先月24日に、
米映画"East of Eden(イースト・オヴ・イードゥン=エデンの東)"(1955)
にAbra(エイブラ)役で出演してた女優の
Julie Harris(ジュリー・ハリス、1925-2013)女史が87歳で死んだ。
主演のジェイムズ・ディーンの死から58年も経ってた。奇しくも、
その死の前日に、日本ではテレ東のBSジャパンで
「エデンの東」が放送されてた。気が向いて、
留守録しておいて夜中(つまり24日)に観たところだった。が、
ハリス女史の映画は他に観たことがない。日本では他に
TV刑事コロンボ・スリーズの、ドナルド・プレザンスが犯人役の回の、
"Any Old Port in a Storm(嵐の中では港の選りすぐりはできない
→窮余の策。背に腹は替えられぬ。邦題=別れのワイン)"(1973)
で、犯人に結婚を迫るが、犯人はそれくらいだったら
自白するほうがいい、というものくらいしか知られてない。ちなみに、
この役を日本語版に吹き替えた俳優座の大塚道子女史も
ハリス女史と同じ虚血性心疾患で今年の2月に亡くなった。ともあれ、
ハリス女史は"あの"アクターズ・ストゥディオウに学んだ、
トニー賞5回、エミー賞3回、グラミー賞1回、をそれぞれ受賞した
大舞台女優だったのである。
映画「エデンの東」は、
かつて共産党に入党してたことで赤狩りに遭い、
仲間をチクって自分への追及を免れる取引をしたことで、
のちのちまでハリウッド映画界で嫌われ者だった
Elia Kazan(エリア・カザーン、1909-2003)が監督した映画である。ちなみに、
同人の誕生日は9月7日である。1998年の
同人に与えられたアカデミー賞名誉賞の席は
反意を示す映画人の態度で異様な雰囲気につつまれた。ともあれ、
ハリス女史と同じくNYのいわゆるアクターズ・スタジオで学んだ
ジェイムズ・ディーンは、その異様な容姿とトリッキーで演技過多な芸風で
映画むきではないと私は思うが、いずれにしても、
この「エデンの東」は映画としてはまったくの駄作である。が、
ハリス女史の"舞台俳優らしからぬ"自然体の演技と、
主題曲だけは秀逸だった。映画のエンディング・スィーンで、
ディーンが父に受け入れられたとハリス女史に告げる。
心優しきハリス女史はそれを喜び、
ディーンからのキスを静かに受け入れる。そこに、
主題曲が重ねられるのである。
主題曲は、
シェーンベルクの弟子で本職はクラ音の現代音楽作曲家である
Leonard Rosenman(レナード・ロウゼンマン、1924-2008)が作曲した。
サウンドトラック版はヴァルスのテンポで、
スタインベックの宗教的な家族小説というよりは、
西部劇のBGMのように聞こえる。
ドクター・クイン一家がワルツでも踊りだしそうである。いっぽう、
Victor Young(ヴィクター・ヤング、1900-1956)のアレンジは、この
憂愁の音楽をさらに感傷の極みに仕立てた。
ヤングはシカゴ生まれだが、10代のときに祖父がいるポーランドや
パリのコンセルヴァトワルで音楽教育を受けた。
ロシア最後の皇帝に気に入られ、前途洋々だった。が、
ボリシェヴィキによる革命で、皇帝のお気に入りだったヤングは
処刑されるところだったが、命からがら国外に逃げた。
1920年にシカゴに戻ってポップス音楽に関わるようになった。
ビング・クロスビーの録音の際のディレクターとなり、
ハリウッドで映画音楽に携わるようになった。
「誰がために鐘は鳴る」「サムソンとデリラ」「静かなる男」、そして、
「シェーン」「八十日間世界一周」。だが、なんといっても、
「エデンの東」のアレンジが最高傑作である。
♪ソー│<ドーードー│<ミーーー>ドー│>ラーーーー│ーーーーーー│
ラー<シー<ドー│<シー<ドー<レー│>ソーーーー│ーーーー♪
ロウゼンマンの原曲は、
パパ・ハイドンの「交響曲第31番」(ホルン信号)の第4楽章のテーマ、
♪ソーーー│<ドーーードーーー・ーーーー<ミーー>ド│(>シー)>ラーラーーー・ーーーー♪
に似てる。が、ハイドンの曲は、
「エデンの東」の音楽の寂寥感とは無縁のものである。
ヤングの編曲にいたっては、映画音楽として
これほど哀切にして美しく感動的なものはない。
(ハイドンの「交響曲第31番」(ホルン信号)の第4楽章のテーマを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/haydn-j-symphony-31-4th-mov
にアップしておきました)
米映画"East of Eden(イースト・オヴ・イードゥン=エデンの東)"(1955)
にAbra(エイブラ)役で出演してた女優の
Julie Harris(ジュリー・ハリス、1925-2013)女史が87歳で死んだ。
主演のジェイムズ・ディーンの死から58年も経ってた。奇しくも、
その死の前日に、日本ではテレ東のBSジャパンで
「エデンの東」が放送されてた。気が向いて、
留守録しておいて夜中(つまり24日)に観たところだった。が、
ハリス女史の映画は他に観たことがない。日本では他に
TV刑事コロンボ・スリーズの、ドナルド・プレザンスが犯人役の回の、
"Any Old Port in a Storm(嵐の中では港の選りすぐりはできない
→窮余の策。背に腹は替えられぬ。邦題=別れのワイン)"(1973)
で、犯人に結婚を迫るが、犯人はそれくらいだったら
自白するほうがいい、というものくらいしか知られてない。ちなみに、
この役を日本語版に吹き替えた俳優座の大塚道子女史も
