ル・スリエ村のジット入口にあったメルヘンチックな案内板
Plaque du gite au Sulie avec l’atmosphere de conte de fee
モニュメント、標識等 (4)
第9日目-第11日目 アヴェイロン(Aveyron)県 / ロット(Lot)県
(注)両県とも、ミディ・ピレネー(Midi Pyrenees)地方に属しています。
今回は、コンクからドカズヴィルまではアヴェイロン県、ドカズヴィルからフィジャックまではロット県の旅ですが、この行程で接したモニュメント、標識などが、本記事の対象です。
第9日目:ゴリナック Golinhac から コンク Conques へ
厳密に言うと、私が泊まったジットは、コリナックの手前のラ・ペイル(La Peyre)でした。このジットの前庭に、次の様な案内板が立っていました。“ここはラ・ペイルです”(ICI vous etes a LA Peyre)と書かれており、本日の目的地、コンクまでは24.5km、スペインの聖地のサン・ジャック・ド・コンポステル(St Jacques de Compostelle)までは、1371.5kmと記されています。
泊まったジットの前の案内板
ここを出発して1時間弱で、ゴリナックの中心地に着きましたが、そこには巡礼者を模した木彫りの像がありました。
木彫りの巡礼者と生身の巡礼者(ゴリナックにて)
コリナックから旅を続け、カンパニャック(Campagnac)をちょっと過ぎたル・スリエ(Le Soulie)の村に休憩所がありました。その入り口には、メルヘンチックな案内板がありました。聖地サンジャック・ド・コンポステルのコンポステルは、“星ふる里”の意味ですので、“星、ホタテ貝、ブーツ”は、巡礼の3要素を表しています。(記事冒頭の写真参照)
ここから少し先のカルボニー(Carbonies)のと言う標識のある道端には、素焼きの植木鉢を組み合わせて作った農夫の人形が2体立っていました。手前の如雨露を見ると、白い文字で”Espeyrac 1km” (エスペラックまで1km)と書かれていました。なかなか、ユーモラスな演出です。
カルボニーに立っていた農夫の人形
エスぺラックに着くと、ジット・デタップ(Gite d’Etap:巡礼者やハイカー向けの簡易宿泊所兼休憩所)の案内板がありましたが、先ほどカンパニャックで休憩したばかりだったので、そのまま通り過ぎました。
エスペラックのジットの案内板
昼過ぎに、中世の面影を残すセネルグ(Senergues)の町に着きました。この町の入り口には、十字架のモニュメントが立っていました。また、村落の一角では、聖母マリアの像を見かけました。
午後になると、雨が降り出しました。14時過ぎにコンクへの道を示す道標がありましたが、コンクに到着するまでには2時間弱ほどかかりました。
コンクへの道しるべ
第10日目: コンク Conques から ドカズヴィル Decazvilleへ
この日は、昼前からジャンジャン降りの雨でした。プレイサック(Prayssac)村には、巡礼者向けの無人休憩小屋があったので、そこで昼食にしました。しかし、ここを出てからもずっと激しい雨は続き、ただひたすら足元に溜まった雨水を避けることに夢中で、全く周囲の景色を見る余裕はありませんでした。
プレイサックの道標がある巡礼道
その日は、ドカズヴィルのサン・ロッシュ(St Roch)に宿を予約していましたが、宿に到着した時は、ポンチョの内部も靴の中もびしょ濡れでした。
第11日目:ドカズヴィル Decazvilleから フィジャック Figeacへ
サン・ロッシュ(St Roch)の宿を出ると、すぐ傍に巡礼路(Chemin de Compostelle)の道標がありました。
巡礼路の道標(サン・ロッシュ)
小雨の中の出発でしたが、間もなくリヴィナック・ル・オ(Livinhac le Haut)の町に着きました。
リヴィナック・ル・オの市街図
昼頃には、いったん雨が上がりましたが、その後は降ったり止んだりの不安定な天気でした。そうこうしている間に、サン・ジャン、ミラベル(St Jean Mirabel)の村に入り、少し進むと、十字路に出ました。そこには、フィジャックまで3.7kmと記された道標がありました。
サン・ジャン、ミラベルの村 フィジャックへの道筋を示す道標
16時少々過ぎた頃に、フィジャックの街に着きました。今回の私の巡礼は、フィジャックで打ち切りでした。フィジャック市街の中心部には、セレ川(le Cere)が流れていますが、その河畔にはさらに続く巡礼路を示す、赤白のマークを描いた柱が立っていました。
フィジャックの入り口の道標 フィジャックのセレ川河畔にある巡礼路のマーク
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