連休はやっぱり予想どおり。前半は曇りだったので、夫と一緒に早朝や夕方の散歩に行くことができました。上の写真はそのときのもの。山裾に霧が出ているから朝でしょうか。ほんの数日前のことがアイマイで困ったことです。
前半二日の午前中は、二時間かけて庭しごともしたのです。木曜日は、後ろのおうちのエリアまで飛び出ているムクゲの枝が気になる、と夫が言うので、普段なかなか手入れをしにくいウチの裏ゾーンに足を踏み入れました。雑草を抜いて、ムクゲの枝を切って、グネグネと成長しているアロエもばっさりと剪定しました。もうここにムクゲを植えて二十年近くになるのに、夫は最近まで知らなかったと言うのです。まるで後ろのおうちのムクゲであるかのように、あちらに向いてきれいに咲いているのは確かですが、かなり驚きました。
これがそのムクゲの花 ピンク
金曜日は懸案の朝顔の棚づくりをしました。細い竹竿を、縦二本横一本のコの字に組んでネットを張り、庇に立てかけました。かなり伸びて、もうすでにつぼみをつけている朝顔の蔓をネットに巻き付けて、なんとか形になりました。ほっとひと安心です。ついでにわたしはそのあたりの草やドクダミの葉などを整理し、夫はメダカの鉢の掃除もして、ちょっとだけ庭がきれいになりました。
雨で倒れたルドベキアを花びんにドサッ
木曜日も金曜日も、二時間の庭しごとで汗をかいて、それをシャワーで流して、それなりの達成感を味わいました。ところが、次の日からは一日中強い雨。買い物以外はどこへも出かけず、三食ご飯を作って食べるだけの土日になりました。
なんだかじっとりとして蒸し暑くて、コロナの不安もじわじわ迫ってくるような二日間でしたが、雨に降りこめられたおかげで、向田邦子さんにまた向き合う時間を持つことができました。
「向田邦子の青春」の他にもう二冊、彼女に近い人が書いたエッセイを読みました。一冊はやはり妹の向田和子さんの「向田邦子の恋文」で、わたしが何年か前に買って読んだもの。もう一冊は夫の本で、久世光彦さんの「触れもせで」です。
向田邦子さんに恋人との悲しい別れがあったことを、妹の和子さんは「恋文」で明らかにします。とても素敵な向田邦子さんのポートレイトは、カメラマンであった恋人が撮ったものだということです。十年前ぐらいでしょうか、一時ブームになって、雑誌などで特集が組まれたりしていましたが、そのとき載っていた若かりし向田邦子さんは、ポーズも含めて、女優さんみたいに本当にきれいでした。「恋文」で解明されて納得、ですが、同時になんだかとても悲しい。
帽子もプリーツスカートもお手製
二十代のころ、わたしは東京でお勤めをしていて、正社員ではなかったのでかなり貧乏で、四畳半のテレビもない部屋で暮らしていました。住んでいた国分寺から会社のある九段坂まで一時間ちょっと通勤にかかって、その時間は電車の中で本を読むのを楽しみにしていました。そのときによく読んだのが向田邦子さんのエッセイです。
「である。」で結ばれる、形用が少なく簡潔な文章は憧れでした。家族のことも昭和の家庭のこまごまとした暮らしの様子も、いきいきと、きっぱりとした調子で描かれています。それでも、そこに込められた情感が伝わって、なんともじんわり温かいのです。
二十年のつきあいがあったという久世さんは「触れもせで」のなかで、脚本家として活躍する向田邦子さんの裏話というか、リアルな姿を教えてくれました。「アンチョコ」と題する話のなかには、脚本やエッセイを書くのに、テーマがうまくみつからないときなど、パラパラとめくる本があったと記されています。それは、歳時記と歌謡大全集。歳時記に載っている、日本に昔からある行事や習慣、それらの古い呼び名、言い回しなどの言葉は、向田邦子さんが好きで大事にしていたとのことです。ちょっと抜き書きしてみます。
「女正月」とか「針供養」のような、いつかは忘れ去られるに違いない言葉をいとおしみ、少しでも生き延びさせたいという暖かな気持ちがあの人にはあった。だから「辛抱」「昵懇」「じれったい」「依怙地」のような、一昔前の日常語と同じように、エッセイや脚本の中で意図的に用いたのだった。