ハリス女史と同じ虚血性心疾患で今年の2月に亡くなった。ともあれ、
ハリス女史は"あの"アクターズ・ストゥディオウに学んだ、
トニー賞5回、エミー賞3回、グラミー賞1回、をそれぞれ受賞した
大舞台女優だったのである。
映画「エデンの東」は、
かつて共産党に入党してたことで赤狩りに遭い、
仲間をチクって自分への追及を免れる取引をしたことで、
のちのちまでハリウッド映画界で嫌われ者だった
Elia Kazan(エリア・カザーン、1909-2003)が監督した映画である。ちなみに、
同人の誕生日は9月7日である。1998年の
同人に与えられたアカデミー賞名誉賞の席は
反意を示す映画人の態度で異様な雰囲気につつまれた。ともあれ、
ハリス女史と同じくNYのいわゆるアクターズ・スタジオで学んだ
ジェイムズ・ディーンは、その異様な容姿とトリッキーで演技過多な芸風で
映画むきではないと私は思うが、いずれにしても、
この「エデンの東」は映画としてはまったくの駄作である。が、
ハリス女史の"舞台俳優らしからぬ"自然体の演技と、
主題曲だけは秀逸だった。映画のエンディング・スィーンで、
ディーンが父に受け入れられたとハリス女史に告げる。
心優しきハリス女史はそれを喜び、
ディーンからのキスを静かに受け入れる。そこに、
主題曲が重ねられるのである。
主題曲は、
シェーンベルクの弟子で本職はクラ音の現代音楽作曲家である
Leonard Rosenman(レナード・ロウゼンマン、1924-2008)が作曲した。
サウンドトラック版はヴァルスのテンポで、
スタインベックの宗教的な家族小説というよりは、
西部劇のBGMのように聞こえる。
ドクター・クイン一家がワルツでも踊りだしそうである。いっぽう、
Victor Young(ヴィクター・ヤング、1900-1956)のアレンジは、この
憂愁の音楽をさらに感傷の極みに仕立てた。
ヤングはシカゴ生まれだが、10代のときに祖父がいるポーランドや
パリのコンセルヴァトワルで音楽教育を受けた。
ロシア最後の皇帝に気に入られ、前途洋々だった。が、
ボリシェヴィキによる革命で、皇帝のお気に入りだったヤングは
処刑されるところだったが、命からがら国外に逃げた。
1920年にシカゴに戻ってポップス音楽に関わるようになった。
ビング・クロスビーの録音の際のディレクターとなり、
ハリウッドで映画音楽に携わるようになった。
「誰がために鐘は鳴る」「サムソンとデリラ」「静かなる男」、そして、
「シェーン」「八十日間世界一周」。だが、なんといっても、
「エデンの東」のアレンジが最高傑作である。
♪ソー│<ドーードー│<ミーーー>ドー│>ラーーーー│ーーーーーー│
ラー<シー<ドー│<シー<ドー<レー│>ソーーーー│ーーーー♪
ロウゼンマンの原曲は、
パパ・ハイドンの「交響曲第31番」(ホルン信号)の第4楽章のテーマ、
♪ソーーー│<ドーーードーーー・ーーーー<ミーー>ド│(>シー)>ラーラーーー・ーーーー♪
に似てる。が、ハイドンの曲は、
「エデンの東」の音楽の寂寥感とは無縁のものである。
ヤングの編曲にいたっては、映画音楽として
これほど哀切にして美しく感動的なものはない。
(ハイドンの「交響曲第31番」(ホルン信号)の第4楽章のテーマを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/haydn-j-symphony-31-4th-mov
にアップしておきました)
コメント、ありがとうございます。
カザンは「紳士協定」も「欲望という名の電車」も「波止場」も
私はまったく好きでありません。懐かしいと思うのは唯一、
「草原の輝き」だけです。
「エデンの東」の音楽はまず中学生のときにヴィクター・ヤングのアレンジを
シングル・レコード(「シェーン」の主題曲ヤング作曲の「遙かなる山の呼び声」がB面)
を買って聴いてから日比谷だったか丸の内だったかでリヴァイヴァルで
映画を観たので、ローゼンマンのサウンドトラックを聴いて拍子抜けした記憶があります。
「スクリーン」、懐かしいですね。私が中学生の頃にちょうど
「ロードショー」も刊行されたので、それと併せて毎月買ってました。
1970年代前半です。ウーマン・リヴ運動の影響で、
ハリウッドはキャロール・ロンバードのような昔ながらのブロンド美人女優を使えなくなって
女優ではキャサリン・ロスやキャンディス・バーゲン、イタリア人ソフィア・ローレン、
男優ではスティーヴ・マックイーンやチャールズ・ブロンソン、
ポール・ニューマンやロバート・レッドフォード、
マカロニ・ウェスタンのクリント・イーストウッド、フランコ・ネロ、
先日交通事故で亡くなったジュリアーノ・ジェンマなどが人気だった時代です。
雑誌広告のアメリカの映画関係グッズ会社から、
タイロン・パワーやフランス人アラン・ドロンなど、
往年の二枚目スターの若い頃の写真やバッジを買ってました。
ビクターヤングの「エデンの東」は、よくラジオから聴きました。
当時の洋楽では、いつもトップの人気がありました。
ジェームス・ディーンは、初めは「スクリーン」という映画雑誌で知りましたが、中学生の子供心に白いセーターがとても似合っていると思ったものです。(笑)
高校の頃 リバイバルで「エデンの東」を観ましたが、内容がわかりづらく面白くありませんでした。
ジュリー・ハリスは清楚な感じは受けましたが、美人とは言い難いと思いました。(笑)
亡くなった時の新聞記事で、エミー賞を3回も受賞された大女優ということを、改めて知り驚きました。