カザルスホールについて日頃思っていたことを書いて1ヶ月ちょっとしかたたない2月4日、その記事へのアクセス件数が突然一日で200件を超えて驚いていたら(普段のアクセス件数は更新直後の記事でも50件程度)、その訳がすぐにわかった。その前日、カザルスホール閉館のニュースが流れたため、大勢の人達がブログの関連記事を検索した結果だった。 日大があの敷地を有効利用するために高層建築物を建てるとなれば、カザルスホールは来年3月で閉館されたあとは取り壊しとなる運命は逃れようがないだろう。前回のブログで「日本大学はカザルスホールをとても大切にしてくれていることがわかって安心した。」なんて書いたが、こんなにも早くそんな感慨が完全に裏切られ、打ち砕かれることになろうとは… 外部からの存続やパイプオルガン保存を望む声も当然あるだろうが、文化芸術に最も理解を示し、大切に育み、また啓蒙することを社会的使命ともすべき最高学府である大学、しかも芸術学部を持つ日大が下した閉館の決定である。 建物本体やオルガンを移転するならぱ、それはこのホールの譲渡を一旦は引き受け、ご丁寧にもカザルスホールに大学名を冠した日大が自分達のホールとしてやるべきこと。仮に第三者に譲り渡すのであれば、当然それは無償で行われるべきであるだけでなく、大規模な資金援助があって然るべきだ。「カザルスホールお別れコンサート」みたいな大々的なイベントもナンセンスだが、やるならその収益はすべてその資金援助にまわすことだ。 「一大学の発表会の場に貸し公演が付け加えられたようなものだけのカザルスホールでは寂しい。ソフトの面においてもかつてのようなカザルスホールが復活してくれたら…」なんてことも書いたが、最早事態はそんな次元ではなくなってしまった。しかも来年からは学内発表もできなくなってしまうわけで、これはカザルスホールで発表することを楽しみに日大に入学した学生に対して契約違反ではないだろうか。 日大はいっそのことこの貴重な後世へ伝えるべき文化財をオルガンと共に永久に葬り去り、その事実を歴史に刻んではいかがだろうか。それならばせめてこのホールの名前をただの「カザルスホール」に戻してあげて欲しい。そのときは世にも数奇な運命を辿った末にとうとう葬られた「亡きカザルスホール」に花を供えに行こうと思う。 消えた?カザルスホール(2008.12.27) |
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この報道を機に、反対運動や保存運動に発展させるべきなのでしょうか。いずれにしても、日大殿には決断に至った経緯や理由をもう少しクリアに示して欲しいと感じます。
思い起こせば主婦の友からの支援が打ち切られ、自主公演ができなくなった時点でカザルスホールの未来はなかった、ということですね。その後、都内に優れたソフトを持つ室内楽ホールがいくつも生まれたことは、先駆者・開拓者であるカザルスホールがあったからこそ、ということをいつまでも私たちの記憶に留めておきたいですね。