現在の日本でクリスマス・イヴを「恋愛相手」と過ごせないと、
みじめな境遇ということになる。
まったくそのとおりである。
私がまさにそれだからである。
山路徹のようにスケコマせる風采も洗脳力もなく、
村上春樹のようにチョウブサでも大衆受けする文章を書けもしない。
といって、
金で無理して頑張るのはもう御免である。
ところで、
コリゴリといえば、いわゆるゴーゴリは、ロスィア語で
ホオジロガモのことである。が、そこから転じて、
気取ってるやつのことを指すようになった。
Николай Васильевич Гоголь
(ニカラーィ・ヴァスィーリイェヴィチ・ゴーガリ(ウクライナ語ではホーホリ)、1809-52)は、
ウクライナの地主の倅である。そのゴーガリの
"Вечера на хуторе близ Диканьки"
(いわゆる「ディカーニカ近郷夜話」)の中の、
"Ночь перед рождеством"
(「降誕祭の前夜」=クリスマス・イヴ)
が、チャイコフスキーのオペラ
"Черевички(チリヴィーチキ)"
の原作である。ヂカーニカ(いわゆるディカーニカ)は、
ウクライーナのパルターヴァ(いわゆるポルタヴァ)近郊、コサックの郷である。
チャイコフスキーの父方はこのコサックである。だから、
妹はウクライーナの貴族ダヴィードフ家に嫁いだのである。
オペラのいわゆる「チェレヴィチキ」は「鍛冶屋のヴァクーラ」の改作である。
[ウクライナの町ヂカーニカで鍛冶屋をしてるヴァクーラは、コサックの娘で恋人のオクサーナに
エカチェリーナ2世が宮廷で履いてるような靴が欲しい、手に入れてくれなきゃ
結婚してあげないっ、とせがまれる。ヴァクーラは母親に言い寄る悪魔を使って
空を飛んでペテルブルクに着く。女帝に謁見するために首都を訪れてた
コサックの一団に交じって舞踏会に紛れ込み、大胆にも女帝に靴を所望する。
幸運にも下賜され、ヂカーニカに帰還する。そして、オクサーナにつらくあたられて
はかなんで自殺したと思われてたヴァクーラを見てオクサーナは求愛を受け入れ、
目出度しめでたしで終わる]
チャイコフスキーがなぜこのようなつまらない話を題材に選んだのか、
父親が英国人の木村カエラがなぜあれほど英語が下手なのか、
宇津井健と長谷川初範の顔の違いが判別できない
拙脳なる私には解らない。自分のルーツのひとつである
コサックの郷の話だからかもしれない。あるいはまた、
父イリヤーが関係してた鉄鉱に鍛冶屋、だからかもしれない。が、
音楽はそうわるくない。
【序曲】
[Andante con moto、3/4拍子、無調号(ハ長調)]
****♪●●ラー・>ソー<ラー・>レー>ドー│<ラ>ソ<ラ<ド・ドーーー・ーーーー│
●●ドー・<レー>ソ>ファ・<ドーーー│●●ドー・<レー>ソ>ファ・<ドーー♪
[Andante、3/2拍子、2♭(変ロ長調)]
***♪ファーー>ミ・>レ<ミ<ファ>ミ>レ・<ミー<ソー│
>ファーー>ミ・>レ<ミ<ファ>ミ>レ・<ミー<ソー│
<ラー>ファー・ファーファ<ラ・>ソー<ラ>ソ│
>レーレー・レー>ラ<シ・<ドード<レ│
<ミーミ<ソ・>レー>ドー・<レーーー♪
じつに"チャーミング"である。ときに、
"Черевички(チリヴィーチキ、いわゆるチェレヴィチキ)"とは、
英語では、"Slippers"とか"Little Shoes"とか訳されてる。
日本では、「小さい靴」「かわいい靴」などとされてる。本来(語源的に)は、
腹の革で仕立てた毛附きのショート・ブーツである。それが、
家の中で履かれる寛いだ室内履きになり、あるいは、
舞踏会で履かれるような装飾を施したハイヒールなダンス・シューズになった。たとえば、
クリスチャン・ルブタンの靴やサンダルを想像してもらえばいい。
ちなみに、
今日の日テレ「Don!」で、ここがヘンだよ日本人、のパロディをやってた。そこで、
クリスマスに靴に菓子を入れるニホンジンはヘンだとガイジンが言ってた。
あの、ボテっとしたいわゆる菓子入りクリスマス・ブーツは、
戦後、近江商人が始めたものらしい。
みじめな境遇ということになる。
まったくそのとおりである。
私がまさにそれだからである。
山路徹のようにスケコマせる風采も洗脳力もなく、