向田邦子さんへの気持ちが切ないほどあふれるいい本でした。仕事仲間や家族にさえ、泣きも笑いも怒りもできなかったのではないか、本当の顔を見せることができなかったのではないかと久世さんは言います。長女としての責任や仕事のことを優先して、自分を抑えていたのでしょうか。それができるのが向田邦子さんだけれど、それが本当だったら、やっぱり悲しいです。
「向田邦子の青春」の本の横に置いたCDは、Milli Varnonというアメリカの女性ジャズシンガーのアルバム「Introducing」です。向田邦子さんのエッセイ集「眠る盃」に収められている「水羊羹」に次のような一節があります。
水羊羹を食べる時のミュージックは、ミリーバーノンのスプリング・イズ・ヒアが一番合うように思います。(略)冷たいような、甘いような、けだるいような、なまぬくいような歌は、水羊羹にぴったりに思えます。
これを、後にクロワッサンかクーネルで取り上げられているのを読んだわたしは、それをどうしても聴きたくなって、難波のタワーレコードで探したのです。この機会にまた聴いてみましたが、わたしにはどうにも大人すぎる感じ。でも、年齢でいうと今のわたしは、当時の向田邦子さんより、とっくにずっと大人なのです(なんということ!)。
会社の同僚で、やっぱり向田邦子さんの作品が好きだと言っていたソヤボーはどうしているかな。東京生まれで東京育ちのお嬢様なのに、結婚したらいずれ彼の実家のある富山に行かないといけないと言っていたな。三十数年前のそんなことも思い出してしまいました。
大事にとってある向田作品の文庫本はもうだいぶ茶色くなって本棚に並んでいます。それをたまに取り出して読むことも多いのです。こんなに時間がたっても変わらない魅力があります。今でもやはりファンなのだな、と思います。
もうすぐ梅雨があける
前半二日の午前中は、二時間かけて庭しごともしたのです。木曜日は、後ろのおうちのエリアまで飛び出ているムクゲの枝が気になる、と夫が言うので、普段なかなか手入れをしにくいウチの裏ゾーンに足を踏み入れました。雑草を抜いて、ムクゲの枝を切って、グネグネと成長しているアロエもばっさりと剪定しました。もうここにムクゲを植えて二十年近くになるのに、夫は最近まで知らなかったと言うのです。まるで後ろのおうちのムクゲであるかのように、あちらに向いてきれいに咲いているのは確かですが、かなり驚きました。
これがそのムクゲの花 ピンク
金曜日は懸案の朝顔の棚づくりをしました。細い竹竿を、縦二本横一本のコの字に組んでネットを張り、庇に立てかけました。かなり伸びて、もうすでにつぼみをつけている朝顔の蔓をネットに巻き付けて、なんとか形になりました。ほっとひと安心です。ついでにわたしはそのあたりの草やドクダミの葉などを整理し、夫はメダカの鉢の掃除もして、ちょっとだけ庭がきれいになりました。
雨で倒れたルドベキアを花びんにドサッ
木曜日も金曜日も、二時間の庭しごとで汗をかいて、それをシャワーで流して、それなりの達成感を味わいました。ところが、次の日からは一日中強い雨。買い物以外はどこへも出かけず、三食ご飯を作って食べるだけの土日になりました。
なんだかじっとりとして蒸し暑くて、コロナの不安もじわじわ迫ってくるような二日間でしたが、雨に降りこめられたおかげで、向田邦子さんにまた向き合う時間を持つことができました。
「向田邦子の青春」の他にもう二冊、彼女に近い人が書いたエッセイを読みました。一冊はやはり妹の向田和子さんの「向田邦子の恋文」で、わたしが何年か前に買って読んだもの。もう一冊は夫の本で、久世光彦さんの「触れもせで」です。
向田邦子さんに恋人との悲しい別れがあったことを、妹の和子さんは「恋文」で明らかにします。とても素敵な向田邦子さんのポートレイトは、カメラマンであった恋人が撮ったものだということです。十年前ぐらいでしょうか、一時ブームになって、雑誌などで特集が組まれたりしていましたが、そのとき載っていた若かりし向田邦子さんは、ポーズも含めて、女優さんみたいに本当にきれいでした。「恋文」で解明されて納得、ですが、同時になんだかとても悲しい。
帽子もプリーツスカートもお手製
