メモは一般開示していないのでまだ読んでいない方のために

2013-09-22 20:31:07 | インポート

※ 本日の新しい記事「日曜日の夜」はこれの下に入っています。

 

これはメインブログの過去ブログに入っています

2012.10.22中山法華経寺と美智子様の正田家  

昨日はうちのおばはん、転んで足腰や背中(ちょうどあの人の具合の悪いところばっかり)を打って、それもさあ、自分の部屋の中で転んだってのが相当ショックだったみたいだけど今日はぼちぼち気を取りなおしてきてるみたい。

それで、パソコンで調べ物をしながら、たまたま先日の皇后様のお誕生日の記事をみて、前からちょっと気になっていたことを思い出したのね。昔、うちのおばはんが「公園のお風呂ダヌキ」って言う、大人の心の中にいる子供のための童話を書いたとき、ある方が教えてくださったはなしでは、それを美智子様もお読みになってくださったっていうの。あの人のかかわっていた、今は亡きスペイン人の神父様が大変な有力者だったから、その辺からの伝でだと思うけど、とにかくそんな話だったの。

でも、家のおばはん、それを聞いてもあまりおどろかなかったし、そういうこともあるだろうなくらいにしか思わなかったのよね。なぜかって言うと、あの人のお父さんのほうの本家は鎌倉時代からの中山法華経寺のゆかりのいえだったから、法華経寺のことはお父さんや親戚からよく話しにきいていたわけよ。

それで、中山法華経寺の墓地には正田家のお墓があるのも聞いていたし、はるか遠い昔のご先祖様や法華経寺つながりのご縁を感じていたのね。それが、そういうこともあるだろうなあって思った理由だったの。だけどこの話、あの人はやたら誰にでも話したりしていなかったのよ。だって、あの人のお父さんが、自分で自分の宣伝をするようなみっともないことはするな、わかる人ならわかるものだって言ってたのよ。でもそれから30年近く経っちゃって、いろいろな目にあって、さすがのあの人も、お父さんの言うことはあんまり現実的じゃなかったって思ってるみたいだけどね。

まさか上に立つ人が、真実を隠したり、自分の利益のために人を利用したりすることもあるなんて想像もしてなかったの。まるでおバカさんだったし、たぶんあの人一生根本はそんなとこじゃないかなあ。三つ子の魂百までって言うじゃない。

それで長い間、自分からはそんな話はやたらに人に話さなかったの。でも、自分の書いたほかの作品もかなりお目にのぼったのはわかっていたのよ。それでいてやたら人を信じすぎるから、まさかまさかの目にあってたんだわ。あのとんでもないひどい、誹謗、中傷が流されていた時期のことも今にして思えばこの辺も関係してたのね。あの人のお父さんは、わかる人はわかるって言ったけど、わかっても、それを自分の利益に利用するために隠しちゃったりする連中もいるのは教えてくれなかったのよ。

でも、今はそんなことを言ってるときじゃないのよね。中山の法華経寺と美智子様の正田家のつながりの話し、昔と違って、最近は表に出てきてることがわかったの。前は法華経寺がどんなに古い歴史のあるお寺さんかも知らない人が多かったし、美智子様の正田家が法華経寺とゆかりだといっても、そんなはずはない、美智子様のご先祖なら隠れキリシタンだなんていうトンチキもいたわよ。日本のカトリックって層が薄いから歴史も何もわかってない信者もいるんだわ。情けないわよ。

今は市川市の地元の歴史愛好会とかいろいろなグループでも法華経寺のことをちゃんと伝えようとしているのよ。うちのおばはんにとっては法華経寺は代々のご先祖様につながる本当のふるさとの地。はるか昔の先祖たちもこの土地を歩いて、この土地で生きていた懐かしい場だから、「公園のお風呂ダヌキ」以前からのご縁をあの方にも感じるのよねえ。

でもって、今朝たまたま、いつものyahooやgooじゃなくてniftyのニュースを見たら、天皇、皇后、両陛下が原発事故の被災地で除染が進んでぽちぽち人が戻って住み始めた地域を見舞いに訪れたときの記事が出ていて、お二人が20キロ圏内でも防御服無しで入られたことが出てたのね。さすがだと思ったみたいよ。そりゃあ、お二人とももう70歳過ぎてるからとかっていうことはできるでしょうけど、やっぱり立派だわ。上に立つ人はこうでなくちゃいけないんじゃないの。ただし、放射能には子供や若い人に同じにしてほしいとは絶対思わないけどさ。

