私が今住んでいる家は、今まで彼方此方と住まいを変えてきた私が終の棲家と決めて買い求めた中古住宅だ。この家を買ったときに、前の持ち主がいらない物の中で欲しい物があったら使って下さいと置いていった中から撰んだ品物の一つにピアノがあった。
私は音楽は好きだが楽器を使うことも才能も無かったので、ピアノを必要とした訳ではなかった。それでも撰んだのは私の時代ではピアノを習っているだけでハイソサイアティな身分であった。まして、それを所有している友人など周りには一人もいなかった。だから憧れから飾りとして置こうと考え、あわよくば「さくらさくら」くらいは弾ければ御の字と考えていた。しかし、弾くことは全く無い上に部屋が狭く邪魔になるだけなので手放すことにした。
丁度その頃、「ピアノを譲って頂戴」とテレビで宣伝していた会社があったので持っていってもらえるだけでも良いと思い連絡してみました。メーカーと品番号を伝えるとお金が掛かると言う。それが目的でよほど良い品でないと買ってはくれない仕組みなのだろう。
そこで町の広報に譲ります、譲って下さいのコーナーがあったので申し込みました。すると子供を連れた若い夫婦が見えて品番などを調べて帰り、後で返事をくれましたが断りの返事でした。
そこでやっと私の感覚がずれているのに気付きました。今の時代は商品は沢山有り余っているのです。例えそれが高級品だとしてもです。何時の間にか日本は本当に金持ちの国になっていたのです。
テレビで東北、関東大地震のテレビ放送を見ていて気付いたのですが。誠に不遜ではありますが敢えて言わせて戴きますが被災して避難所などにいる方々が映る度に気が付くのですが皆さん着ている服装が良い品ばかりなのです。着の身着のまま、逃げてきたのですから普段の服装のままなのでしょう。このことも、繁栄日本の証の一つであろうと思うのだが…
そして、安全神話が崩壊した原子力発電所。日本が正しいと信じて進み続けてきた方向が自然の破壊力の前で簡単に崩れ去った。東北地方の人々が今まで積み上げてきた生活がたった一着のメーカー品の服装だけを残して無くなってしまった現状は今、正に日本の現状と言えるのではないでしょうか。
今、国はT字路に立っています。今後をじっくりと考えて自分達の進む方向を撰ばなければなりません。私達のように人生の後半にいる人間は若者や子孫に対する責任があります。政治や己の都合で方向を誤ると今後、修正するのには五十年以上の歳月を必要とすることになると思います。「災い転じて福と成す」の例え通りにこの事を思案の機会と考えるべきだと考えます。
私は音楽は好きだが楽器を使うことも才能も無かったので、ピアノを必要とした訳ではなかった。それでも撰んだのは私の時代ではピアノを習っているだけでハイソサイアティな身分であった。まして、それを所有している友人など周りには一人もいなかった。だから憧れから飾りとして置こうと考え、あわよくば「さくらさくら」くらいは弾ければ御の字と考えていた。しかし、弾くことは全く無い上に部屋が狭く邪魔になるだけなので手放すことにした。
丁度その頃、「ピアノを譲って頂戴」とテレビで宣伝していた会社があったので持っていってもらえるだけでも良いと思い連絡してみました。メーカーと品番号を伝えるとお金が掛かると言う。それが目的でよほど良い品でないと買ってはくれない仕組みなのだろう。
そこで町の広報に譲ります、譲って下さいのコーナーがあったので申し込みました。すると子供を連れた若い夫婦が見えて品番などを調べて帰り、後で返事をくれましたが断りの返事でした。
そこでやっと私の感覚がずれているのに気付きました。今の時代は商品は沢山有り余っているのです。例えそれが高級品だとしてもです。何時の間にか日本は本当に金持ちの国になっていたのです。
テレビで東北、関東大地震のテレビ放送を見ていて気付いたのですが。誠に不遜ではありますが敢えて言わせて戴きますが被災して避難所などにいる方々が映る度に気が付くのですが皆さん着ている服装が良い品ばかりなのです。着の身着のまま、逃げてきたのですから普段の服装のままなのでしょう。このことも、繁栄日本の証の一つであろうと思うのだが…
そして、安全神話が崩壊した原子力発電所。日本が正しいと信じて進み続けてきた方向が自然の破壊力の前で簡単に崩れ去った。東北地方の人々が今まで積み上げてきた生活がたった一着のメーカー品の服装だけを残して無くなってしまった現状は今、正に日本の現状と言えるのではないでしょうか。
今、国はT字路に立っています。今後をじっくりと考えて自分達の進む方向を撰ばなければなりません。私達のように人生の後半にいる人間は若者や子孫に対する責任があります。政治や己の都合で方向を誤ると今後、修正するのには五十年以上の歳月を必要とすることになると思います。「災い転じて福と成す」の例え通りにこの事を思案の機会と考えるべきだと考えます。