チャイコフスキー オルレアンの少女 ショパン 軍隊ポロネーズ
日本時間の今日15日、第2スィードの49ersが地元SFに
第3スィードのセインツを向かえて行われた
NFLチャンピオンシップのディヴィジョナル・プレイオフは、
もの凄いゲイムだった。最終クォーターでは、
残り2分でQBのアレックス・スミス自らが27ヤードも走ってTDを決め、
29対24。が、その直後に、セインツにTBパスを許し、かつ、
ポイント・アフター・タッチダウンでは、2ポイント・コンヴァージョンを決められ、
逆に29対32と3点差をつけられてしまう。それでも、
残り1分14秒。このオフェンスでアレックス・スミスは
「使命をきっちり果たす」かのように、
沈着冷静にダウンを進める。
フィールド・ゴウルで同点をめざすのではなく、
タッチダウンを確実に決めるという気概が感じられた。そして、
残りたったの9秒。弾丸のようなTBパスを通し、再逆転。
PATのフィールド・ゴウルも決まり、36対32。
実に見応えがある試合だった。ちなみに、
敗者セインツのフランチャイズはその名が示すとおり、
New Orleansである。フランス王ルイ15世の摂政だった
オルレアン公フィリップの名を冠した米国の都市である。
現行暦であるグレゴリオ暦2012年1月15日は、
ジャンヌ・ダルク生誕600年にあたる日である。
Jeanne d'Arc(ジャンヌ・ダルク)といえば、百年戦争である。
百年戦争とは、おおざっぱに言えば、
フランスにおける王権をイングランドとフランスが争ったものである。
10世紀から当時まで、現在のフランス国土の
西側がイングランドの領土で、フランスの領土は東側だけだった。
王家間で婚姻を重ねるから、フランスの王位をイングランドの王子が、
イングランドの王位をフランスの王子が主張する、
ということが起こる。ともあれ、
百年戦争中の15世紀フランスで、"東フランス"の版図が相当に縮小して、
イングランドの占領下にあったOrleans(オルレオン)解放にあたって
フランス軍を鼓舞し、シャルル6世の王太子シャルルがフランス王になるべきとの
神のお告げを聞いたとして、ランスでシャルル7世として戴冠させ、
形勢不利だったフランスを救った、とされる少女である。が、
形勢を挽回したフランス軍はイングランドとのネゴシエイションを望み、
駆逐するまでの戦闘を望まなかった。ために、
徹底抗戦派のジャンヌは孤立してしまう。
シャルル7世と袂を分かち戦闘を続けてたためについには、
イングランドに与してたブルゴーニュ軍に捕らえられる。そして、
イングランドに"金銭トレイド"された。そうなれば、
クジラやイルカより有色人種のほうが劣ると考えるアングロサクスンの
残虐さの餌食である。チャイコフスキーは、
1878年から1879年にかけて、ジャンヌ・ダルクを題材にしたオペラ
"Орлеанская дева(オルリヤーンスカヤ・ヂェーヴァ)
「オルレアンの少女」"を作曲した。台本は作曲家自身による。
音楽の友社から「作曲家・人と作品」スィリーズの
「チャイコフスキー」を著した伊藤恵子は、その中の
「生涯篇」でも「作品篇」においても、
<<ジャンヌの処刑はシラーの原作よりはるかに詳らかで残酷に描いてる>>
という旨の記述をしつこく繰り返してる。そして、
<<その残酷さはチャイコフスキーの人物像を語るときには必ず指摘される>>
などというような趣旨の言葉を連ねるのである。
史実はイングランドのジャンヌに対する仕打ちは相当に残酷なものである。
チャイコフスキーの台本は<歴史に忠実でありたかったのか>と、
伊藤恵子はイングランドの残虐性を知ってるし、
チャイコフスキーがタネ本としたのがシラー原作の戯曲だけでないことも
重々承知した上で、ことさら
シラーの劇より残忍に描いたチャイコフスキーの人格否定を強調する。
それはさておき、
イングランドに引き渡されたジャンヌは、
Rouen(ルオン、いわゆるルーアン)で異端審問にかけられた。
魔女は悪魔と交わってるので非処女であるという理由で
処女・非処女の"確認"を検査されたが、チャイコフスキーのオペラでは
そんな場面は出てこない。また、判決後にジャンヌは
男装をやめて改宗することで死刑を免れる命乞いを選択した。が、
その後もイングランド軍のもとに拘留されてたので、
性的なhumiliation三昧だった。が、
そんな箇所もチャイコフスキーのオペラには取りあげられてない。
だからまた男装して"女らしさを消した"ために、
減刑を取り消され、即、火炙り、という
ワナにジャンヌはハメられたのである。最期、
焚刑にされたときにも、熱と煙で窒息死したジャンヌの服が燃えて
火がいったん遠ざけられ、"19歳の魔女"の性器が群衆に晒される、
という恥辱を与えられた。が、
そんなスィーンもチャイコフスキーのオペラには出てこない。
アングロ・サクスンに楯突いたり怒らせたりしたらお終いである。