あの人、この20数年というか30年近くの年月、いろんなことがあったんだけど、こうしてみると、人間も年月がたつと、本当の姿が見えてきちゃうのよね。こういうお二人と、ほんの一瞬のようなものでも、かかわりのようなものがあったというのは、今のあの人には心の中の宝物なのね。それは中山のはるか昔のご先祖様からのプレゼントみたいな気がするんですって。

だってさあ、あの人が子供の頃から、終わりのないものがほしいだの、永遠のものにあこがれるようになったのは、やっぱり、お寺さんの地元だったことや、実のお祖父さんにあたる人がお坊さんだったりしてたのがどっかで関係してるんだと思うもん。

もうみんな亡くなっちゃったけど、遠藤周作先生や、河合隼雄先生、霜山徳爾先生といった方々とのかかわりだって、みんな見えないご縁の糸でつながっていたような感じだったのよね。それでここまで来ちゃったんだから、この先もたぶんそれなりの導きの手があるんじゃないのかしらね。

この先は、あたしなんかじゃわかんないんだけど、たぶん見えない手の導きはなくなっちゃうとは思えないんだわさ。

ってとこで、今日はおしまいね。 ほんじゃまたね。

 

Posted by dabocat (只野おみな ) at 13:30:20 | コメント (0) | リンク (0)

2013.5.22過去ブログの再掲載 もう少し 

今日はいったん、別の話を載せたのですが、どうも納得がいかないので入れ替えます。

2012.10.4黙想学校で  

こんにちは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんは出かけるのが夕方だからもうのんびりしちゃって、朝からこのところどうも具合のよくないウォークマンをパソコンにつないで何度もテストしたりしてるだけ。たぶんねえ、新しいパソコンとウォークマンがうまく合わないんじゃないのかなあ。古いほうのパソコンでもう一度試してみればいいのよ。大体、あの古いほうのパソコンはもう危なくてネットに使うのは駄目だけど、音は断然あっちのほうがいいんだし、あたしなんかは、もったいないから音楽や写真・動画はあっちのほうがしっかりしてるんだし、あっちを使ったほうがいいって思うんだわさ。なんだか知らないけど、機械のおき場所がないって言うのよね。2台重ねて置いちゃ駄目なのかしら?

おっと話が横にそれちゃった。今日はアシジの聖フランシスコのお祝いの日なんですって。うちのおばはんも霊名がフランシスコの女性形でフランシスカだから、機械をいじりながら少しは聖フランシスコに関係のありそうなことを考えてるとこみたいよ。

でもどちらかっていうと、聖フランシスコ自身のことというより昔教わった話を思い出してるみたい。もう何十年も昔になっちゃったけど、その頃、四谷の教会にね、黙想学校っていう講座があったんですって。この話、前にもどこかで言ってるんだけどもう一度話すわね。

黙想学校って言うくらいだから、そこでは毎回、お祈りに関係する話を教えていたの。その中で聞いた話で、今でもあの人が時々思い出しているのが、観想には二つのタイプがあるって話なのね。それを教えてくれた先生はカルメル会でもフランシスコ会でもなくてイエズス会の神父様だったんだけど、その方は当時、こんな風に言ってたの。

大きく分けて観想の祈りには二つのタイプがあって、ひとつはカルメル会の念祷みたいに、自分の心の奥深くに入って言ってそこで神と出会おうとするカルメル会型の観想、もうひとつは、聖フランシスコの祈りのように、大自然とか周囲の物事とか、自分の外側に神の働きを見出し、神に出会っていくフランシスコ型の観想だということだったのね。

あの人、ずうっとこの話を忘れずに覚えていて時々考えてたわけよ。だけど、現実的にはどうも、囲いの生活をしている方たちがみんな観想者なのかって言ったらどうも違うみたいなのよね。実際、鎌倉のある観想会のその頃の院長様と面会して話したら、観想者と観想修道会の修道者はイコールではありませんておっしゃったんですって。どうも囲いの中にいても活動的な方もいれば、世間とかかわりあう生活の会でも観想的な方がいるし、実際はなかなか簡単じゃないのね。

