*** Plaisir de voyager ***

非日常的な旅で遭遇する色々な体験のお話です。Various enconters in unusual travels.

ル・ピュイ巡礼路のモニュメント等(4)Monuments sur le chemin du Puy (4)

2014-04-20 | ル・ピュイの道 Chemin du Puy en Velay

ル・スリエ村のジット入口にあったメルヘンチックな案内板

Plaque du gite au Sulie avec l’atmosphere de conte de fee

 

 モニュメント、標識等 (4)

9日目-第11日目 アヴェイロン(Aveyron)県 / ロット(Lot)県

(注)両県とも、ミディ・ピレネー(Midi Pyrenees)地方に属しています。

  今回は、コンクからドカズヴィルまでアヴェイロン県ドカズヴィルからフィジャックまではロット県の旅ですが、この行程で接したモニュメント、標識などが、本記事の対象です。

 

9日目:ゴリナック Golinhac から コンク Conques

  厳密に言うと、私が泊まったジットは、コリナックの手前のラ・ペイル(La Peyre)でした。このジットの前庭に、次の様な案内板が立っていました。“ここはラ・ペイルです”(ICI vous etes a LA Peyre)と書かれており、本日の目的地、コンクまでは24.5km、スペインの聖地のサン・ジャック・ド・コンポステル(St Jacques de Compostelle)までは、1371.5kmと記されています。

   泊まったジットの前の案内板

  ここを出発して1時間弱で、ゴリナックの中心地に着きましたが、そこには巡礼者を模した木彫りの像がありました。

   木彫りの巡礼者と生身の巡礼者(ゴリナックにて)

  コリナックから旅を続け、カンパニャック(Campagnac)をちょっと過ぎたル・スリエ(Le Soulie)の村に休憩所がありました。その入り口には、メルヘンチックな案内板がありました。聖地サンジャック・ド・コンポステルのコンポステルは、“星ふる里”の意味ですので、“星、ホタテ貝、ブーツ”は、巡礼の3要素を表しています。(記事冒頭の写真参照)

  ここから少し先のカルボニー(Carbonies)のと言う標識のある道端には、素焼きの植木鉢を組み合わせて作った農夫の人形が2体立っていました。手前の如雨露を見ると、白い文字で”Espeyrac 1km” (エスペラックまで1km)と書かれていました。なかなか、ユーモラスな演出です。 

 カルボニーに立っていた農夫の人形

   エスぺラックに着くと、ジット・デタップ(Gite d’Etap:巡礼者やハイカー向けの簡易宿泊所兼休憩所)の案内板がありましたが、先ほどカンパニャックで休憩したばかりだったので、そのまま通り過ぎました。

 エスペラックのジットの案内板

  昼過ぎに、中世の面影を残すセネルグ(Senergues)の町に着きました。この町の入り口には、十字架のモニュメントが立っていました。また、村落の一角では、聖母マリアの像を見かけました。

       

  午後になると、雨が降り出しました。14時過ぎにコンクへの道を示す道標がありましたが、コンクに到着するまでには2時間弱ほどかかりました。

   コンクへの道しるべ

  

10日目: コンク Conques から ドカズヴィル Decazville

  この日は、昼前からジャンジャン降りの雨でした。プレイサック(Prayssac)村には、巡礼者向けの無人休憩小屋があったので、そこで昼食にしました。しかし、ここを出てからもずっと激しい雨は続き、ただひたすら足元に溜まった雨水を避けることに夢中で、全く周囲の景色を見る余裕はありませんでした。

  プレイサックの道標がある巡礼道

  その日は、ドカズヴィルのサン・ロッシュ(St Roch)に宿を予約していましたが、宿に到着した時は、ポンチョの内部も靴の中もびしょ濡れでした。

 

11日目:ドカズヴィル Decazvilleから フィジャック Figeac

   サン・ロッシュ(St Roch)の宿を出ると、すぐ傍に巡礼路(Chemin de Compostelle)の道標がありました。

  巡礼路の道標(サン・ロッシュ)

  小雨の中の出発でしたが、間もなくリヴィナック・ル・オ(Livinhac le Haut)の町に着きました。

  リヴィナック・ル・オの市街図

   昼頃には、いったん雨が上がりましたが、その後は降ったり止んだりの不安定な天気でした。そうこうしている間に、サン・ジャン、ミラベル(St Jean Mirabel)の村に入り、少し進むと、十字路に出ました。そこには、フィジャックまで3.7kmと記された道標がありました。

               

サン・ジャン、ミラベルの村                      フィジャックへの道筋を示す道標   

   16時少々過ぎた頃に、フィジャックの街に着きました。今回の私の巡礼は、フィジャックで打ち切りでした。フィジャック市街の中心部には、セレ川(le Cere)が流れていますが、その河畔にはさらに続く巡礼路を示す、赤白のマークを描いた柱が立っていました。

             

 フィジャックの入り口の道標       フィジャックのセレ川河畔にある巡礼路のマーク


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