EISENSTADT
大作曲家ハイドンゆかりの町、アイゼンシュタットはハンガリー国境近くオーストリアの東端にあり、ウィーンから電車かバスで1時間半で行ける。ウィーンからこんなに近いのにこれまで一度もアイゼンシュタットを訪れていないのはどういうわけだろう。ハイドン没後200年の記念の年ということもあるし、今回のウィーン訪問の際は必ずアイゼンシュタットへ行こうと決めていた。
アイゼンシュタットへ行く電車はウィーン南駅(Wien Südbahnhof)から出ている。事前にネットの路線案内で調べたら直通ではなく途中ノイジードル・アム・ゼー(Neusiedl am See)で一度乗り換えると出た。
乗り込んだ電車は新しいきれいな車両で、乗り心地もなかなか!
乗り換え駅のノイジードル・アム・ゼーで一旦下車し、アイゼンシュタットへ行く電車の表示を探したがどこにもないしそれらしい電車もない。見るとみんな駅の横に停まっているバスに乗り込んで行く。駅員に尋ねたら「バスに乗れ」とのこと。調べたのとは違うがまあいいか… ところがこのバスでアイゼンシュタットまで行くと思っていたら、しばらく走って辺ぴな駅前で停車、そこで乗客がみんな降りた。「ここがアイゼンシュタット…? じゃないよな…」その駅のホームには古い一両の電車が停まっていた。
「こんどはまた電車に乗れってか…?」運転手に訊くと「そうだ」という。これは路線検索には載ってなかったぞ。線路の工事でもしていてその部分だけ代替輸送でバスを運行していたということだろうか…? とにかく電車でもバスでもホームでも、そういったアナウンスは一切ない。
一両の電車にのんびりガタゴト乗っていたら車窓から平原の向こうに大きな湖が見えた。「あれがノイジードラー湖(Neusiedler See)だな…」なんだか巨大な水溜りのような感じ… あの湖の向こう側はハンガリー、アイゼンシュタットはもうすぐのはずだ。間もなく電車は無事にアイゼンシュタット駅に到着した。
ハイドンゆかりの町、アイゼンシュタットはオーストリアのブルゲンランド州(Burgenland)の州都。それにしては思いっきりのどかな雰囲気。駅前から伸びる一本道、住宅街を10分も歩くとお目当ての旧市街に出た。
旧市街をちょっと歩けばホテルや居酒屋など、どこかしらに「ハイドン」の名がついているものを多く見かけ、さすがハイドンの町だと感じる。
【エスターハージ城】
ハイドンが13年間仕えたエスターハージ家はハンガリーで最も力のあった貴族。その館のひとつがここエスターハージ城だ。旧市街の目抜き通りであるハウプト通り(Hauptstraße)を右へ歩いて行くと広い庭の後方に立派なお城がデンと構えている。ウィーンのシェーンブルン宮殿とかベルヴェデーレ宮殿に比べると控え目だが、シンメトリーな作りとパステル調の色合いが美しいお城だ。
ハイドンの自筆譜や初版譜などの展示も充実していた。これは確か有名な曲だったので撮ったハズなんだが、なんの曲だが忘れてしまった。。。歌のパートが入っているので「天地創造」あたりかな?