でもって、あの人は修道生活どころか信じられないようなとてつもない状況になって、いつのまにか、おばはんになっていたんだけど、何十年も聖歌隊にいて、歌は下手でも毎週かよっていたおかげで、聖歌を歌うことで祈りを忘れずにきたの。聖歌を歌うことで神様に心が向かっていくじゃないの。

歌うほうは駄目だけど、佐久間神父様の作だったかしら、わたしたちはさかなのよう、神様の愛の中で泳ぐ、って子供の歌があるじゃない、あれの歌詞をみて、うちのおばはんが思い出したのが昔、はるか昔、講座で聞いた神様と人間の関係を、海と海水の中の海綿、スポンジにたとえた話だったの。

人間は海の水の中に浸っているスポンジのような存在で、神様は人間の外側にも内側にも満ち満ちているんですって。人間は神様の仲で生きてるのよねえ、だからさ、佐久間神父様はさかなが水の中で泳ぐように、神様の中で、神様の愛にどっぷり包まれて生かされているのを教えようとなさったんじゃないのかしら。

そうすると、スポンジの中にも、外側にも海の水が満ち満ちているみたいに、人間ひとりひとり、みんな誰でも目には見えなくても神様の中で、神様に内側からも支えられて生きてる、というか生かされてるってことでしょう。

そしたら、カルメル型の内側に入っていって神様に出会おうとする祈りでも、フランシスコ型の周囲に神の働きかけを見出す祈りでも、突き詰めれば、同じところにたどりつくんじゃないのかなあ、とかってあの人もぼんやりと考えたりしてるらしいのよね。どっちにしても、心が濁っていればたどり着けないんだと思うわ。

なんだか、だんだん難しくなっちゃったから終わりにするわね。 ほんじゃまたね。

 

2012.10.15アビラの聖テレジア  

こんばんは~、マリーで~す。

今日は陽気も暖かくて、動き回ると汗ばむくらいだったから、うちのおばはんなんかは足腰の痛みも軽くなってだいぶ調子がよかったみたいよ。ほんでもって、あの人、四ツ谷の昼ミサに行ったんだけど、今日はカルメル会のアビラの聖テレジアの祝日だったから、ミサのお説教も大聖テレジアの祈りのこととか、念祷の話だったの。

大聖テレジアが自分の祈りの本にいつも挟んでいた祈りの言葉って、うちのおばはんの好きな、今も部屋が狭いから冷蔵庫の横の壁に貼ってある祈りの言葉だったの。現代語の訳とちょっと言葉が違うけど、おうちに貼ってあるのはこんなのよ。

何ものにも心乱されず  何をも怖れるな  すべては過ぎ去る  神のみ変わらず  耐え忍ぶとき  すべてをかちえる  神に生きる人には  欠けるものはなし  神のみにて足りる

うちのおばはんには、大聖テレジアのたくさんの著作物はどうも肌に合わなくて、ちゃんと読めたのは完徳の道と創立記で、後は自伝がなんとかかんとか、まだ十字架の聖ヨハネの言ってることのほうがピンと来る気がするんだって。だけど、完徳の道は、これは本物だっていうのよねえ。何が基準なんだかあたしにはわからないんだわさ。

たぶんどうもあの人には異性に対する恋にも似た思いだの、愛だの、友情だのって感覚がよくわかんないのよ。純日本人なんだわさ。神様への思いも恋心に似たものより、絶対者なるお方への帰依の心、子供が親を慕うような思いでしか捕らえられないのね。しょうがないじゃない、生まれ育った文化が違うんだもん。

それよりも大聖テレジアが大切にした「念祷」についてだったらかなりよくわかるような気がしてるみたいよ。完徳の道に出会う前に、プロテスタントの頃、カルメル会の人とは知らずに、CLC出版ていうプロテスタントのほうの出版社で出ていた、ラウレンシオ修士の「神の現存の体験」ていう本を読んでいたんだけど、祈りのことではすごく役に立つ本だったの。そのころは念祷なんて言葉も知らなかったんだけどね。