二十代のころ、わたしは東京でお勤めをしていて、正社員ではなかったのでかなり貧乏で、四畳半のテレビもない部屋で暮らしていました。住んでいた国分寺から会社のある九段坂まで一時間ちょっと通勤にかかって、その時間は電車の中で本を読むのを楽しみにしていました。そのときによく読んだのが向田邦子さんのエッセイです。
「である。」で結ばれる、形用が少なく簡潔な文章は憧れでした。家族のことも昭和の家庭のこまごまとした暮らしの様子も、いきいきと、きっぱりとした調子で描かれています。それでも、そこに込められた情感が伝わって、なんともじんわり温かいのです。
二十年のつきあいがあったという久世さんは「触れもせで」のなかで、脚本家として活躍する向田邦子さんの裏話というか、リアルな姿を教えてくれました。「アンチョコ」と題する話のなかには、脚本やエッセイを書くのに、テーマがうまくみつからないときなど、パラパラとめくる本があったと記されています。それは、歳時記と歌謡大全集。歳時記に載っている、日本に昔からある行事や習慣、それらの古い呼び名、言い回しなどの言葉は、向田邦子さんが好きで大事にしていたとのことです。ちょっと抜き書きしてみます。
「女正月」とか「針供養」のような、いつかは忘れ去られるに違いない言葉をいとおしみ、少しでも生き延びさせたいという暖かな気持ちがあの人にはあった。だから「辛抱」「昵懇」「じれったい」「依怙地」のような、一昔前の日常語と同じように、エッセイや脚本の中で意図的に用いたのだった。
向田邦子さんへの気持ちが切ないほどあふれるいい本でした。仕事仲間や家族にさえ、泣きも笑いも怒りもできなかったのではないか、本当の顔を見せることができなかったのではないかと久世さんは言います。長女としての責任や仕事のことを優先して、自分を抑えていたのでしょうか。それができるのが向田邦子さんだけれど、それが本当だったら、やっぱり悲しいです。
「向田邦子の青春」の本の横に置いたCDは、Milli Varnonというアメリカの女性ジャズシンガーのアルバム「Introducing」です。向田邦子さんのエッセイ集「眠る盃」に収められている「水羊羹」に次のような一節があります。
水羊羹を食べる時のミュージックは、ミリーバーノンのスプリング・イズ・ヒアが一番合うように思います。(略)冷たいような、甘いような、けだるいような、なまぬくいような歌は、水羊羹にぴったりに思えます。
これを、後にクロワッサンかクーネルで取り上げられているのを読んだわたしは、それをどうしても聴きたくなって、難波のタワーレコードで探したのです。この機会にまた聴いてみましたが、わたしにはどうにも大人すぎる感じ。でも、年齢でいうと今のわたしは、当時の向田邦子さんより、とっくにずっと大人なのです(なんということ!)。
会社の同僚で、やっぱり向田邦子さんの作品が好きだと言っていたソヤボーはどうしているかな。東京生まれで東京育ちのお嬢様なのに、結婚したらいずれ彼の実家のある富山に行かないといけないと言っていたな。三十数年前のそんなことも思い出してしまいました。
大事にとってある向田作品の文庫本はもうだいぶ茶色くなって本棚に並んでいます。それをたまに取り出して読むことも多いのです。こんなに時間がたっても変わらない魅力があります。今でもやはりファンなのだな、と思います。
もうすぐ梅雨があける
難波というかアメリカ村のあたりだったかなぁ・・・
私もJAZZにのめり込んでた時期があって
直輸入盤をあさりに、よく行きました!
ミリー・バーノンというシンガーには巡り合わなかったけど
また機会があれば聴いてみます♡
向田邦子さん、きりっとした素敵な方ですね。
黒柳徹子さんとも、とっても仲良しだったんですってね!
久世光彦さんの「触れもせで」は読みました!
なんだか大輪のムクゲと向田さんがオーバーラップしました~(^^)/
ムクゲと向田邦子さんって、なるほどたしかに、イメージが重なりますね。もっと咲いていて欲しいと願っても、叶わなくて、そうだからよけいに印象が強く残るところ。
いつもステキな写真を撮っていらっしゃるはるのん2号さんは、やはり感覚がすばらしいですね!
コメントありがとうございました。