2023年9月にウィーンとベルリンを中心に、演奏会や作曲家ゆかりの記念館を訪ねたレポートです。
SCHUBERT GEBURTSHAUS シューベルトの生家
2023年 9月10日(日)
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ウィーンにゆかりの大作曲家は大勢いますが、生まれも育ちもウィーンという作曲家はそう多くありません。シューベルトはウィーン生まれの作曲家で音楽史に名を刻まれることになった最も偉大な作曲家でしょう。そのシューベルトの生家と最期の家がウィーン市内に残っていて、どちらもミュージアムとして公開されています。このうち、この日開館している「生家」を訪れました。
シューベルトの生家"Schubert Geburtshaus"は、ウィーンの中心の1区の北、9区のヌスドルファー通り沿いにあります。そこそこ大きめの道に出ると、例の「史跡の旗」が遠くに目に入ってきます。この辺りは、当時は住人3000人ほどのウィーン近郊の小さな地区でした。
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入口の扉をくぐると中庭が広がっています。
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シューベルトが生まれた1800年頃はこの建物全体で16世帯、70人が暮らしていました。水は中庭の共同の井戸から汲んでいました。
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フランツ・シューベルトは1797年1月31日に、炉のあるこの台所で生まれたそうです。
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シューベルト一家が住んでいたスペースは上の写真の2階の台所と居間が一部屋で、展示に使われている部屋には別の世帯が入っていました。それでも、シューベルト一家の居住スペースは建物のなかでも最も広かったそうです。
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シューベルトと云えば眼鏡。これはシューベルトが付けていたもの。
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館内に2か所、シューベルトの音楽を聴けるオーディオ装置がありました。シューベルトの有名な肖像画やシューベルトが弾いていたというギターを眺めながら、ゆっくりシューベルトの名曲に浸りました。聴いたのは4曲。
♪ 菩提樹(ハンス・ホッターのバリトンで)
♪ 楽に寄す(フィッシャー=ディースカウのバリトンで)
♪ こびと(先ごろ亡くなったクリスタ・ルートヴィヒのソプラノで)
♪ ミサ曲ト長調~グローリア(クラウディオ・アバドの指揮で)
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このハンマーフリューゲルは、シューベルトの長兄のイグナーツが所有していたもの。イグナーツはフランツの12歳年上で、父親とともに小さなフランツに音楽の手ほどきをしていました。このピアノもその時に使われたのでしょうか。シューベルトは14人のきょうだいの12番目として生まれましたが、成人したのはイグナーツを含めて4人だけで、フランツも31歳の若さで世を去ることになりました。
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シューベルトが使っていたというギター。ギターはシューベルトの時代に人気の楽器だったそうです。学生時代、ペーター・シュライヤーの歌とコンラート・ラゴスニックのギターで「美しき水車屋の娘」を東京文化会館で聴いて深い感銘を受けましたが、シューベルトがギターのために書いたオリジナルの曲はあったかな・・・?
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シューベルトの生家は、大規模な社交界よりも友人に囲まれたアットホームな場での音楽活動が中心だったシューベルトの人生が始まった場所というイメージにぴったりの質素な空間で、そこでシューベルトの持ち物や数々の肖像画、譜面などを眺め、音楽に耳を傾けていると、シューベルトがすぐ近くではにかみながら微笑んでいるような気がしました。
ペーター・シュライアー&ワルター・オルベルツの「美しき水車屋の娘」(1982 東京文化会館)
(順次更新予定)ウィーン&ベルリン音楽の旅(2023)
ウィーンとベルリンで訪れた演奏会&オペラ(2009)
Schubert Geburtshaus公式サイト(ドイツ語)
Schubert Geburtshaus公式サイト(英語)
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