村上春樹のようにチョウブサでも大衆受けする文章を書けもしない。
といって、
金で無理して頑張るのはもう御免である。
ところで、
コリゴリといえば、いわゆるゴーゴリは、ロスィア語で
ホオジロガモのことである。が、そこから転じて、
気取ってるやつのことを指すようになった。
Николай Васильевич Гоголь
(ニカラーィ・ヴァスィーリイェヴィチ・ゴーガリ(ウクライナ語ではホーホリ)、1809-52)は、
ウクライナの地主の倅である。そのゴーガリの
"Вечера на хуторе близ Диканьки"
(いわゆる「ディカーニカ近郷夜話」)の中の、
"Ночь перед рождеством"
(「降誕祭の前夜」=クリスマス・イヴ)
が、チャイコフスキーのオペラ
"Черевички(チリヴィーチキ)"
の原作である。ヂカーニカ(いわゆるディカーニカ)は、
ウクライーナのパルターヴァ(いわゆるポルタヴァ)近郊、コサックの郷である。
チャイコフスキーの父方はこのコサックである。だから、
妹はウクライーナの貴族ダヴィードフ家に嫁いだのである。
オペラのいわゆる「チェレヴィチキ」は「鍛冶屋のヴァクーラ」の改作である。
[ウクライナの町ヂカーニカで鍛冶屋をしてるヴァクーラは、コサックの娘で恋人のオクサーナに
エカチェリーナ2世が宮廷で履いてるような靴が欲しい、手に入れてくれなきゃ
結婚してあげないっ、とせがまれる。ヴァクーラは母親に言い寄る悪魔を使って
空を飛んでペテルブルクに着く。女帝に謁見するために首都を訪れてた
コサックの一団に交じって舞踏会に紛れ込み、大胆にも女帝に靴を所望する。
幸運にも下賜され、ヂカーニカに帰還する。そして、オクサーナにつらくあたられて
はかなんで自殺したと思われてたヴァクーラを見てオクサーナは求愛を受け入れ、
目出度しめでたしで終わる]
チャイコフスキーがなぜこのようなつまらない話を題材に選んだのか、
父親が英国人の木村カエラがなぜあれほど英語が下手なのか、
宇津井健と長谷川初範の顔の違いが判別できない
拙脳なる私には解らない。自分のルーツのひとつである
コサックの郷の話だからかもしれない。あるいはまた、
父イリヤーが関係してた鉄鉱に鍛冶屋、だからかもしれない。が、
音楽はそうわるくない。
【序曲】
[Andante con moto、3/4拍子、無調号(ハ長調)]
****♪●●ラー・>ソー<ラー・>レー>ドー│<ラ>ソ<ラ<ド・ドーーー・ーーーー│
●●ドー・<レー>ソ>ファ・<ドーーー│●●ドー・<レー>ソ>ファ・<ドーー♪
[Andante、3/2拍子、2♭(変ロ長調)]
***♪ファーー>ミ・>レ<ミ<ファ>ミ>レ・<ミー<ソー│
>ファーー>ミ・>レ<ミ<ファ>ミ>レ・<ミー<ソー│
<ラー>ファー・ファーファ<ラ・>ソー<ラ>ソ│
>レーレー・レー>ラ<シ・<ドード<レ│
<ミーミ<ソ・>レー>ドー・<レーーー♪
じつに"チャーミング"である。ときに、
"Черевички(チリヴィーチキ、いわゆるチェレヴィチキ)"とは、
英語では、"Slippers"とか"Little Shoes"とか訳されてる。
日本では、「小さい靴」「かわいい靴」などとされてる。本来(語源的に)は、
腹の革で仕立てた毛附きのショート・ブーツである。それが、
家の中で履かれる寛いだ室内履きになり、あるいは、
舞踏会で履かれるような装飾を施したハイヒールなダンス・シューズになった。たとえば、
クリスチャン・ルブタンの靴やサンダルを想像してもらえばいい。
ちなみに、
今日の日テレ「Don!」で、ここがヘンだよ日本人、のパロディをやってた。そこで、
クリスマスに靴に菓子を入れるニホンジンはヘンだとガイジンが言ってた。
あの、ボテっとしたいわゆる菓子入りクリスマス・ブーツは、
戦後、近江商人が始めたものらしい。
返事が遅くなって申しわけありません。
「チェレヴィチキ」をご存じとは奇特なかたですね。
久しくお聴きになってないご様子ですが、
チャイコフスキーの音楽が脳裏から去ローハずはありますまい。
長らく聴いてませんので、序曲のドレミ表示を口ずさんでもピンとこないのが残念です。
正月の休みにでも聴いてみようと思います。