※ 当人が迷っております。
まとまらないいくつもの断片。
なぜそうなったのかなんて、理由はわからない
何をどこからはなしたらよいのかも迷う。仕方がないから順序はばらばらでいく。メモ1でカトリック市川教会の聖堂に安置されていたファティマのマリア様のご像のことを書いたのを思い出してほしい。
四谷の教会で大変な誤解事件に巻き込まれたりしながらも、あの当時、ライフ神父様が四谷の助任司祭になって、ライフ神父様はさすがに多くの司教や司祭、修道者を育てただけの方で、私についてもちゃんと正しく判断し、受け入れて下さったおかげで普通の教会生活は安心して続けられたし、会社も順調、あの司祭との関係がギクシャクしていること以外はさほど問題のない日々だったと思う。
問題は、四谷に行き始めてからなんだか普通はありそうにもないことばかり起こっていたことか。重大誤解事件もそうだったし、聖歌隊のある問題で当時の主任司祭だった薄田神父様に手紙で相談したら、なんとその頃、イエズス会の管区長になったばかりだったピタウ師が一般信者の問題に自分から介入して解決してくださったり、それだって普通はありえないことだったのだ。
そして、ローマでは新しい教皇様が急に亡くなって、次に選ばれたヨハネパウロ二世が来日されたと思うと、ピタウ師をローマにお呼びになったりしていた頃のこと、ライフ師はすでにお亡くなりになっていた頃だ。ある時、急にニュースなどに、もし核戦争が起きれば核の冬現象で人類は滅亡するだろうという科学者たちの研究結果が大きく発表されたわけだ。教会でも早朝のミサで今は亡きオブオンク師が人類の危機だとおっしゃって、それを聞いたとき私が思い出したのは、市川教会以来、ずっと気になっていたファティマのマリアさまのはなし。
このままで行くと世界は本当にファティマのマリアさまの予言どおりになってしまうのかもしれないと思い、気になってたしか霜山先生か、遠藤先生かどちらかに手紙でその話をした。ソ連のことが気になると。そしたら翌日のニュースのトップはチェルノブイリ事故で、それが今の生活保護受給で暮らすはめになった始まりだったのだ。
-手紙を書くとまもなく、本当にまもなくだ、米ソ首脳対談の話が決まり、そのあとはどんどん話が進んで世界の状況はすっかり変わっていった。その後、アメリカの大統領がレーガンから父ブッシュに交代してしばらくすると、当時阿佐ヶ谷に住んでいたのだが、日本時間の夜中に阿佐ヶ谷のアパートに国際電話がかかってきた。てっきり人違いと思ってこちらはすぐに切ってしまったのだけど、後であれはブッシュフォーンだったのだとわかった。その頃はそのまま黙っていた。でも、何年か経って、四谷の教会で別の問題が起こり、私について失礼千万なうわさが流されたとき、国の人権相談に話しを持っていって、父ブッシュからの国際電話の記録が残っているはず、一国の元首の国際電話だから必ず記録が残っているはずだから確かめてほしいと申し上げたところ、やっぱり思ったとおり記録はあって、誰も何もいわなくなったのだった。
しかし、そんな証拠はあっても何せこちらはちっぽけな一個人、それも何の力もない女性とあってはどうにもならなかったのも本当だ。だからこそ、なんとかしなくてはと始めたのが、童話や物語りの形で、自分の中にあるものを書いてみることだったわけだ。それが公園のお風呂ダヌキそのほかの書き物だ。
でも話しが飛びすぎるのでまた後で別に話すことにしてここははじめの流れに戻ることにする。ー
こちらは知らん顔をしていても実はかなり敏感で神経質なほうなのだ。周囲の変化はすぐに気がつく。
