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花筐 上村松園と 山岸涼子「天人唐草」について

2022-10-02 16:41:00 | 書評 読書忘備録
花筐 上村松園と 山岸涼子「天人唐草」について書く 10

さても上村松園です。焔、が夏の黄昏時のフラッシュバックであれば花筐は秋の紅葉山の白日夢といった処でしょうか。。。
一見キレイな日本画、しかも等身大で観者が画の前に立つと美しい姫が自分に向きあって微笑みかけてきたような錯覚を覚えるでしょう。

ところがすぐに貴方は不安な気持ちになってしまいます。鮮やかな色合いの袷は肩からずり落ちかけて足元には踏みしだかれた扇があります。そして画の女性の表情と眼差し。何処も見ていない。。。。!?
そうです、女性の精神は正気の世界から逸脱しているのです。どうしたことなのでしょう?どのような理由があったのでしょう?

一つの分かりやすい解は、この絵は能の花筐から着想を得たもの。ということです。 
能の花筐では画の主人公は照日之前。田舎で皇子の寵愛を受けながら、皇子が即位の機会に着古した昔の服は断捨離よ、とばかりに、あっさりと置き手紙と花籠を手切れの品に残され棄てられてしまいます。
自分の身に起こったことが理解できないまま姫は徒歩でふらふらと都の方向へ歩き出すのでした。あの方はわかってくれると。。。。

そして数年の後、継体天皇となった皇子の観紅葉の宴にひとりの女性が歩み寄ります。しかし相手は天皇であり付人に形見の花籠を叩き落とされあしらわれてしまうのです。何かの糸が切れたように姫は己の素性と皇子との縁を金切声で糾弾します。
騒ぎを聞きつけた帝は姫の正体を悟り、
「さてもおもしろきことよ。(なんだって?)
我の前で狂女のように舞ってみせよ。
舞がよろしければ御前を手元に置こうではないか。
(何を言ってるんだ?コイツは?)」
と怖いことをのたまいます。
この画はまさにその召しの直後、舞に一歩踏み出す前の姫の姿を瞬間、描いたものということです。

このシチュエーションも相当ヘンです。姫は本当は狂ってしまっていたのか、それとも帝の一言で正気に戻り、その上で狂女の振りをして舞ったのか?
帝は狂ったオンナが好きな変態ヤロウなのか?
姫が舞った狂女の舞とはどんなものだったのでしょうか?
尊い方たちの思い付くことは凡人には意味不明です。

そして、次の怖い話。
この能の物語を元に松園は小面の「十寸髪」をモデルに下絵を描き始めますが、顔を描けたところで瞳を仕上げようとしたところ、どうしても得心がゆきません。それもそのはず面の目は空洞でそこには空間と向こう側が見えるだけなのですから・・・







そこで松園は当時の大阪では有名なキタのキチガイ病院に取材にいくのです。そこでの手記も読みましたが、松園は長い時間、そこの住人達の姿、物腰を観察しながらは、あるいはエエトコの御料さんとかみ合わない会話をしたりしたそうです。その取材の姿もドラマのように想像できてしまいますが怖いでしょう?
そして松園は彼女達に共通する眼差しの行方について理解したといっています。
曰く「あの方達の游いだ眼は、虚空に私達の見れないモノを見ている。。。」と。
そんな知見を得た後で照日之前の表情のアップを見てください。微笑んだ口元、そしてうっとりとして、あらぬ虚空を見る眼差し・・・・・・芸術家ってすごいですね。

そしてそして、ここで山岸涼子さんの傑作、天人唐草を読んでいただきましょう。
髪を金髪に脱色し、全身フリルの真っ白なドレスに身を包んだ女性30歳が奇声を上げて空港を徘徊する最初の場面。



花筐の姫は時代を経て女性漫画家の手に再臨しました。
天人唐草、幼少のころから女としての躾と拘束に歪められて遂に精神の均衡を崩してしまうもうひとりの姫の物語。彼女もラストの衝撃的な出来事のあと、ひとり呟くのでした。あの人はわかってくれる。と
彼女は狂気という世界に解放され、その後何処にいったのでしょうか?
何か予兆だけを残して漫画は唐突に終わってしまいます。あの人に会えるのでしょうか?それとも更なる悲劇に遭ってしまうのだろうか?

更に僕には、その後の彼女が何故か白いメリーさんとして、或いは、コワイさ迷う者として都市伝説のように続きの物語を醸成してゆくような気がするのです。
或いは健常なわたしたちの隣人の心に植え付けられる何かの萌芽となってゆく。そのような気がして胸がざわつきます。

今も日々のニュースに確かに紛れ込む異界の白い闇。
なんでこんなコトになっちゃうの?と問わずにはいられない事件の舞手たち。。。
そう 本当の闇は漆黒ではなく、この画のように白く美しく朧なのかもしれません。







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