最近、某大の物理学科を出た20代のおねえさんと
飯トモになった。といっても、
対当の立場ではもちろんない。あっしのほうは、
バブル期で言われたアッシー、メッシー、
メシ奉公である。が、
そのおねえさんの話といったら、
とてつもなくオモシロイし、タメになる。
金と暇をつぎ込む価値がある、のである。ただ、
「量子力学」は話をされても、
久保田カヨ子女史とデューク更家の顔の区別ができず、
唱歌「茶摘み」、
***♪【●●ソー<・ドー<レー│<ミーーミ・ミーミー│<ソーーソ・ソー>ミー】│>レー>ドー・<レーーー♪
と、
***♪●●ソー<・ドー<レー│<ミー<ソー・<ドー>シー│♭シーーー・ーーーー│ーーーー・●●●●♪
という前奏で始まる團伊玖磨大先生の「花の街」、
***♪【●●ソー<・ドー<レー│<ミーーー・ミーミー│<ソーーー・>ミー】>ドー│>ラーーー・ーーーー♪
と、中田喜直大先生の「かわいいかくれんぼ」、
***♪【ソーー<ド・ドーード│<レー●●・●●●●│<ミーーミ・ミーミー│<ソーーソ・>ミーー>ミ】│>レーーレ・レーー>ド│<レー●
●・●●●●♪
らの節の違いが聞きわけれない拙脳な私には
理解できるはずもなく、ただただ、口をポカンと開けてる
「馬の耳に念仏」状態である。
外からは中が見えない箱の中に、
2匹のネコを入れる。箱には仕切りがあり、
それを挟んでネコは入れられてる。
箱には放射性物質とガイガーカウンターも入れられてる。
放射性物質にアルファ崩壊が生じれば、
ガイガーカウンターがそれを検知して仕切りを壊す、
という仕組みにしてあるとしよう。さて、ネコの
1匹はFIV陽性、もう1匹はFIV陰性、である。が、
アルファ崩壊がいつ起こるかは、
サイコロ振りを司る神にしか分からない。
我々しもじもの者には、フタを開けてみるまでは
分からないのである。したがって、
FIV陰性だったほうのネコが陽性のネコに噛まれて
ネコエイズウィルスを移されたかどうかは、さらに
箱の外にいる我々には分からないし、
検査をしてその結果が出るまで分からないのである。
また、
外からは見えない部屋の中に、
刑事事件の被告人と、その弁護人、
検事、判事、そして、裁判員を入れて
審理させたとしよう。
その裁判の判決がどうでも、
真実はひとつ、なのである。が、
法律は真実を明らかにするものでもない。
ウソでも悪でも犯罪でも、法に適してれば裁けない。また、
司法に携わる者はウソをつかない、という前提があるのは、
菅家氏の一件でも明白である。司法に限らず、
「正しい」ことやものが通用しないことはよくある。
ものの善し悪しが見えず、低いレヴルのものを、
さも、ものすごいもののように崇めるむきも多い。
イヤシの頭も信心から、である。
鰯は「鰯七度洗えば鯛の味」という言葉もあるが、
すくい網で獲るのが鰯漁のコツだそうである。これを、
漁師論と言う。
飯トモになった。といっても、
対当の立場ではもちろんない。あっしのほうは、
バブル期で言われたアッシー、メッシー、
メシ奉公である。が、
そのおねえさんの話といったら、
とてつもなくオモシロイし、タメになる。
金と暇をつぎ込む価値がある、のである。ただ、
「量子力学」は話をされても、
久保田カヨ子女史とデューク更家の顔の区別ができず、
唱歌「茶摘み」、
***♪【●●ソー<・ドー<レー│<ミーーミ・ミーミー│<ソーーソ・ソー>ミー】│>レー>ドー・<レーーー♪
と、
***♪●●ソー<・ドー<レー│<ミー<ソー・<ドー>シー│♭シーーー・ーーーー│ーーーー・●●●●♪
という前奏で始まる團伊玖磨大先生の「花の街」、
***♪【●●ソー<・ドー<レー│<ミーーー・ミーミー│<ソーーー・>ミー】>ドー│>ラーーー・ーーーー♪
と、中田喜直大先生の「かわいいかくれんぼ」、
***♪【ソーー<ド・ドーード│<レー●●・●●●●│<ミーーミ・ミーミー│<ソーーソ・>ミーー>ミ】│>レーーレ・レーー>ド│<レー●
●・●●●●♪
らの節の違いが聞きわけれない拙脳な私には
理解できるはずもなく、ただただ、口をポカンと開けてる
「馬の耳に念仏」状態である。
外からは中が見えない箱の中に、
2匹のネコを入れる。箱には仕切りがあり、
それを挟んでネコは入れられてる。
箱には放射性物質とガイガーカウンターも入れられてる。
放射性物質にアルファ崩壊が生じれば、
ガイガーカウンターがそれを検知して仕切りを壊す、
という仕組みにしてあるとしよう。さて、ネコの
1匹はFIV陽性、もう1匹はFIV陰性、である。が、
アルファ崩壊がいつ起こるかは、
サイコロ振りを司る神にしか分からない。
我々しもじもの者には、フタを開けてみるまでは
分からないのである。したがって、
FIV陰性だったほうのネコが陽性のネコに噛まれて
ネコエイズウィルスを移されたかどうかは、さらに
箱の外にいる我々には分からないし、
検査をしてその結果が出るまで分からないのである。
また、
外からは見えない部屋の中に、
刑事事件の被告人と、その弁護人、
検事、判事、そして、裁判員を入れて
審理させたとしよう。
その裁判の判決がどうでも、
真実はひとつ、なのである。が、
法律は真実を明らかにするものでもない。
ウソでも悪でも犯罪でも、法に適してれば裁けない。また、
司法に携わる者はウソをつかない、という前提があるのは、
菅家氏の一件でも明白である。司法に限らず、
「正しい」ことやものが通用しないことはよくある。
ものの善し悪しが見えず、低いレヴルのものを、
さも、ものすごいもののように崇めるむきも多い。
イヤシの頭も信心から、である。
鰯は「鰯七度洗えば鯛の味」という言葉もあるが、
すくい網で獲るのが鰯漁のコツだそうである。これを、
漁師論と言う。
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