、次いで、
冒頭の導入部が再現され、
提示時と同様にA部が再現される。そして、
短い結尾部に移行し、このような曲の終い附近で
チャイコフスキーが必ず行う短期高揚転調が3小節。
すぐにニ長調に戻って曲を閉じる。このように、
[A-B-A-C-A]
という「小ロンド形式」とスキャンすることもできる。もちろん、
ロンドン形式ではない。ともあれ、
やはりこの曲はチャイコフスキーにしては
力の入ってないやっつけ仕事という感は否めない。

ちなみに、
ナチュラル・トランペットやそれに王家や皇帝の紋章旗を垂らした
ヘラルド・トランペットで吹奏するには難しい音が使われてるし、
ティンパニと同期してるわけでもないので、
そうした管をチャイコフスキーは意図したわけではなさそうだが、
「式典祝賀」という性質上、トランペットは
D管が指定されてる。ただし、
1885年というこの時期には、
チャイコフスキーが他のニ長調の管弦楽作品にD管を指定することは
すでになくなってるので、ことさらD管としたということは、
あるいはナチュラルトランペットあるいはそれに準ずるものを
要求してるのかもしれない。いずれにせよ、
管のことなどクダクダ、否、グタグタと言わずに
「勝手にしやがれ!」とばかりに拙速に陥って
現在のB管ピストン・トランペットで吹かせる
指揮者などと称するむきには、このような曲であっても、
チャイコフスキーをやる意味がないことだけは確かである。
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