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ハイドン関連のコレクションに留まらず、エスターハージ家代々の家宝や当時の市民の生活を伝える衣装や様々な道具なども展示されていて興味深かった。展示されている大小様々の部屋もそれぞれお城の一室だ。窓からはお城の中庭を見下ろせた。
ハイドンの頭蓋骨の模型とデスマスクに思わず見入ってしまった…
どこからかきれいな歌声が聴こえてきた。天使の歌か?その声のする方を探し歩いて行き着いたところがこの見学コースのクライマックススポット、ハイドンホール(Haydnsaal)だった。
丁度ステージで練習していた子供達が中心の合唱隊の歌声がお城の奥の方まで聴こえてきていたのだ。ハイドンのミサ曲だろうか、とても端正な美しさを持つ歌声が、豪奢なホールいっぱいに優しく響き渡っていた。
ハイドンはここでできたてホヤホヤの新作を宮廷楽団やそのメンバーのアンサンブルで試演するとういう恵まれた環境を与えられていたという。ここで演奏された曲は第1シンフォニーに始まり、現在のドイツ国家にもなっている「皇帝カルテット」など数百にも及ぶという。
ハイドンフェスティヴァルをやっている最中で、ハイドンゆかりのこのホールで是非ハイドンを聴いてみたいと思って事前に調べたが、日程が合わずに演奏会は断念した。でもこうした練習風景という形でこのホールの素晴らしい響きを、しかもハイドンのミサ曲で味わうことができたのはラッキー。椅子に座って長々と聴き入ってしまった。
一旦中庭に出て、地下へ通じる階段を下りるとそこは地下通路で結ばれた地下蔵がいくつもあり、大きなワインの樽や並んでいた。
アイゼンシュタットはワインの産地でもあるということで、お城の地下蔵では何世紀にもわたってワインが醸造されていたのだ。ショップではワインも販売していたが、今もここはワインの貯蔵庫として利用されているのかも知れない。
【ベルク教会】
エスターハージ城を出て更にハウプト通りを進むとハイドンが葬られているというベルク教会(Bergkirche)がある。
教会前の広場では仮設ステージや屋台が出ていてここもフェスティバルの雰囲気。教会に入ってみると礼拝堂ではミニコンサートが行なわれていた(モーツァルトの弦楽三重奏のためのディヴェルティメント)。その礼拝堂への入場は無料だが、ハイドンの棺が置かれている礼拝堂手前の小部屋に入るのは有料。
ハイドン教会とも呼ばれているベルク教会の裏手にはヨーゼフ・ハイドン広場(Joseph Haydn-Platz)と名付けられた静かな一角があり、ハイドンの石像が佇んでいた。ここアイゼンシュタットではどこに行ってもこうしてハイドンに出会うことができる。
【ハイドンハウス】
もうひとつアイゼンシュタットで見逃せないハイドンゆかりの場所が、旧市街のはずれにあるベルク教会からまた町中へ戻ったところにあるハイドンハウス(Haydnhaus)だ。
ここハイドンハウスはハイドンが12年間過ごしたという家が再現されていて、中庭や内部の台所、居間なども当時の様子をしのぶことができる。各部屋は博物館として様々な展示があり、ハイドン時代のオリジナルの家具やハイドンも愛用したヴァルター制作のピアノ、肖像画や自筆譜など重要な資料を多数見ることができた。
【ハイドンの町】
ザルツブルクのモーツァルトほどではないにしても、アイゼンシュタットも町をあげてハイドンを「自分達の町の作曲家」として大切にしている姿をいろいろなところで感じた。ザルツブルクはモーツァルトにとって決して居心地の良い町ではなかったことを考えれば、ハイドンとアイゼンシュタットはより緊密に結びついているのかも知れない。
アイゼンシュタットまで来たら、お城や博物館を見るだけでなく、ハイドンの残した匂いを感じ取り、ハイドンを大切にしているこの町の空気を感じ取りながらハイドンの懐の中に入った気持ちで町を歩いてみるのがいい。有名な世界遺産の古都とはまたちがった町の良さを感じることができると思う。
帰りは大聖堂(Domkirche)前から出ていたウィーン南駅直行のバスでウィーンに戻った。
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大作曲家ハイドンゆかりの町、アイゼンシュタットはハンガリー国境近くオーストリアの東端にあり、ウィーンから電車かバスで1時間半で行ける。ウィーンからこんなに近いのにこれまで一度もアイゼンシュタットを訪れていないのはどういうわけだろう。ハイドン没後200年の記念の年ということもあるし、今回のウィーン訪問の際は必ずアイゼンシュタットへ行こうと決めていた。
アイゼンシュタットへ行く電車はウィーン南駅(Wien Südbahnhof)から出ている。事前にネットの路線案内で調べたら直通ではなく途中ノイジードル・アム・ゼー(Neusiedl am See)で一度乗り換えると出た。
乗り込んだ電車は新しいきれいな車両で、乗り心地もなかなか!