大体、プロテスタントの教会で祈りっていったら、みんなであつまって声に出しての嘆願の祈りが主で、沈黙の祈りとか、神様との個人的な語り合いのことはあまり教わらなかったのよ。ただ、あのひとのおうち、お父さんのお父さんに当たる人が実はお坊さんだったとかで、お父さん自体も意外と宗教的な人だったから、あの人も小さいときから、人間より大きな何者かが存在しているって感覚は親から伝えられていたのね。でもって、そのお方はいつもそばにいて、声に出さなくてもちゃんと自分の心を知っているんだって思っていたらしいのね。それで、声に出さない祈りっていわれてすぐにどういうことかわかったの。

だから、お祈りする時、大聖テレジアが台所仕事をしながらでも祈ることはできると言った意味もすぐわかったの。マルタとマリアのうち、マリアはイエスの傍らにいてイエスの言葉を聴く存在だっていうけれど、マルタだって家事や雑用で、イエスのそばにいつもいられなくても、心がいつもイエスに向いていたら、仕事をしながらでもイエスの言葉に耳を傾けることも、イエスと語り合うこともできるんじゃないの。イエスに心が向いていないと雑音しかきこえないけどね。

それはとにかくさ、ラウレンシオ修士の話に戻るけど、何十年もたってから上野毛教会に行ったら、中川神父様の講座でこの方の話が出てきたの。カルメル会の祈りって、なんとなく、普通の生活とかけ離れた生き方をしないと体得できないようなイメージがあるけど、そうじゃないのよね。ラウレンシオ修士(ブラザー・ローレンス)の祈りや生き方は普通の生活の中でも十分可能なのよね。

あの人、今日はそんなことを思い出して、大聖テレジアの会はすごいなあ、大聖テレジアがカルメル会のためにしたたくさんの仕事はやっぱりすごいなあって、あらためて感心してたの。それで明日、上野毛の講座に行くのを怠けたりしたらこれはちょっと情けないわよね。あしたはあの人をあたしの目覚まし時計機能の最大の音でたたき起こすつもりよ。

そんなわけできょうはここまでよ。ほんじゃまたね。

たぶん、まだ続く


日曜日の夜

2013-09-22 19:55:29 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんたらさ、夕べ寝冷えして今日は風邪ひいちゃってるみたいなのよ。調子悪いってムコダインとカロナールを飲んで一日家でごろごろしてたのよ。ほんでもって今はだいぶ落ち着いたからってテレビにかじりついてるわ。

今夜は、昨日のNHKスペシャルの続きの「神の数式」とかいうのを見るんですって。昨日だってさ、あの人だいたい理数系はさっぱりだからちんぷんかんぷんだったのよ、ほんでもなにか、直感がこれはみるべきだって言ってるんだっていうのよねえ。わけわかんない。あの人に言わせると。今さっぱりわからなくてもとにかく見ておくと、何かのときに今日見て記憶したことが出てきて全体がつながったりするんだから、見ておかないとだめだっていうのよ。

あたしには何ともいえないわ。あの人、数式にも何にももう昔習ったことだってほとんど忘れちゃってるくせにさあ。物好きにもほどがあるわよ。これって一番苦手な分野のくせにまったく。まだ「ダーウィンが来た」くらいだったらわかるのよ。あの人、動物好きだもん。数学嫌いのくせにわけわかんないもう。

まあ、しょうがないから付き合うけど、あの人たぶん途中でいやになっちゃうんじゃないかなあ。昨日のだってやっとこさっとこ最後まで何とか見たけど、今日はもっと話が複雑みたいだものね。最後まで見たらほめてあげるわよ。

話を替えるけど、今あの人、NHKのニュースを見てるのよ、ヘイトスピーチの問題って大変みたいなのね。韓国っていったら結構知ってる人の多い国だし、あんまりお互いの国の仲が悪くなるのはうれしくないみたい。もう亡くなった方だけど、知り合いの日本人シスターがずっと韓国に行ってたの。そして韓国で亡くなってるのよね。そんな国なのに悪くなんて思えるわけがないじゃない。

