オーブラック山地の巡礼地を歩くカナダ人夫婦 Couple canadien marchant dans la ville d'Aumon Aubrac
巡礼で出会った人々 Les hommes que j’ai rencontre durant mon pelerinage
(2)ケベックから来たカナダ人夫婦 Le couple canadien venu de Quebec
第1日目、宿泊地のサン・プリヴァ・ダリエに到着時、最寄りのカフェでテーブルに座ると、”ボンジュール、マサ!”と話しかけて来る人がいました。今朝、大聖堂で自己紹介した時の私の名前を覚えていてくれたのです。その人は、ルイと言う名のカナダ人でした。
ルイさんと出会ったサン・プリヴァ・ダリエのカフェ
初対面にも拘わらず、彼は私にビールをご馳走してくれました。その親切心に少々驚きましたが、すぐにその理由が分りました。彼は、その年の春に日本に出かけて、”四国八十八か所を巡礼して来た”と言うのです。日本に対して大いなる関心があり、フランスで思いがけず出会った日本人の私を見て、親近感を感じてくれたのでした。
ところで、彼は四国巡礼の記念に購入したと言う、白のショルダー・バッグを携えていました。
白いショルダー・バッグをぶら下げているルイさん
バッグには、“同行二人”と書かれていました。その言葉は、弘法大師と一緒の意味と説明してくれました。その言葉は、これまで私は寡聞にして知りませんでした。
第2日目にも、ソーグに到着して教会の近くを散策している時に、ルイさんと再会しました。そして、中心街のカフェでビールを飲みながら、お互いに自己紹介をしました。言語は、基本的にフランス語を使いましたが、私が理解できないフランス語に出くわしたときは、彼は英語で説明してくれました。
ルイさんは、現在65才で年金生活を送っていること、ケベック州のガスペ(Gaspe)に住んでいること、ケベック州の大学で社会学を専攻したこと、奥さんはモントリオール大学で経済学を学んだこと、子供さんは独立して他の都市に住んでいるので今は奥さんと二人暮らしであること等々、話してくれました。私も、子供は既に独立し、家内と二人暮らしなので、似たような境遇です。
第3日目には、ル・ソヴァージュのジットで3度目の出会いとなりました。このジットには多数の部屋がありますが、偶然にも定員8人の部屋で同室となりました。
第4日目、オモン・オーブラックへの行程の大半、及び第5日目のナスビナルへの行程の半日は、旅路を共にしました。
道中でルイさんと話した話題の中で印象に残っていることの一つは、彼は植物の名前に詳しく、bruyere(ヒース)、mure(ブラックベリー)、eglantier(野ばらの赤い実)など、道端で見かけた花や木の実について教えてもらいました。
また、他に印象に残っていることの一つは、、彼が熱心に日本語を勉強しており、日本語の文字、発音記号、フランス語訳を併記した手帳を大事そうに身に着けていることでした。そして、例えばフランス語の le miracleと言う言葉は、日本語では何というのかなどの質問に答えながら、旅を続けました。
第4日目、ル・ソヴァージュからオモン・オーブラックへの旅路を一緒に歩くルイさん夫妻の写真
1.サン・ロッシュ付近 2.サン・タルバン教会前のテラス 3. オモン・オーブラックへの山道
さて、5日目の事ですが、ルイさんは俳句の話題を取り上げました。彼は、芭蕉の俳句を覚えていると言い、“古池や・・・”など、2-3の句を口ずさみました。まさか、フランスの辺鄙な巡礼道で、俳句を朗読する外国人に遭遇するとは、思いませんでした。
第5日目 オーブラック山地の一角で(スナップ)
俳句の話題には、まだ続きがあります。ルイさんは、日本通であることを自認し、他の巡礼仲間に、日本には5・7・5の母音から構成される世界一短い“俳句”と言う詩があることを紹介しました。すると、スマホなどで熱心に俳句の勉強をした巡礼者達は、第6日目St Chely d’Aubracへ向かう道中から、競ってフランス語の俳句を作り始めました。そして、私に日本語に翻訳してほしいと頼まれました。しかし、日本語訳でも、5・7・5の母音に合わせるのに苦労しましたが、ローマ字にして日本語訳を作ってあげました。
ここで、ルイさんの奥さんが詠んだ一句を紹介します。
Pluie d’automne Pieds endoloris Vin blanc qui m’attend
試訳:秋雨や 足を痛めて 酒思う
この句は、巡礼者共通の悩みと感情を表現しており、巡礼仲間の人々の共感を呼びました。
巡礼の旅では、考える時間がたっぷりあるので、私も俳句をひねるようになりました。俳句を考えていると、巡礼の疲れを忘れるばかりでなく、巡礼道の風物をよく観察するようになりました。
第6日目の宿泊地、サン・シェリ・ドブラックでも、泊まるジットはルイさんと同じでした。ここは村営のジットで、食堂施設はありませんでした。そこで、ルイさんが音頭を取って集まった巡礼仲間が一団となって、外部のレストランに出かけました。全員で9人でしたが、運よく全員がテーブルを囲める個室を貸し切ることができました。ここで、それぞれが、郷土料理のアリゴ(粘着性に富み、引き上げると長く伸びるチーズ料理)を含むセットメニューとワインを注文し、楽しい団欒の一夜を過ごしました。
郷土料理のアリゴに舌鼓打つルイさんら巡礼仲間
このときが、結局ルイさん夫婦と一緒に過ごした最後の時間でした。
ルイさんは、コンクでは修道院付属のジットに泊まる予定とのことだったので、私もそのジットに泊まりましたが、彼の姿は見えませんでした。きっと、奥さんの体力の都合で、ここに到着するのが遅れてしまったものと思われます。
ところで、後日談があります。 巡礼の第10日目、私はドカズヴィルの外れにあるサン・ロッシュ(St. Roch)のジットに泊まりました。教会が経営するそのジットでは、日本人の女性がヴォランティアとして働いていました。ベルリンの大学で学んでいるが、休暇を利用して奉仕活動をしているとのこと。私が帰国後、彼女からの便りで、私が泊まった翌日、ルイさん夫婦がこの宿に来たとのこと!そしてルイさんが、途中まで旅路を共にした私の消息を訊ねたそうです。つまり、一日遅れで、偶然にも同じジットに泊まったのでした。
カナダに帰国後、ルイさんよりお便りを貰いました。ル・ピュイ巡礼路の終点、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールまで歩いた後、スペインはバスでパンプローナなどの巡礼地を巡り、サンティアゴ・コンポステラまで無事に旅を続けたと言うことです。
尚、彼はいつか日本の熊野古道を歩いてみたいとの願いを持っていたので、日本に帰ってから英文で書かれた熊野古道の案内記事を探し、彼に送ってあげました。
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