詳しくは日ごとにあとで書くけれど。。。
ついに帰ってくれました。昨日。
無事にシンシナティーについたらしい。友人は地元シカゴで骨休みしてるみたいだけど。
Dreamgirls
帰って欲しくはもちろんなかったけど、
時間止まっても、何も前に進まないので、うん。
3週間前に彼らは来日し、私は自分の救世主がこんなに身近な人になるなんて思っていなかった。
この3週間で、色んな自分に出会えた。
本当に本当に英語だと何でも言えるということ。
素直に、正直にいられるのが不思議だった。
日本語で言えないことがすらすら言える笑
もちろん、思ってることを素直にって意味だけど、
はっきり言って、日本語では絶対に断じて口にしなdirty wordも言えてる自分にびっくり笑
あっぱれ、英語!
来日2日目に後半のDreamgirlsたちと出会いお買い物をするも緊張、
3日目は友人とアンサンブルの子とお買い物で、すごーくリラックスできて、
初日には、劇場内ですでに知り合い化したスタッフとお話したり、
主役の人のファンの方にも出会って、
友人にAfter Partyに入れてもらって結果怒られたり、
何よりも友人の声がつぶれるというなんとも心苦しい事件もあり(ホンキでこの時が食欲が失せた)、
でも、友人の息子さんと元奥様にお会いして、友人のパパとしての一面を見れたり、
その間に他のキャストと仲良くなっちゃったり、
私が誰の友達で、誰を優先すべきかとなんとも小学生レベルの話を毎日聞かされ、
楽屋に男の子用に出張ネイルサービスをお願いしたり、
友人が復帰前にいきなり客席に現れたり、
予定よりも早く復帰できてうれしかったり(Broadwayではないという理由だけど)、
夜に呼び出された上に女の子の友達を連れてくることにこだわってるので、何かと思えば、日本のレーベルの人の接待的なのためだったり、
最終週はCDを売るために毎回ショーのあとに楽屋口にかよったりで、
本当に盛りだくさんな日々だった。
ショー前は楽屋にギリギリまでいることもあった。
てか、あそこのセキュリティー甘すぎ。。。
楽屋にはよくいたくせに、バックステージツアーはゼロ。
私の友人はそういう意味でまったく気がきかないので・・・
私がバックステージツアー未体験と知った仲良しのアンサンブルの子が、結局できなかったから、次DCでやろう!と言ってくれた。
というか、彼らがDCにいる時期にたまたまNYCにいる私。私のDC行きを決めたのは彼らだ。
最終週はすごかった。
とにかく週の初めから笑わされっぱなしだったし、
本当にCD売るの毎回がんばったし、
mixiにもコミュニティー作ったし、
マネージャーさんですか?って質問も数知れず受けたし、
写真やサインは求めるのにCD買わない人にムカってしたり、
CD売れる作戦を考え、Official Tshirtを着たり、
それも効果なかったり、
メールの行き違いとかすれ違いがあって、会えなかったり、
知らない人メールしたり、Twitterに返したり、
ありとあらゆる手をつくしはしたし、
金曜日の夜中はクラブイベントもあったし(私にめちゃ無理矢理営業させてたけど)
土曜の最終は作戦通り、シャイな2人でがんばって、今までで最高枚数のCDを売ったし(私としてはファンにはもっと親切にして欲しい)、
ジェラシーなのか彼のファンに完全にシャットアウトされたり、
おばさんファンが多いことに気がついたり(まーそっか、おじさんだし笑)
計3回飲茶のお店に行ったし(食べるもの基本同じ)、
渋谷の豆乳ソフトにはまったり・・・
最終日はキャストのお誕生日で、その準備に幹事に頭を貸し、
結果、パーティでも参加してくださった日本人クルーのために通訳を無茶振りされ、
結局ホスト役を手伝うことになり、my pleasureだけど、また仕事してたり(完全にボランティア病!)、
日本人スタッフの中で有名だったらしく、うわさのKanaさんと言われたり、
その後夜通し遊び、どっちがお金先に払うかでもめたり、
トイレに行ってるだけなのに大騒ぎして探されたり(保護者か!)