ヘイトスピーチに正面きって反対するのはやっぱり怖いからさ、あの人、ふだん持って歩くロザリオとかロザリオの指輪は日本製やイタリア製じゃなくて韓国製にすることにしたのよ。韓国製の指ロザリオってデザインが独特で、車輪みたいにぐるぐるまわるからすぐわかるわよ。それがあの人の抗議の形ね。韓国ってキリスト教が盛んでカトリック信者もすごく多いのに、案外日本では知られてないんだわ。韓国が全部正しいことを言ってるとは思わないけど、なるべくなら喧嘩はしたくないのよね。

なんかやたらに長くなっちゃったから今日はこの辺でおしまいよ。 ほんじゃまたね。

 

 

 


「風立ちぬ」―宮崎駿監督の夢

2013-09-21 22:01:44 | インポート

今日は吉祥寺に出かけて、映画「風立ちぬ」を見てきた。宮崎駿監督がこれを最後に引退宣言をした作品だ。どんな内容だろうと楽しみにしていたのだが、見ていてなんだか眠くなってしまって仕方がないので、ガムをかんだり、目を覚ましているために絶えずあごを動かしていた気がする。今回の話は飛行機とか空を飛ぶことに興味や関心がある方だったらこの映画は面白いかもしれない。しかしこちらにはだめだった。

「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」の世界とどう違うかといえば、すぐにわかるのはこれはアニメではあるけれど、きわめて現実の世界に近い、というか現実的な世界のはなしだということだ。トトロや千と千尋の世界、特に千と尋は、国も人種も変わってもほぼ世界中で受け入れられ、国際的な賞を受賞したのにこれはそうはならなかったのは何故か。

千と千尋の世界はすべての人間の無意識の世界に触れるような面を持っていたためといったら言い過ぎだろうか。少なくともあちらは日本の神話や伝説だけでなく欧米の古代の神話や伝説にも近いものがあったと思うのだ。それは人の心をわくわくさせ、物語のストーリーにも期待感をもたせるのではないか。

でも今回のこの、風立ちぬは話の出だしからしてまるで違う世界だ。無意識を揺さぶるような種類の内容ではない。出てくるのは計算尺に、空を飛ぶための数式だ。眠くなるのも致し方ないではないか。

では、話のもうひとつの面、少女菜穂子と主人公の堀越二郎の愛と別れのほうはといえば、どうもこちらもちょっと中途半端かなあという感じなのだ。二人のごく内輪な古代的な結婚式の場面の美しさ、あれをもう少し進めたらこの話にも日本の古代神話の味わいが出たかもしれないと思う。しかし、はなしは飛行機が中心だ。そうはいかないまま別れになる。

なんだか残念な進行と終わりだった。飛行機というか空を飛ぶことは、主人公の夢というより、これは宮崎駿監督の夢だったのかもしれないと思った。

忘れていた。ゼロ戦はどうなったのかって?物語を見始めたらゼロ戦より物語の全体の流れのほうに集中してしまってゼロ戦消えてしまった。どうもすみません。

 

 


ついでにマクワウリのこと

2013-09-20 20:32:59 | インポート

今は亡い母の兄の伯父たち、弟の叔父たちがまだ若くて元気だったころ、こちらはまだ小学生のころだ。母の実家は農家だったから夏になると野菜と一緒にスイカやトウモロコシ、それにマクワウリが我が家にも届けられた。当時は今のような大きくて甘いメロンなどは無くて、プリンスメロンさえまだ登場していなかったから、あっさりした甘さで水気たっぷりのマクワウリは美味しい夏の果物だった。

しかし、品種改良が進み、いつの間にか瓜は立派なメロンに化け、マクワウリはもちろん、プリンスメロンさえ消えてしまったと思っていたら、最近は揺り返しが起こっているらしく、なつかしいマクワウリが時々出回ってきているようだ。スーパーは無理だが、小さな小売店を中心に、気をつけていると買える機会がある。味は昔風のあっさり味だが、懐かしさで買わずにはいられない。

 

 マクワウリはこんな瓜だ。

 


NHK特報首都圏でゼロ戦のはなしが

2013-09-20 20:11:04 | インポート

実は昔勤めていた会社で、もう亡くなった方だが上司が少年飛行兵か、飛行学校生だったとかで、よく子供のころに兵隊さんに行ったはなしをしておいでだったものだ。母方のこれもすでに亡くなった母の次兄の伯父がやはり、少年飛行兵だったと聞いている。二人とも無事に戦争の時代を生き抜き、それぞれの人生を終わったけれど、今も忘れはしない。