あの時は、四谷の教会に立花隆さんも来ていましたっけね。マスコミ関係者が会社にも来たのを感じて、こちらはたださえあの時期、会社は仕事がなくて暇でいらいらする毎日だったところに神経のつかれる状況に、つい簡単に会社を辞めてしまったわけだ。本来ならこちらは技術職で、仕事がないということはありえないはずが、どこへいってもマスコミが付きまとって、シャーマンだ、巫女だと騒げばこちらはまともに就職できず、そのうち貯金も底をついて、パートやアルバイトでつないでいたとき、知り合いのシスターがなぜか、このままでは大変なことになるから、とにかく福祉事務所に行って、生活保護を申し込むようにと言った。本当ですぞ。
今思えば、霜山先生も上智の職員としてイエズス会の誰かさんの言うことを聞かないわけにいかないお立場だったし、遠藤先生もよくわからない女の子のことだし、誰かさんのほうを信用したのでしょうな。誰かさんはそのすべてを利用して政界財界に顔を売り、上智の宣伝に使ったわけだ。あのシスターに私への伝言を頼んだのは誰か知らないけれど、結果として、今、生活保護のままほったらかし。エト、上智自体はよい大学です。イエズス会自体もよい宗教団体です。ただ、人間の集まりだからどうしても問題は起こるのですよ。
本当にまとまりのない話だ。 続く
東京西部は何とか無事に台風をやり過ごしたかたちだが、今、tumblrの被害写真を見てびっくりした。
観光地も住宅街も泥水の中。こんなすごいのは初めて見た。
借り物の写真
といっても、やたらに誰にでもお見せできるような話でもないので、フェイスブックのマイノートのほうにおいておくことにした。こことは別に少しずつ埋めていくつもりだ。
申し訳ないのだが、フェイスブックのほうは友人のみなのであしからず。ここは万人に開放なので、個人のプライバシーの問題も考える必要のあるものはさすがに向かない。たいていのことは包み隠さず出しているほうだと思うが、さすがにまずいものもあるというわけだ。
ただ、問題のあるもの以外はおいおいこちらにも、まとめてだすことにしたい。
地球の歴史の時間単位で考えれば、何があってもたいしたことはないわけで、なんということもない。それより、このところ久しぶりに面白いテレビドラマがあって、毎週楽しみだった。NHKの夫婦善哉、最終回だ。
今日の一場面から。
こんばんは~、マリーで~す。
うちのおばはん、今朝はちゃんと早起きして中野の警察病院に行ってきたわよ。このあいだのMR検査の結果のほうはやっぱり思ったとおりちゃんと脊柱管狭窄だったのよね。といってもまだ手術とかまではいかない軽い程度よ。やっぱり痛いのは痛いから痛み止めはどうしたって必要だし、結局とりあえず薬のほうはわかっている東京衛生病院に戻ることになったみたいよ。
今日はちゃんとMRの画像のCDと診断書をもらったから、衛生病院には知らん顔で提出してやるんだって。まったくねえ、病院はとにかく、今の状況の原因を作った人たちにははっきりさせずには置かないってあの人怒ってるけど、動くのは少し頭が冷えてからのほうがいいんじゃないかしら。今、やたらに頭にきてるもん。
そんでもとにかくちゃんとまともな検査結果は出たんだし、痛いのは他の人じゃなくてあの人自身だから、軽度のたいしたことのない脊柱管狭窄って言われたって、現実に3階から大きい重い粗大ごみが下ろせなくなってベランダに積んであるのを知らん顔されちゃかなわないわよ。
まあ、この話はまた今度にして、もうちょっと面白い話にするわね。今日、すごく珍しいものが駅中の売店に出てたの。最後の一袋しかなくて、なんか大分ちっぽけでみすぼらしかったけど、めずらしいからってあの人買ったのよ。昔々、あの人が子どものころに食べていたみたいな日本の古い瓜よ。今のなんとかメロンとはまるで比べ物にならないような貧弱なフルーツだけどね。
