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2週間前の木曜日の午後、阿佐ヶ谷駅前の銀行で地震に出くわした。銀行のITMの誤作動に始まって、やっと正常にうごきだしてお金を下ろしたと思うと、直後に床が揺れだして、みんな外に逃げたのだ。
目の前の阿佐ヶ谷駅に行ってみるとすでに電車は不通。相当大きい地震なのはわかった。家に帰らねばならないが、西荻窪のドコモに荷物を取りに行く用もあるから、とにかくまずは西荻窪駅前に出ようととぼとぼと線路沿いにあるいて荻窪に出た。うまく行けば立教女学院行きがあるだろうと思ったからだ。
誰もが考えることは同じで、吉祥寺の方向を目指す人達で西荻窪駅前を通る立教女学院行きは超満員だった。でもこれを逃がすと長い時間待つことになるから、無理やり乗ってなんとか無事に西荻窪に到着。この段階ではまだ大きい地震があったという程度の認識。ただ、ケータイの津波警報が日本中に出ていて東北方面は大津波警報なのが気になったものの、私でも知っている明治の三陸大津波を経験した土地の人達はさっさと逃げているだろうと思っていたのだった。
あとでわかったのだが、あの辺は後から養子に入った方達の子孫で、肝心の三陸大津波の記憶のある方があまりいなかったらしいのである。そんなこととは知らず、とにかく用を済ませて我が家に帰り着くと、あの揺れだからと覚悟はしていたけれど、予想以上に部屋の中はめちゃくちゃ。場所がないものだから、上へ、上へと積み重ねておいてあったものが全部崩れ落ちて、戸棚のガラスは割れて破片はちらばり、台所は水浸しのひどいありさま。
部屋の片付けはほぼ翌日には終わったのだが、正直なはなし、結構深刻な後遺症が残った。電車に乗って遠くに出かけるのがどうもいやだ。いざという時には歩いてでも帰れる距離以上の場所に出かけるのがいやでならない。相変わらず、余震はまだ続いていて、回数こそ減ったが結構大きいのがいやだ。なにぶん、こちらは普段ほぼ一銭も持っていないことも多いのだ。(みっともないが、お金のないことにかけては自信がある)定期が使えないようになると歩くしかないではないか。遠くで大きい地震に出会うと帰れない。どうにもならなくなってしまう。
というわけで、四谷のミサにも行かなくなり、家でニュースを見聞きするだけで2週間が過ぎた。しかし、この2週間に何が起きたかといえば、あの大量の死者を出した大津波はさらに大変な二次災害を引き起こして、なんと今では原発事故の話題が朝から晩まで飛び交っている。まさか、水を飲むのに放射能の心配をするような事態になるとは2週間前にはどこの誰が考えていたか。
先の先はいざしらず、当面、この水しかない以上、これを飲みますけどね、いったい東電さんはこの事態をどう考えていたのでしょう。個人個人を責めても仕方がありませんけれど、ちょっとあまりにもひどすぎませんかね。自衛隊や東京消防庁の決死隊の方々の爪の垢でも煎じて飲んでいただきたい気がいたします。たしかに、当面はなんでもないでしょう。放射能の怖さは即効性ではありませんから。でも、おばはん世代のこちらは構わないけれど、若い人達や子供たちが心配ですよ。
とりあえず、今言えることはこのくらいですなあ。
※ しかし、必要なときは怖がりながらでもちゃんと四谷にいきます。