だからというわけではないが、映画『風立ちぬ』は見たいと思っている。本当は今日はこれを見てくるつもりだったのだ。でも出掛けに駅のマルシェでいつもなかなか手に入らないマクワウリを見かけてしまい、それを買ってしまったので足腰がよくないのに重い荷物を抱え込んでこれは帰りは映画どころではない、荻窪からバスでまっすぐ帰るしかないことになってしまったのだ。

ところが夜の特報首都圏を見たところが、なんと『風立ちぬ』にも出てくるゼロ戦の堀越二郎のはなしだった。ご近所の日産自動車の跡地はいまやすっかり変貌しているが、その青梅街道沿いの一角に中島飛行機跡地の碑が残っているのだ。

これはもうゼロ戦の思い出のためにも『風立ちぬ』はやっぱり見ておかなくてはなるまい。伯父や上司たちの思い出のためにもだ。それが良いとか悪いとかの問題ではない、ゼロ戦にかかわっていたすべての人たちの思い出のためだ。

 

 


まだまだ気温は夏と秋のあいだ

2013-09-19 21:36:02 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんは今、明日からの天気予報を見てたのよ。あの人、今日は久しぶりに上野の動物園に出かけてきたの。でも前と違ってなんか長距離が歩けないのよね。階段も苦手になっちゃってるし、これじゃまるで本当におばあさんじゃないかって言ったら怒ってたわ。なんたって高齢者週間に東京都のいろいろな施設が無料になる年齢なんだから少なくともシニアなのは事実なんだし、足腰はちゃんとMR検査で確認してもやっぱり脊柱管狭窄だし、しょうがないものはしょうがないんだからさあ、まあ、出来ることをするしかないのも本当だけど。だけどそれでもまだまだ出来ることだってたくさんあるのよね。

一日中園内を見て歩くのは無理でも今日みたいに、あの人の好きな動物たち、象さんとか、可愛いペンギンとか、釧路市動物園から来たエゾシカのQちゃんに会いに行くとか、目標を決めて足腰の調子に合わせて欲張らずに見ていけばいいんだわ。以前だったらついでにスカイツリーにも足を伸ばしてソラマチを見て回ったのにって言ったって、今は今だわ。欲張っちゃだめなのよね。前はあの人、年間パスポートを買っていたのに、足腰の具合が悪くなってから、そんなにたびたび行けないからパスポートも買わなくなっちゃったんだわさ。年をとってくると個人差はあっても、誰でもみんなだんだんと若いときに出来たことが出来なくなったりするみたいね。だからって、なんにも出来ないってわけじゃないのを忘れちゃ困るわ。

それなのに最近のあの人を見るとちょっとお尻をたたきたくなるんだわ。以前のようには出来ないことが多くなってきてがっかりしちゃってるのよ。今でも出来ることのほうを探さないでどうすんのよ、まったくさあ。

そんなわけで、少しは涼しくなってきたら気分転換にもどんどんお外に出かけてほしいって思ってるのよ。歩くのがだめでも、東京近郊のJR路線を車窓から一周とか、お金のかからない楽しみだってあるんだわ。もっとも、今のあの人は座ったままも腰に負担がかかってだめかな?少し研究が必要みたい。

昼間はまだまだ30度までいくらしいけど、朝晩は寒いくらいで体調には気をつけないとだめだけど、それでも動いてみたほうがいいと思うのよね。これからの自分を見つけていかなくちゃってことよ。

ほんじゃ、またね。


杉並区は広い

2013-09-18 21:17:27 | インポート

生まれ育った千葉県市川市で過ごした年月よりも、東京都民、杉並区民になってからの年月のほうが長くなってしまった。まさかこんなに長く杉並区民でいるとは夢にも思わなかった。しかも中央線沿線だ。

子供の頃、若宮から外部に出るには歩くか京成バスで中山に出るしかなかったのが、私が会社に勤めるようになった頃は西船橋の駅ができて、今のメトロが停まるようになり、会社のあった神保町には竹橋から歩いたりしたのは覚えている。しかし、だいぶ忘れてしまって今では中央線沿線のほうがよくわかる。いつのまにかそれだけの年月が経ってしまった。