万葉集の時代に、山上憶良が「瓜食めば子ども思ほゆ・・・」と歌に詠んだ瓜は、当然日本の昔の瓜で、今日あの人が買ったのはそんな昔の瓜を連想させるような瓜だったのよ。
お家に帰って皮をむいて割って食べてみると、瓜には違いない味だし、ほんのり甘いんだけど、うちのおばはんでも今の時代のスイカやメロンの味に慣れすぎちゃって、子どものころに食べた瓜のあじってこんなだったかあなあって首を傾げてたわ。果物の甘さの基準が昔々と今ではものすごく違うみたいよ。
イチジクやぶどうだって遥か昔、あの人のおうちの庭にあったイチジクやぶどうの味とは相当違うもんね。おうちの庭はお父さん、お母さんが大事に手入れして土も栄養がよかったらしくて果物もすごく甘かったんだわ。今、お店で売ってるのとは全然違うのよ。
山上憶良の時代の瓜の味は想像するしかないけど、どんな味だったのかしらねえ。今日あの人が食べたのはぼんやりした甘さで歯ざわりだけはよかったんですって。今時のメロンみたいにねっとりやわらかいなんてのとは正反対の世界の味ってとこかな。
そんなところで今日はおしまいね。 ほんじゃまたね。
こんばんは~、マリーで~す。
うちのおばはん、今日も昨日に続いて病院通いよ。今日は眼科のほうで、あの人、緑内障だから時々視野検査を受けるんだわさ。だけどいつもと違っちゃったのは出かけるちょっと前にテレビにテロップが出てきて、中央線快速が人身事故で動いてないのがわかったの。それもさあ、荻窪駅での人身事故だっていうのよ。
慌てるわよ、それはさあ。あまちゃんを見て1時に家を出てもバスで荻窪に出れば快速で四ツ谷に行って南北線に乗れば東大前から病院までそんなに時間がかからないって思ってたのに、やっぱり、あまちゃんは見ている時間がないわよ。あの人、今日は朝も寝過ごしちゃってるのよね。オンデマンドで見るしかないわ。いや、あまちゃんどころじゃないわよ、眼科は2、3ヶ月に1度しか行かないから、いつもと違うコースでどのくらい時間がかかるのかわからないし、早く出かけなくちゃ。
そんなわけで行きはもう気が気じゃなかったんだわ。でも何とか間に合って、ちゃんと視野検査は受けたから大丈夫。緑内障って気がつかないうちに少しずつ、見える範囲が狭くなっていくのよねえ。ほんでもって、ほっとくと失明して直しようがない恐い病気よ。うっかり屋のあの人もさすがに緑内障用の眼圧を下げる点眼薬はきちんきちんとつけてるもんね。おめめが駄目になってはなんにもできないじゃない。視野検査は現在どの程度の範囲で見えているのか調べるのよ。
まあ、きちんと眼圧を下げる薬を忘れさえしなければ症状も進行しないからそんなに心配もないけどね。うちのおばはんも初期に薬の大切さをしっかり教えてくれたちゃりんこさんていうお友達には今も感謝してるのよ。同じ緑内障の先輩の言葉だもの。意味は重いわよ。
昨日は警察病院と中野間を歩いてみたし、今日はいつものバスじゃなくて四ツ谷から南北線で東大前から病院まで歩いてみて、あの人、やっぱり自分の目と足で確認しながら歩くと、そのあたりの地域が身近になるのよね。いまでこそ杖は突いてるけど、元々は歩くのが大好きだったから、やっぱり出来るだけ歩いてみなくちゃって思うみたいよ。内科でこのあいだ血圧の薬が、利尿効果のある降圧剤にかわってから、足首や足の甲のむくみは出なくなってるし、長く歩いてもかなり大丈夫な感じよ。
まったく、おくすりってちゃんと適切に使えばよく効くのよね。秋になってくるとカリウムの多い果物がたくさん出回ってくるし、あの人の血圧のためにはこれはすごくいい季節だわさ。
そんなわけで今日の話はおしまいね。ほんじゃまたね。
あれれ、うちのおばはん、あたしにはこんなのを手伝わせておいて、自分はNHKのテレビで復興の歌の『花は咲く』に聞きほれてるって何よそれ。でもいい歌ね、これ。