☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

・・・らしからぬ発言、行動

2005-01-14 | ・・・シリーズ、
西行シリーズ、この記事で終了。

北面の武士であり、ハンサム(これにはどうも弱い)であり、天才的な歌の才能をもっていた西行が、なぜ、出家したのかは、これという決め手はない。

出家した坊主にたいするイメージとは、違う行動をとっていたようだが、これは、彼の生き方に対する哲学のようなものが現れた結果か?

東国への旅では、農民の生活に、いろんな発見があったようだけど、51歳のとき、崇徳院(47歳で亡くなる。西行よりひとつ下)を弔い、弘法大師の足跡をたどる西国の旅では、漁師として生業を営む人々、殺生が生活の糧を得る手段になってる現実に新たなる発見があった。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢わんとぞおもう


流れがはやくて、あなたとわたしは、はなればなれになってしまう。 それでも、いつかはまたあいたいものだ。

百人一首の中でもワタシの好きな歌、これは崇徳院の歌。 不遇な人生だった崇徳院を、西行はなんとか慰めようとした。

とにかく31歳で、高野山に庵をむすんだ後も、あちこちに、旅をしていた。西行の歌をみていると、時代を越えた今でも、そうだなぁと思える歌が多い。

願わくは 花のもとにて 春死なん
その如月の 望月のころ


73歳、当時としては長生きだった。


先日記事にした村瀬明道尼の生き方も、かなり自由なようだったけど、その中でも、守るべき戒律はあったのだろう。「・・・らしからぬ」生き方、と人はよく言う。「・・・らしい」という一般的な鋳型にはいらない生き方、それでも、自分なりの哲学をもっていればいいのかも。 人生は、たとえ、人の為に一生を捧げたようにみえても、それが究極の自分の為の生き方とも考えられるし。