チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「トリニテ一件落着/チャイ5のブル性」

2008年01月27日 21時21分57秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
昨夜のTBS「世界・ふしぎ発見」は
「ちょいワル親父の原点・カエサル」というプログラムだった。
広尾の「セガフレード・ザネッティ」には、こぎれいでイケ面な
イタリア野郎がカッコよく腰かけて「レスプレッソ」なんぞ読みながら
「エスプレッソ」をすすってる光景がよく見られるが、
二千年前の人であるユリウス・毛モウス・カエサル
(伊語は、ジューリオ・チェーザレ)は
たいそうモテたそうである。それはまたおなじく「うす毛」の私に
おおいにハゲみになる例ではある。が、そうはいっても
私はエロキモゲハブデオヤジなので、ただただミジメに指を咥えてる
負け犬である。ときに、大阪国際女子マラソンは30km過ぎまで独走して
失速した敗北者の無惨な見せ物になってしまった。
距離不適性、マラソンへの認識不足、だったのだろうが、それでも、
衆人環視の中、恥を晒しながらゴウルまで走らなければならなかった
福士選手はかわいそうだった。ともあれ、
元老14人に取り囲まれて刺殺されたチェーザレだが、結局、
その死後に権力はオッタヴィアーノを含む3人の有力者に握られ(3頭政治)、
チェーザレ暗殺計画の中心人物は次々に消え消されてくのである。ところで、
「妹姦」との説もある「独裁者」信長が葬られた結果、
秀吉を経て家康の手に収まった政権であるが、
徳川幕府の行政機構の中で、「寺社奉行・勘定奉行・町奉行」という三奉行は、
「評定所(ひょうじょうしょ)」の実質的主要メンバーだった。ちなみに、
「ひょう・しょう・じょうっ!」は、大相撲本場所千秋楽の日の、
今はなきパンナムの元極東地区支配人である。ともあれ、
三奉行職中で庶民に関わるのは町奉行である。
落語ネタだか講談ネタだかになってる「三方一両損」は、
兄二人に尾張家当主二人、そして将軍家一人を葬り去って、
紀州藩主、8代将軍へと昇ってった、
日本のチェーザレ・ボルジャとも呼ばれる恐ろしい暴れん坊との関係が、
山田奉行時代から二重結合のごとく付加反応の余地余裕を備えてた
大岡エチレン守忠相のお話とされてる。
「では、ここでこの越前がポケット・マネーから1両を供出しよう。
これで4両である。これを2両ずつ拾得者遺失者双方に分け与える。
拾得者が3両を届けたとき遺失者がそれを受け取ってればそのまま3両を
手にしていたはずである。また、そのとき拾得者のほうが遺失者の言どおり
そっくりもらっていればそのまま3両を手にしてたはずである。したがって、
拾得者も遺失者も私もそれぞれに1両分損をした、ということ相成る。
トリニテ、一件、らくちゃーく」
大岡裁きは現在の「政令」よりも効力があったのかもしれない。もっとも、
徳川幕府も基本的には「合議制」である。さて、
「ツェーザリ」・キュイーから嫉みによる中傷を受けつづけた
チャイコフスキーの「5番交響曲」は、
「3つのワルツを持つ交響曲」と皮肉られた。
チャイコフスキーが記した「神の摂理への抗しがたき服従」そして「不信」
という言葉が意味するものは詳らかには解からないが、基本的に
この交響曲の底に流れてるのはペスィミズムである。
最後の「ホ長」のコーダを「勝利の行進」などと謳うむきもあるが、
その虚飾をつゆほども感じない幸せな境遇な人々である。
よろけて地面やトラックに叩きつけられるように崩れ落ちながら
ヘラヘラ笑うしかなかった福士選手を「明るい」とだけ捉えるのと似てる。
同選手がのめって汚れたのは膝がしらではない。「三里」である。
三里に灸を据えるよりもまず松島の月が心にかかったほど
はやる思いに急かされたわけではないだろうが、数字にこだわるのは
ブルックナーである。ブルックナーは「神への心」で音楽を組み立てた。
ソナタを「父の第1主題」「子の第2主題」「聖霊の第3主題」という
「3つの主題」で構成したのもその現れである。ときに、
「チャイ5」の主章は「3つの主題」で構成されてる。
「シュマ4」のスケルツォの主題による第1主題、
「チャイ4」主章第2主題による第2主題、そして、
*♪●ミー・>レー>ド│●<ファー・>ミー>レ│
  ●<ソー・<シー>ラ│ー>ソー・>♯ファー>Nファ│
  ●>ミー・>レー>ド│●<ファー・>ミー>レ│
  ●<ソー・<♯ソー<ラ│ー<レー・>ドー>シ│
   ー<ミー・>レー>ド│ー>シー・>ラー<シ│
   ー>ラー・>【ソー<ラ│ー>ミー・<ソー>ファ】*♪
という「せつなくも美しい、うっとりするほど甘い」第3主題、である。
この「第3主題」の半終止は、ブルックナーの昇階唱、
「locus iste(この場所は神が創り給うた)」の主主題、
*♪ドーーー・・ーー>シー│>ラーーー・・>ソー●●│
  ●●【ソー・・<ラー>ミー│<ソーーソ・・>ファー】●●*♪
の箇所と、和声は異なるが「同音列」なのである。
「ロクス・イステ」の中間では、第3声部のテノールが
「ド>シ>♭シ>ラ>♭ラ>ソ」というクロマティカルな下降をする。
「irreprehensibilis est」、つまり、
「(このはかり知れぬ秘蹟は)非の打ちどころなきものなり」
と讃える箇所であるが、カエサルがめった刺しにされた場所は
「area(アーレア=領域) sacra(サークラ=聖なる)」
である。ともあれ、
「チャイ5」は「半音階下降づくし」な作品である。
植松晃士と新山千春と田丸麻紀の顔の区別も盤石でない
昼アントーンにしてド素人であるゆえ、
一次資料情報はなにもない私であるが、これで、
チャイコフスキーはブルックナーの作品の楽譜も手に入れてた、
となーる確信を得た。いずれにせよ、
♪【ソ<ラ>ミ<ソ>ファ】♪という「音列」の
なんと感動的なことか。

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