乗り換え駅のノイジードル・アム・ゼーで一旦下車し、アイゼンシュタットへ行く電車の表示を探したがどこにもないしそれらしい電車もない。見るとみんな駅の横に停まっているバスに乗り込んで行く。駅員に尋ねたら「バスに乗れ」とのこと。調べたのとは違うがまあいいか… ところがこのバスでアイゼンシュタットまで行くと思っていたら、しばらく走って辺ぴな駅前で停車、そこで乗客がみんな降りた。「ここがアイゼンシュタット…? じゃないよな…」その駅のホームには古い一両の電車が停まっていた。
「こんどはまた電車に乗れってか…?」運転手に訊くと「そうだ」という。これは路線検索には載ってなかったぞ。線路の工事でもしていてその部分だけ代替輸送でバスを運行していたということだろうか…? とにかく電車でもバスでもホームでも、そういったアナウンスは一切ない。
一両の電車にのんびりガタゴト乗っていたら車窓から平原の向こうに大きな湖が見えた。「あれがノイジードラー湖(Neusiedler See)だな…」なんだか巨大な水溜りのような感じ… あの湖の向こう側はハンガリー、アイゼンシュタットはもうすぐのはずだ。間もなく電車は無事にアイゼンシュタット駅に到着した。
ハイドンゆかりの町、アイゼンシュタットはオーストリアのブルゲンランド州(Burgenland)の州都。それにしては思いっきりのどかな雰囲気。駅前から伸びる一本道、住宅街を10分も歩くとお目当ての旧市街に出た。
旧市街をちょっと歩けばホテルや居酒屋など、どこかしらに「ハイドン」の名がついているものを多く見かけ、さすがハイドンの町だと感じる。
町ではお祭りをやっていて、食べ物の屋台、移動遊園地の乗り物、仮装姿の人達などで賑わっていた。 お祭りもいいけどやっぱりここに来た目当てはハイドン!まず目指すはハイドンゆかりの宮殿であるエスターハージ城(Schloss Esterházy)だ。 |
【エスターハージ城】
ハイドンが13年間仕えたエスターハージ家はハンガリーで最も力のあった貴族。その館のひとつがここエスターハージ城だ。旧市街の目抜き通りであるハウプト通り(Hauptstraße)を右へ歩いて行くと広い庭の後方に立派なお城がデンと構えている。ウィーンのシェーンブルン宮殿とかベルヴェデーレ宮殿に比べると控え目だが、シンメトリーな作りとパステル調の色合いが美しいお城だ。
宮殿正面入口へ向かう道の脇に”Phänomen Haydn”(ハイドン現象/或いは奇蹟のハイドン?)と書かれた大きな看板があった。これはハイドン没後200年を記念して町のあちこちで行なわれているイベントの総称。ここエスターハージ城でもハイドンの特別展をやっていた。 |
さっそく城内へ入る。入口で音声ガイドを渡されて順番に見学して行った。見慣れたハイドンの肖像画があったので「あっ、これ中学校の音楽室に貼ってあったやつじゃあ…」と思って写真を撮ったが、この後何枚も肖像画があって、どれが記憶にある肖像画だかわからなくなった。 さすが富豪貴族のお抱え楽長、モーツァルトなんかとは違って肖像画の規模が違うな… |
ハイドンの自筆譜や初版譜などの展示も充実していた。これは確か有名な曲だったので撮ったハズなんだが、なんの曲だが忘れてしまった。。。歌のパートが入っているので「天地創造」あたりかな?