原爆も落とされるし、アジア諸国で残虐行為をしたとでっち上げられ、
クジラやイルカを殺す野蛮な獣だとされる。ともあれ、
そのあとまたジャンヌの遺体は4時間も燃やされた。そして、
セヌ川に遺灰は流され、跡形もなくされた。キリスト教徒は、
「最後の審判」を受けるために死後も遺体をそのままの形で
葬る。が、それを何がなんでも阻むために、
イングランド人はジャンヌの遺体を焼き尽くしたのである。が、
そんな情景はチャイコフスキーのオペラには出てこない。
残酷なはずのチャイコフスキーが書いた台本なのに、不思議である。
伊藤恵子の著述を読んで残酷凌辱劇を期待した聴衆はさぞや
期待はずれに怒り心頭になることだろう。
こんなふうにチャイコフスキーを冷視する人物に伝記を書かせるとは、
ずいぶんと異端な出版社・編集者である。いっぽう、
専門外の人物で共感も感じてない人物の伝記を著述することで
対価を得る仕事を受けるなど、
筋のとおった人物なら潔しとしないはずである。
ジャンヌ・ダルクは、東フランスの現在のロレヌ地方のドンレミの農家で、
ユリウス暦1412年1月6日に生まれたとされる。この日は、
当時は当然ながら現行暦のグレゴリオ暦はなかったが、
遡ってあてはめれば1412年1月15日となる。ともあれ、
この「1月6日」という日は、キリスト教においては、
"Epiphany(イピファニ=公現祭、顕現日)"といって、
特別な意味を持つ。クリスマス後「12」日めのこの日に、
東方3マギ(Magi=magusの複数形)がベツレヘムに到着して、
イエスが神の子であることを公式に祝う日なのである。
ジャンヌは1月6日に実際に生まれてそうした意味で
「神のお告げを聞く少女」となったか、あるいは、
そういう人物だからその日が誕生日とされたか、
である。また、
d'Arc(弓の)というサーネイムから、
軍を率いる役目に相応しいとされたか、
あるいは、そういう役を担ったからd'Arc家の娘とされたか、
である。それから、
フランス語でJeanne(ジャンヌ)というファースト・ネイムは、
ヨカナーン、つまり、預言者ヨハネの名に由来する。すなわち、
ジャンヌという名が預言者に相応しかったか、あるいは、
預言者だからジャンヌという名とされたか、である。
オペラは4幕6場で構成されてる。その1幕終いのほうで、
神のお告げを聞いたジャンヌが使命感で立ち上がり、
それまで育った故郷に別れを告げるアーリヤが歌われる。
「(第7曲)アリーヤ・ヨアンニ=ジャンヌのアーリヤ」
「Andante non troppo、4/4拍子、無調号(実質変イ短調)」
♪ラーーー・ーーー、>ソ・・>ファーー、>ミ・>レーー、>ド│
<ファーー、>ミ>レーー、<ミ・・>ドー、>シー・>ラー、>ソー♪
という短いイントロに導かれて、
"Да, час настал."
(ダー。チャース・ナスタール)
「(拙大意)ああ、そのときが来たのよ」
というセリフでジャンヌが歌いはじめる。
♪ド(ダー)ーーー・ーーーー、・・>ラ(チャース)ーーー・ーー、<シ(ナス)ー│
シ(タール)ーーー・ーーーー・・●●●●・●●●●♪
そして、
変ロ短調、変ニ短調、など、
神の使命で立ち上がる決意をしたものの、
17歳のジャンヌの、それでもまだ故郷と離れがたい、
これから先の不安な心境を表すように、チャイコフスキーは
転調を目まぐるしく繰り返し、また、
→[Piu mosso]→[Allegro moderato]
→[Poco riten.]→[a tempo]
と速度も変じる。が、やがて、
[Andantino、アッラ・ブレーヴェ(2/2拍子)、1♭(ニ短調)]
に落ち着かせる。
"Простите вы, холмы, поля родные;
приютно-мирный, ясный дол, прости!"
(プラスチーチェ・ヴィ、ハルミィー、パリャー・ラドヌィーエ、
プリユートナ・ミールヌィィ、ヤースヌィィ・ドール、プラスチー!)
「(拙大意)さようなら私が育った村の小高い山や野原。そして、
心地よくて穏やかな、清らかな谷も、さようなら!」
♪●●ミー・<ラー>ミー、│>♯レーーー・・ーー、♯レー│
>(N)レー、<ファー・<ラー、>レー│>♯ドーーー・♯ドー、●●│
●●>(N)ドー・<レー・<ミー、│<ファー>♭シー、・<ドー<レー、│
<ミーーー・ーー、ミー│>ラーーー・●●●●♪
チャイコフスキーは中間で3/2拍子に変じ(実質、変ニ長調)、
♪ドーー>ソ・ソーーソ・<ラ<シ<ド<レ│
>ミーーー・>ドー●●・●●>、ラー│
<ドーー>ソ・ソーーソ・<ラ<シ<ド<レ│
>ミーーー・>ドー●●・●●<、♯ドー♪
と、ショパンの「軍隊ポロネーズ」の主題を引用する。ちなみに、
終幕でジャンヌが火刑にかけられる場面でも、チャイコフスキーは
「ニ短調」を採ってる。このアリアの「ニ短調」で
ジャンヌの最期を暗示させてるのである。