世界各国からやって来る巡礼団の人々
Equipe de pelerins venus de beaucoup de pays
フランス南部: (2)ミディ・ピレネー地方(La region de Midi-Pyrenees)
g. ルルド Lurdes(続)(オート・ピレネー県、Dep. de Auto-Pyrenees)
ルルドを訪れる旅行者は、一般の観光客も一部おりますが、過半数は巡礼者の人々です。前回のブログでは、ルルドの観光地的側面に主体にして記事を書きましたが、今回は、巡礼地あるいは聖地としての側面から、話を進めたいと思います。まずは、ルルドが巡礼の聖地となった由縁を考えてみたいと思います。
1858年のある日、貧しい家で育ったベルナデットと言う少女が、ルルド郊外のポー川添いにあるマサビエルの洞窟(Grotte de Massabielle)の傍らに立っていると、洞窟の窪みに貴婦人が現れ自分は「無原罪のお宿り」(l'Immaculée Conception)であると告げました。それはすなわち聖母マリアであり、その指示に従って洞窟内を目を向けると、清水が湧き出して来たと言うことです。これが“ルルドの水”(l’eau de Lourdes)あるいは“奇跡の水”と称され、不治と思われた難病を治癒する奇跡が起こり、この出来事をカトリック教会が公式に奇跡として認定することとなったのです。そして、ベルナデットは1933年に、列聖されております。
ベルナデットの写真(1863年、Billard-Perrin撮影)
1864年には、聖母が現れたと言う洞窟の窪みに、高さ1.88mの聖母マリア像が建てられ、多くの巡礼者で賑わう巡礼地の心臓部となりました。
洞窟の窪みに立っている聖母マリア像
今日でも、ルルドは有名な巡礼地として大勢の巡礼者が押し寄せています。
巡礼者は、個人又は少数のグループ、あるいは多数の尼さんも見かけましたが、目立ったのは牧師さんに連れられた巡礼団でした。巡礼団は、各国各地の教会が、牧師さんと信者が一体となってツアーを組んで、この聖地にやって来ている一行です。
大聖堂の裏手の丘には十字架の道 (Chemin de Croix)と名付けられた遊歩道があり、道端には聖書にまつわる物語を表現した彫像群や十字架など立っています。各群像のの前で、巡礼団は牧師さんの解説を聞き入っていました。牧師さんが話す言語は、フランス語が多いのは当然ですが、ドイツ語、イタリア語、英語など、国際色が豊かでした。
十字架を持った人に引率される巡礼団
聖書にまつわる物語を表現した彫像群
さて、夕方になると、マサビエルの洞窟から見てポー川の対岸にある広場に大勢の巡礼者が集まっていました。そこで、私もその広場に入ってみました。そこには、大きなテントが張られた屋外ミサの会場があり、ドイツ語やイタリア語など巡礼団の出身国に応じた言語で、順番にミサが行われていました。
屋外ミサの風景
しばらくすると、それぞれが属する巡礼団ごとに一つのまとまりを作り、多くの巡礼団が順番に長い列を作って移動を始めました。
橋を渡る巡礼者の行列 橋を渡り終えた巡礼者の一行
列の最後尾には観光客らしき服装をした一般人が続いていましたので、私も巡礼者の一員になった気持ちで、列の後方について行きました。巡礼者達はポー川に架かる橋を渡り、ノートルダム:デユ・ロゼール大聖堂の前方に出た後、大きな建物の地下に入る坂道を降りて行きました。
行列最後尾で地下道を降りて行く人々
その地下には巨大なホールがあり、ミサが始まっていました。私にとって、ミサに参加するのは初めての体験でした。後ほど調べると、それは1958年に建てられた世界最大規模の教会で、聖ピオ10世地下バジリカ聖堂(Basilique souterraine St. Pie. X)と呼ばれ、ミサには約2万人の人を収容できるそうです。
聖ピオ10世地下バジリカ聖堂
ここでも、英語など数か国語で説教が行われていました。
この日は、巡礼者の行動に見習ってカトリック教の聖域を歩き回り、これまでに経験したことのない神聖な体験をしました。
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