チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ochre言葉」

2007年03月18日 23時42分15秒 | サウンドオヴ最前列(カブリ付の下顎
先週は街のあちこちで、袴姿が見られた。
大学の卒業式なのだろう。低学歴の私にはまったく縁のない風景だが、
未だにああいういでたちで式に臨む風習があるらしい。
「謝恩会」という言葉も私には無縁である。ところで、
昨日の中山競馬のメインレイス“フラワーカップ”は、
5番→15番、という馬が勝ち負けし、
今日の中山競馬のメインレイス“スプリングステークス”も、
1番→11番、という馬が1着2着し、
馬番の一の位を揃えた。「区切り」の意図を感じる。いずれにしても、
先週は「卒業シーズン」だった、ということなのだろう。
「卒業」といえば、私くらいのオヤジ世代にはキャサリン・ロスであるが、
それより10年くらいあとの世代の卒業式で歌われたらしいのは、
“スカボロー・フェアー”でもなければ“ミセス・ロビンソン”でもない。
海援隊の“贈る言葉(千葉和臣【【作曲】】)”だそうである。
♪くれぇ~~なずぅ~むまちのぉ~~~~~♪
当時の学童さんらが、“仰げば尊し”や“蛍の光”が
古臭くて時代にそぐわない、との理由でとっかえた、のだったそうである。
しかし、その“贈る言葉”も、いまの学童にはとても恥ずかしくて
歌える代物ではないのだとか。それもそのはず、
“贈る言葉”の冒頭のフシは、
♪【ソ│<ドーード・<ミー>レ>ド】│>ラ<ドーー・ーーー♪
である。
♪ラー│>ソーー>ミ・<ファ>ミ>レ>ド│<ミ●>ソ<ラ・<ドーーー♪
ではない。それだと、考えが「幼い」ので
「金八のジェニー」になってしまうぞ、バカチィ~~~ン!である。
それはともかく、いっぽうで、
さらに「むかし」の卒業歌“蛍の光”のでだしは、
♪【ソー│<ドーード・ドー、<ミー│>レーー>ド】<レー♪
である。“贈る言葉”の冒頭はこれとまったくおんなじである。つまり、
“贈る言葉”は“蛍の光”の「焼き直し」に他ならないからである。
それらはどうでも、あの「女子学生に袴」という「モード」は、
「実践女子大」の創設者である下田歌子女史が、
「華族女学校(学習院女子部の前身)」教授時代に提案したものだとか。
「海老茶」色の股なし袴である。ときに、
「えびちゃ」といえば、先日、A布某所で、国立音大の学長だった
「えびちゃ」わびん先生をお見かけした。オークル色のファンデを塗った
「えびちゃ」ん、でなかったのが残念であるが、海老澤敏先生といえば、
モーツァルト研究の世界的権威であらせられる。が、
いっぽうで、ジャン・ジャック・ルソーの研究者でもある。ちなみに、
仏語で「ルソー(rousseau)」とは「焦げ、錆」の類である。
ちょっと変色すれば「海老茶色」。海老澤先生、それで、
ジャン・ジャック・ルソーとご自身とを結びつけたのかもしれない。さて、
結ぶ、といえば、「むすんで、ひらいて」という歌は、
ジャン・ジャック・ルソーと関わりがあるそうである。
♪【【ミーミ>レ・>ドードー│<レーレー・>ミ>レ>ドー】】♪
「村の易者(村の占い師)」と邦題が附せられてる音楽劇の作曲者は、
ジャン・ジャック・ルソーである。ちなみに、「村の占い師」は、
少年モーツァルトが作ったズィングシュピール
「バスティアンとバスティエンヌ」の「元ネタ」である。すでに、
このブログで以前に示したように、「コルシカ島」の
「バスティア」の男子(=バスティアン)と
「バスティア」の女子(=バスティエンヌ)との
お話、なのであるからして、そのイントラーダの
♪ドーーー<ミー│>ドーーー>ソー♪という動機は、
のちにベートーフェンが「コルシカ島」生まれのナポレオンを象徴した
「英雄交響楽(op.「55」)」の主章の主主題にした
♪ドーーー<ミー│>ドーーー>ソー♪の「元ネタ」なのである。
ものの本によれば、ベートーフェンが
「バスティアンとバスティエンヌ」を知ってたとは考えられない、
