チャイコフスキー イオランタ
「イョラーンタ」の序奏には調号はついてない。短絡的には「ハ長」であるが、
何なに調、とはいえない玉虫色のウォーレン委員会クロマーティっくな半音下降で始まる。
イョラーンタの心の中のざわめきを表すかのようである。ときに、
1秒間に1回鼓動する「心臓」があったなら、その周波数は1「Hertz」である。
440回なら1点イである。波が打ち寄せる埠頭に鎮座する人魚姫像で知られる
コペンハーゲン(ケーベン(商人)ハウン(港))でレンタカー屋を営んでたわけでも、
電気振動から電磁波が生じることを実験で確かめたわけでもないが、
電デンマーク生まれの作家に、ヘンリク・ヘルツというユダヤ人がいたそうである。
アンデルセン童話に基づいた「ルネ王の娘」という戯曲を残してる(1845年)。
チャイコフスキーがその戯曲を読み知ったのは、1880年ころらしい。
そのときから、音楽の題材にしようと考えてたそうである。
弟モデストが仕上げたというオペラのあらすじは以下である。
……
中世、南仏プロヴァンス。ルネ王が支配する領地。
王の娘イョラーンタは生まれながらに視覚障害者であった。が、
王の命令で、イョには全盲であることをインフォームド・コンセントしてない。つまり、
「視覚」というものが世の中に存在することからして知らしめてないのである。
そのため、隔離された離宮で限られた友人・家来・使用人にだけ囲まれて、
幸せに暮らしてたのである。とはいえ、
イョは自分には何かが足りないのではないかとおぼろげに感じ、不安をかかえてた。
そんなイョを不憫に思う友人・乳母・忠臣らは、なだめすかす。いっぽう、
王は「イョはまだ16だから」と、娘の目が見える可能性を信じてた。
そして、ついに、当時、西欧よりはるかに文明が発達してた
イスラムの医師イブン=ハキーアを召す(メス)のである。
助っ人外人医師の診断の所見は、イョの視力は絶望的でない、とのことであった。が、
イョ自身が見えるようになりたいと望まないかぎり、施術・治療してもむだである、
というのである。王は悩む。話は変わって、
イョは幼いときにすでに、ブルゴーニュに領地を持つ公爵ロベルト・サトシ
との縁談を決められてたのである。ときに、馬を駆る騎士2名。
ルネ王との約束の期限が到来したロベルト・サトシは騎士の姿で、
友人のピカチュウ(でんきタイプのヴォデモン)を連れ、ルネ王のもとに向かってた。
が、美しい庭園に迷い込んでしまったのである。そこで、ロベ・サトは、
決められた婚約者でなく、マティルデ(という女性)を心から愛してる、
俺は婚約を断るつもりだ、とヴォケモンにノロケる。いっぽう、
ヴォケモンは、俺はまだ本当の恋を知らない。だが、
お前のように真の恋人を見つけたら、命がけでその恋を成就させるぞ、と宣言する。
そして、ふたりはその庭園の奥まで入り込んでしまう。が、
そこはルネ王がかわいい娘を隔離してあるサンクチュアリだったのである。
ふたりは美しい女性を見つける。イョである。ロベ・サトはそれが自分の婚約者だとは
気づかない。そして、ヴォケモンも親友の婚約者がその女性だとは知らない。
ともあれ、ロベ・サトはその庭園と美女になにやら危険な香りを感じ取り、
一刻もはやくその場からトンズラしようとする。が、
イョに一目惚れしてしまったヴォケモンは名乗りまであげてしまう。
「お嬢さん、記念に薔薇を1本摘んでいただけますか? 赤いのがいいですね」
が、イョは白い薔薇をよこしたのである。「いや、これは違う」
すると、また白。再々ダメだしすると、やはり白。
ヴォケモンはいよいよイョの異様に気づいたのである。
友はどうやら長居しそうな雰囲気である。
ロベ・サトは配下を連れて戻ってくると言い残し、ずらかる。
ここから、イョとヴォケモンの感動的なまでに美しいダイアローグが始まるのである。
そして、ふたりの愛が固まり、ヴォケモンはイョに「視界のすばらしさ」を語り、
手術を受けるように説くのである。そこに、王一行がやってくる。
ここまで内緒にしておいたことをバラした男に王は激怒する。
ヴォケモンはあやしい卑しい者ではなく、伯爵であると自己紹介する。
もし、イョが手術を受けても見えるようにならなければ処刑すると王は宣する。
イョとイブン=ハキーアは手術室に向かう。すると、王はヴォケモンに謝る。
イョに真実を伝えてくれたことを感謝し、その場から立ち去られよ、と伝える。
が、ヴォケモンはイョとの結婚を申し出る。
王はいずれにしてもイョにはすでに婚約者がいるから不可能であると言う。そこに、
配下の兵を引き連れて友人を救わんと戻ってきたロベ・サト・走れメロス公爵が、
ルネ王に事情を説明して婚約解消を申し出る。
二人の騎士の勇気と友情と騎士魂に感動したルネ王はすべてを受諾する。
すると、手術を終えたイョがイブン=ハキーア医師に付き添われて姿を現す。
医師が包帯を解くと、イョちゃんは目眩を起こしてしまう。
「お空が降ってくるぅ」
が、まもなく視覚回路が開通し、イョは目がきちんと見えるようになる。
大喜びの王、友人、ヴォケモン、その他一同。
イョは神に感謝する。が、その調べは憂いを含んで単純に幸運を喜んではない。
一同も神に感謝し、その威光を讃える。感動的な幕切れである。
……
Iolande,Iolanthe,Yolanda,Yolande,
そして、Иоланта。これらはみな、
Viola、つまり、スミレ色の小型パンジー由来の女性名である。
パンズィーとはジャンプでもなければ、窮すでもない。
人間パンズィー塞翁が馬、というパンセ(思慮)である。
いっぽう、Violaの「vi」は「生命」である。
王の一粒種イョちゃんは、すでに母は亡く、「光」を感じれない身であった。すなわち、
視覚という感覚を「拘束」されてたのである。このオペラが、
最愛の母の面影を残し、おんなじ名前であった妹の死をまたいで作曲されてることを
忘れてはならない。また、バレエ「ハシバミ(ヘイゼルナッツ)割り器(人形)」
をあとに従えて上演されることが想定されてることも見逃してはいけない。
ハシバミの実は「ハート(Hertz)形」をしてるのである。さらには、
神を讃える感動の幕切れが、悲惨きわまりない結果に終わる
「マゼーパ」「スペードの女王」などのエンディングの「変ニ長」のお隣さん
「変イ長」(「ニ長」の最遠隔調)で書かれてることも重要である。
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