大体、市川市若宮からの中野というと地の果てのような気がしていたのが、いまや、中野の先の住人だ。この杉並区は中央線沿線はそれほどの距離でもないが、南北に広い地域だ。そしてこの土地にすぐになれることができたのはここはほんの数十年前までは市川市の昔の我が家の周辺と同じく畑や緑の多い土地だったからなのだ。

数年前からは青梅街道に近い地域の住人だが、高円寺でも阿佐ヶ谷でもここでも、若宮にいた頃と同じく、ご近所には小学校があって、まるで違う土地にいるような気がしない。これは杉並区の歴史が、江戸時代のこのあたりが農村地帯だったことと関係しているようだ。市川市若宮も、父方の本家の中山も鎌倉時代からの古い土地でほとんどが農村だったから、とてもよく似たところがあるのだ。

それでもこちらはさすがに東京だと感じるのは街の賑わい、若者の風俗、映画館や大きな公園、大学や病院を見るときだろうか。大体子供の頃は、競馬のある土日以外は自動車というものを見ることもない田舎だったから、青梅街道を見ると不思議な気がするくらいだ。はるか昔はこの青梅街道も若宮の木下街道同様、牛や馬がのどかに歩いていたのだ。関東大震災がこの杉並区の発展に大きく寄与したのだという。

関東大震災で家を失った人々が都心から落ち延びてきて住み着いて街が出来上がったのがこのあたりの始まりだそうだ。時は移り、時代が変わって、今再び次の地震が心配されているが、どんな出来事でもよい面と悪い面と両面あるわけで、地震や噴火、自然災害は恐ろしいが反面、新しいものの始まりにもなるのだろう。備えながら、しかし、恐れているだけでは何も始まらないのだ。

 


人と人(コミュニケーションの問題)

2013-09-18 17:00:56 | インポート

今日はなかなか面白いことがあった。

憂鬱な気分で東京衛生病院に出かけると、今日は運よく以前からのおなじみの先生に当たって、スムーズに話が進み、やっぱり前から知っている先生の言うことだとこちらもすぐに納得して、言われたようにすることにして帰ってきた。家に戻ってから福祉事務所に電話するといつもの担当者がいなくて別の方と話したわけだが、その方が肯定的な対応をしてくださり、足腰の不調で3階から粗大ごみが下ろせなくなっている件の解決方法もちゃんと提示してくださった。

今回はお医者さんもちゃんとこちらが納得する説明をしてくださり、福祉事務所の応対者もこちらの話もちゃんと聞いてどうするのがよいのか答えてくださったので、こちらも納得して受け入れることができたわけだ。

これって信頼感のあるなしが人間関係では大きな要素になるということなのかもしれない。

こちらの話もちゃんと聞いてそれに対するちゃんとした答えを返す、これはコミュニケーションの基本だが、案外とこの基本的なコミュニケーションというのが無視されているものなのだ。言いたくはないけれどカトリック教会もそうだろう。だからいつまでたってもどうにもならない。

 


「少年H」再び

2013-09-17 22:04:29 | インポート

もう一度見たいと思っていた「少年H」を見に行ってきた。今日の映画館はなんと言うか、昔々のレトロな映画館そのままなので、ちょうど少年Hの時代の雰囲気に釣り合いがとれてなかなか情緒があってよかったと思う。今日は細かいところをしっかりと観察しながらみたので俳優さんたちの演技もしっかり確認できた。池先生の音楽もやっぱり何度聴いてもさすがだ。

タイムスクープハンターは、NHKの人気ドラマだから、テレビののりで見て普通に楽しんだ、なんと宇津井健さんが出ていた。昔からのよく見慣れた俳優さんが出てくるとなんだか安定感が増すような気がする。テレビのシリーズのほうにも登場していただきたいものだ。

映画自体は両方とも面白かったのだが、残念ながら今や長時間同じ姿勢で座っているのはあまり楽ではなくなってしまっていたのだけは残念。今日はさっさと横にならないと腰が痛くてかなわないのでこれで終わりにしておきたい。

明日は問題の衛生病院の整形外科に行って来なくては。まあ、どうせ痛み止めのお薬だけだから近くて通いやすいところが無難ではあるのだが。