結局、終電まで部屋で寝ようとしたら、夜中でテンションが高いのか普段より多めにしゃべって、ショーの話をしたり(私にいろーんなこと聞くけど、素人ですが?)
とってもとってもとっても重要な話をしたり、
始発で帰ろうとしてたけど、
ここ出るまでいるでしょ?との要求にいることになり、
結局、あまりにmessyな部屋を見て、
パッキングの手伝いをしたり(ほぼ私がやった・・・マネージャーか!)
レシートの整理までしたり、
さらには、入らない荷物はDCに持ってきてってリアルになってるし。。。
結局、すごーく気に入ってたから探して買ってきてあげた、
梅酒2パックとアメリカでは売ってないけど気に入ったシリアル2箱(自分で買った上に、twitterにのせたらファンから頂いた)とCD50枚くらいをお土産として置いていってくれた。
日本のレーベルの人を接待してたときに、彼の曲とミュージカルでの彼の歌ってどう違いますか?どっちが好きですか?
って私が聞かれ、めっちゃ困って、
「・・・・・どっちとは言えません。両方、全然違うじゃないですか!?どちらにも彼の良さと才能が表れていると思うんです。
それに・・・私は彼の歌に命を救われたんです。文字通りの意味で。重いし、長くなるので、今はお話しませんけど」
と言ってしまった。
言うか迷ったけど、それが本当のことだし。
レーベルの人たちも、彼自身もびっくりしてて、私も少し泣きそうになっていた。
(その時のブログは
こちら)
「その話はあとでゆっくり」って言われたものの、もう忘れてくれてることを期待してたんだけど、覚えててくれて、最後のタイミングで聞かれた。
で、話した。ついでに夢も話した。
本人にこの話をする日が来るなんて夢にも思ってなかった。
この話の真相は両親しか知らない話だし。
彼を知って5年、ずっと追っかけたわけじゃない笑
色んな縁があったのだと思う。
ママが偶然にライブを見つけたり、
ママが偶然にとあるCDに彼の曲が入ってるのをみつけたり、
ショーの後は疲れすぎてて、ファンも多いし、みんなになにを言われても覚えてないけど、
私は覚えてるって言ってたし(そりゃ、いつも最後の最後まで出てこないから、それをたった1人で待ってたから当たり前じゃん笑)、
神様が導いてくれたんだねきっとって話をしていた。
きっと、最後の夜をみんなで騒ぎまくって終わらせてたら、
この3週間が終わってしまったことの穴がもっともっと大きく残って、
今はきっとまた燃え尽き症候群になってたかもしれない。
でも、最後、お話で終えらた上に、物理的にパッキングをしながら、
彼が日本から去るのを実感したから、心の中には+のことしか残っていない。
こんなことってあるんだなーって思う。
ミーハー魂もあったけど、彼やプロのパフォーマーたちと友達になるのが夢だった。
それは、自分の最大の夢の“医療とエンターテイメントの融合”のためには必要なことだし。
何よりも自分に生きるエネルギーをくれた人にちょっとは恩返しができたし、感謝も伝えられた。そして親しくなった。
1つ夢はかなった。
欲しいものだけを得るためにした回り道の中で、1つの夢がかなった。
今は、夢は絶対に叶うと信じられる。
本当に素敵な友達ができた。
今回はじめて出会い、仲良くなった子には、
“You are truly special and unique. ”と言ってもらえたし、彼からは“U are Love”という最高のほめ言葉をもらった。
写真の中の私はとってもHappyに見えて、この写真をみるとがんばろうって思える。
I can't be more greatfulです。
本当に。
とにかく、彼が置いていったCDをできるだけ売りたい笑
はそれが目標。
アメリカに帰るときの荷物を軽くしたい笑
そして、来年アメリカに、自分のright placeに戻れるように邁進あるのみ!