まさかそんな、とか言われたって

2016-01-22 20:59:53 | Weblog
困ったなあ、困ったなあ。今日の話はどう書けばよいか迷ってしまう。書いても当時の事情を知らない方々が簡単に信用するとは思えない。おまけに問題が大きすぎてやたらに詳しいことはとてもではないけれど言えないじゃないか。でも本当の話なんだ。今頃こんな話をしなければならないというのも、吉祥寺教会に転出して事情をご存じない方がたとの新しい人間関係が始まるからこちらとしてもどうするか、どうしたらよいか考えてだ。

いや、何しろ、すでに亡くなった困った有力者が生きていたころは話したくても皆様頭から聞こうとなさらなかった。無名の生活保護受給者の言うことなど取り上げる必要はないという指示でも出ていたのだろうか。教区の責任者もあちらの言うことを鵜呑みにして真実を見ようとなさらなかったのだもの。吉祥寺にもいい加減な話ばかり伝わっていた様子だ。だから今困っているのだ。

書くのはいいけど、こんな話、誰が信じる?と当人自身だって困っている。どう考えても非常識、非現実的だ。でも本当にそうだったのだけどなあ。そうでなければどうして日本から遠いローマの教皇様が未知の人物のSNSの投稿くらいで動いてくださったのか。他の証拠?多分まだ残っていると思うけれど、父ブッシュが大統領になって間もないころ、当時の阿佐ヶ谷の私のアパートに日本時間の深夜にかけてきた国際電話の記録、マスコミ関係者は見たはず。ネブレダ師も、ピタウ師も、遠藤周作先生も、霜山徳爾先生も、土居武郎先生も、家の親類で精神神経科の仕事や大学でも教えていた谷中輝雄も、ユング心理学の河合隼雄先生も、みんなみんな、関係していた方々はこの世を去ってしまったけれど本当に本当の話だったのだ。まあ信じたくなければ信じなくても仕方がないのも本当。

非常に奇妙な信用されなくても仕方がないような、とにかく普通あり得ないような話だ。まさか、と誰もが言うような話。

奇妙な偶然がいくつも重なって、自分が言ったり書いたりしたことが本当にそのようになっていったとしたらどうなのだ。それを知ったマスコミや政財界が巫女だとかシャーマンだとか追いかけまわしてまともに会社で普通に働いていられなくなってしまい、困っていたところに教会の某有力司祭が裏で手をまわしてまだ働き盛りの30台半ばだった私を生活保護受給で最低限は暮らせるようにしたというのが、私の生活保護受給の原因、始まりだ。

仕方がないからそれでは何かやってみようと、童話のようなものや物語を書いてみると誰かさんが今度は書いたものをさる方々のもとに持ち込み、物語がさるお方のお目に上ると、今度はもっと大変で妬み嫉みで中傷誹謗の渦の中。結局、努力の甲斐もなくこちらは無名のままだし、来るのはいじめや悪口ばかり。まだほかにもいろいろあるが、それはもうこちらの問題ではないのでここでは言わない。ただ、欲の皮の突っ張った連中には不思議も神秘も金儲けの道具でしかないことだけはよくわかった。お金、権力、名声をほしがると本当にスターウォーズではないけれど、立派な人だったはずがダークサイドの住人になってしまう。これもホントにホントの話だ。若い時はあんなに立派だったのに晩年は蛇の召使だったりする。

というわけで今日まで何とか来たわけだが、年齢とともに足腰は悪くなるし先の見通しもつかないまま、とにかくとりあえずちゃんと教会に通えるようにだけはしなくてはと、ついに吉祥寺に移ることにしたわけだ。信じようと信じまいと事実は事実だ。

この話はもうこれっきりにしたいと思う。以上