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ハイドン関連のコレクションに留まらず、エスターハージ家代々の家宝や当時の市民の生活を伝える衣装や様々な道具なども展示されていて興味深かった。展示されている大小様々の部屋もそれぞれお城の一室だ。窓からはお城の中庭を見下ろせた。
ハイドンの頭蓋骨の模型とデスマスクに思わず見入ってしまった…
どこからかきれいな歌声が聴こえてきた。天使の歌か?その声のする方を探し歩いて行き着いたところがこの見学コースのクライマックススポット、ハイドンホール(Haydnsaal)だった。
丁度ステージで練習していた子供達が中心の合唱隊の歌声がお城の奥の方まで聴こえてきていたのだ。ハイドンのミサ曲だろうか、とても端正な美しさを持つ歌声が、豪奢なホールいっぱいに優しく響き渡っていた。
ハイドンはここでできたてホヤホヤの新作を宮廷楽団やそのメンバーのアンサンブルで試演するとういう恵まれた環境を与えられていたという。ここで演奏された曲は第1シンフォニーに始まり、現在のドイツ国家にもなっている「皇帝カルテット」など数百にも及ぶという。
ハイドンフェスティヴァルをやっている最中で、ハイドンゆかりのこのホールで是非ハイドンを聴いてみたいと思って事前に調べたが、日程が合わずに演奏会は断念した。でもこうした練習風景という形でこのホールの素晴らしい響きを、しかもハイドンのミサ曲で味わうことができたのはラッキー。椅子に座って長々と聴き入ってしまった。
一旦中庭に出て、地下へ通じる階段を下りるとそこは地下通路で結ばれた地下蔵がいくつもあり、大きなワインの樽や並んでいた。
アイゼンシュタットはワインの産地でもあるということで、お城の地下蔵では何世紀にもわたってワインが醸造されていたのだ。ショップではワインも販売していたが、今もここはワインの貯蔵庫として利用されているのかも知れない。
【ベルク教会】
エスターハージ城を出て更にハウプト通りを進むとハイドンが葬られているというベルク教会(Bergkirche)がある。
教会前の広場では仮設ステージや屋台が出ていてここもフェスティバルの雰囲気。教会に入ってみると礼拝堂ではミニコンサートが行なわれていた(モーツァルトの弦楽三重奏のためのディヴェルティメント)。その礼拝堂への入場は無料だが、ハイドンの棺が置かれている礼拝堂手前の小部屋に入るのは有料。
1ユーロを払うと穏やかそうな人がその部屋へ通じる大きな扉を開けてくれた。ハイドンの棺はその部屋の奥に安置されていた。 丸天井から差し込む光がちょうど棺を照らし、神々しい雰囲気をかもし出していた。棺の前には柵があって棺に近づくことはできないが、柵越しに眺めているだけでハイドンの息吹が伝わってくるようだ。 静かな部屋で光差すハイドンの棺の前に立っていると、ハイドンと心を交わしているような親密感を感じる。偉大な作曲家、ヨーゼフ・ハイドンに敬意を払って頭を垂れた。 |
ハイドン教会とも呼ばれているベルク教会の裏手にはヨーゼフ・ハイドン広場(Joseph Haydn-Platz)と名付けられた静かな一角があり、ハイドンの石像が佇んでいた。ここアイゼンシュタットではどこに行ってもこうしてハイドンに出会うことができる。
【ハイドンハウス】
もうひとつアイゼンシュタットで見逃せないハイドンゆかりの場所が、旧市街のはずれにあるベルク教会からまた町中へ戻ったところにあるハイドンハウス(Haydnhaus)だ。
このハイドンさんの立て看板は町のあちこちにのハイドンゆかりの場所の前に立っていて、地図を見ながらこれらを順に見学できるようになっている。これは恐らくハイドンイヤーの今年だけの企画だろう。 |
ここハイドンハウスはハイドンが12年間過ごしたという家が再現されていて、中庭や内部の台所、居間なども当時の様子をしのぶことができる。各部屋は博物館として様々な展示があり、ハイドン時代のオリジナルの家具やハイドンも愛用したヴァルター制作のピアノ、肖像画や自筆譜など重要な資料を多数見ることができた。
【ハイドンの町】
ザルツブルクのモーツァルトほどではないにしても、アイゼンシュタットも町をあげてハイドンを「自分達の町の作曲家」として大切にしている姿をいろいろなところで感じた。ザルツブルクはモーツァルトにとって決して居心地の良い町ではなかったことを考えれば、ハイドンとアイゼンシュタットはより緊密に結びついているのかも知れない。
ハイドンハウスの裏手は旧市街の城壁が残っていて、その先は広大な森林公園が広がっていた。そこをちょっと散歩したあと町中にもどって、路地なども含め旧市街の殆どの道は歩き尽くした。 ハイドンの時代から変わっていないような古い街並みもところどころ残っていた。 |
アイゼンシュタットまで来たら、お城や博物館を見るだけでなく、ハイドンの残した匂いを感じ取り、ハイドンを大切にしているこの町の空気を感じ取りながらハイドンの懐の中に入った気持ちで町を歩いてみるのがいい。有名な世界遺産の古都とはまたちがった町の良さを感じることができると思う。
帰りは大聖堂(Domkirche)前から出ていたウィーン南駅直行のバスでウィーンに戻った。
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