というのであるが、その筆者が、
バスティアがコルシカ島の町の名だと知ってるとは考えがたい。
   (*「英雄交響楽」についてはまたあらためて触れる予定である)
ともかくも、海老澤先生によると、ルソーの「村の占い師」の中に、
*♪ミー<ファ>レ・>ドードー│<レ>ド<レ<ファ・>ミー>レー♪
というフシがあり、これを、
♪どぉ~~~こぉ~のぉ~、だぁ~~れだぁ~かぁ~、
 しぃ~~らなぁ~いぃ~、けぇ~~れどぉ~~~♪
という歌で知られるとかしられないとかいわれる
ヨーハン・バプティスト・クラーマー天狗というピアニストが、
「『ルソーの夢』変奏曲」の主題として使った、そうなのである。
(*ルソー作曲「村の易者」中「パントミム」(ト長)
 ♪ミーー<ファ>ミ>レ・>ドッ●ドッ●|
 <レ>ド<レ<ファ・>ミ(tr)ー>レ●|
 <ミーー<ファ>ミ>レ・>ドッ●ドッ●|
 <レ>ド<レ<ミ・>ドーー●|
 <ミ>レ<ミ<ファ・<ソッ●ソッ●|
 ソー<ラ>ファ・<ソーー|
 >ミ>レ<ミ<ファ・<ソッ●ソッ●|
 ソー<ラ>ファ・<ソーー●♪)
いずれにせよ、このフシは、世界じゅうで歌われてて、
賛美歌にもなってるのだそうである。いっぽう、我が国では、当初、
「見わたせば」というタイトルで歌われてたとか。
♪見ぃ~~~わぁ~たぁ~せぇ~~~ばぁ~~~、
あぁ~~~おぉ~~~やぁ~なぁ~ぎぃ~~~、
はぁ~~~なぁ~ざぁ~くぅ~~~らぁ~~~、
こぉ~きぃ~まぁ~ぜぇ~てぇ~~~♪
この歌詞は、古今集に収められてる素性法師の、
「見わたせば、柳桜を、こきまぜて、都ぞ春の、錦なりける
(拙大意:周囲をグルっと見回してみると、柳の緑や桜の薄紅色などを、
かきまぜたような色とりどりな美しい光景なのだよ。
いまは春の京都も、秋の錦に勝るとも劣らない景観なことなのだなぁ)」
を組成の一部にしてるのだそうである。ちなみに、私が好きなのは、
桜のマゼンタ30%に対して自生してる菜の花のイエロー100%が
「こきまぜられ」てはいないが好対照な江戸城牛ガ淵の花見シーズンである。
菜の花といえば、利休が、
♪毛利ぃ~へぇ~、ゆきぃ~ましょぉお♪と信長を罠にかけたのを、
♪ランラララン、ランラララン、森、ラァ~~ン丸ゥ~~~♪
と釘をさされて過剰に警戒した秀吉から死を命ぜられて
舟で鴨川→桂川→淀川と移送されたとき、
川べりに自生してた菜の花を見て感極まったのだという。数年後、秀吉は
♪おぉ~きな栗のぉ~木下でぇ~~♪ではなく「伏見城」で死ぬのだが、
「難波のこと」=「離宮(=利休)」も「夢のまた夢」だったようである。
さて、それはどうでも、
この♪【【ミーミ>レ・>ドードー】】♪が
「むすんでひらいて」というお遊戯歌になったのがいつなのか、
シカとはわからないそうである。シカし、明治42年には、
いまの「東京医科シカ大学」の敷地にあった
「女子師範学校」の附属幼稚園で歌われてたらしい。ちなみに、
私が幼稚園児のころはクレヨンに黄土色というのがあったものである。
それはどうでも、現代においては、
2年前に木村カエラ女史が歌って今はソフトバンクになってしまった
ヴォーダフォン(AU交響楽ではない)のCMにも使われてた
「リルラ・リルハ(曾田茂一【【作曲】】)」に、
「むすんでひらいて」は脈々と【【引継がれ】】てるのである。
♪【【わぁ~すぅ~・れないで│●かんじ・ることをぉ│~~~~・~~~~】】♪
これは、
♪【【ミーミー・ミ>レ>ドド│●<レレレ・>ミ>レ>ドド│ーーーー・ーーーー】】♪
つまり、
♪【【ミーミ>レ・>ドードー│<レーレー・>ミ>レ>ドー】】♪
なのである。「もう届かない」こともない
リアル・ストーリーなのである(リアル・黒田知永子女史ではない)。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「すみれのブーケをつけたベ... | トップ | 「エトルリア式馬券術/第3... »

コメントを投稿

サウンドオヴ最前列(カブリ付の下顎」カテゴリの最新記事