菊地裕介(Pf)
東京オペラシティ リサイタルシリーズ B→C ビートゥーシー[128]
東京オペラシティリサイタルホール
【曲目】
1. バッハ/「フーガの技法」BWV1080~3つの主題によるフーガ(第14コントラプンクトゥス)
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2.リスト/B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ
3.バッハ/半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903
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4.リゲティ/ピアノのための練習曲集第2巻~「悪魔の階段」(1993)
5.ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110
6.マタロン/ドス・フォルマス・デル・ティエンポ(2000)
7.三善 晃/ピアノ・ソナタ(1958)
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【アンコール】
1.ベートーヴェン/ワルトシュタインソナタ~第1楽章
2.ショパン/英雄ポロネーズ
菊地裕介の名前に聞き覚えはあるが、どんなピアニストかは全然知らない。このオペラシティのB→Cのチケットを買ったのは、隙も妥協も「余興」もないフログラミングが素晴らしく、このピアニストの並々ならぬ意欲と本気度と自信が感じられたから。プログラムのうち唯一、マタロンという作曲家の曲だけはどんな音楽か想像できなかったが、他の曲目をみれば、未知の曲への期待が高まる。
最初の「フーガの技法」は、そんな菊地さんの本気の選曲にふさわしいオープニングとなった。ポリフォニーの世界を完全に手中に収め、充実した響きの世界に、各声部のフーガのテーマが明かりに照らされたように存在感を示し、全体が見事に統制されていた。ただならぬほどの集中力と明確な方向性が絶筆の箇所でいきなり断ち切られるショック… そして直前まで鳴っていたBACHのテーマが、リストの曲に引き継がれる心憎い演出。
このアイディア、考えつく人は他にもいるかも知れないが、実践したのを聴くのは初めて。アイディアを出すのは容易でも、プログラムとして繋げるのには困難があるのだろうか。このリストの演奏は、どこかにバッハの呪縛から抜けきれないようなある種の窮屈さを感じたのは、バッハの名前を曲中に入れるという大それたアイディアを敢行したリストに対するバッハの呪縛か、或いはバッハの演奏者への呪縛だろうか…
しかしまた次のバッハで演奏は息を吹き返す。単音がめまぐるしく動き回る幻想曲でも、くっきりとしたテーマを追いかけ合う追走曲(フーガ)でも、厳しさのなかに溢れるファンタジーが聴く者のイマジネーションを広げる。「フーガの技法」でも感じた明確な方向性が、更に力強く多様に展開し、堂々と曲を締めた。
この方向性が、次のリゲティでは執拗なほどの這上がる方向性となって表れる。執念で這いのぼっては落ち、這いのぼっては落ちを繰り返しながら、気がつけば天界にまで達してしまった自分に驚いているようなリアリティ!
後半の最初はベートーヴェン。自分の中でのこの曲の理想は、彼岸的な美しさが際立った演奏だが、菊地の演奏はもっとリアルなものだった。修行僧のストイックな荒行か、ベートーヴェン自身の赤裸々な告白か。ペダルの使用を大幅に抑えたセッコな響きがそんな禁欲的な雰囲気を醸し出しただけでなく、音を刹那的に捉え、その場に最もふさわしい響きや表情をパッとイメージして作り上げて行く、瞬間の美学めいたものがある。
その瞬間の美学が、次のマタロンの作品でも活きていた。躍動感溢れる前半部分からは究極のリアリズムが伝わり、高音が風のように吹き抜ける後半はデリケートな美しさを放出していた。
デリケートさと言えば、プログラム最後の三喜晃のソナタの第1楽章が、今回のリサイタルで最もデリケートでセンシティブな魅力を湛えていた。三喜晃のソナタは、無調音楽にありがちな無機質さや深刻さではない、感性のひだに優しく入り込んでくる親密さがある。菊地さんの筆致もデリケートで、淀みない呼吸が音楽を息づかせる。
瞑想的な第2楽章を経て、第3楽章では三善晃らしい闘争的な情念もかいま見られたが、響きの美しさへの追求も感じる音楽で、「若き三善晃の意欲作」とプログラムノートで紹介されていたこの作品は、ソナタとしての完成度も高いし、多くのインスピレーションを持った素晴らしい作品だと感じた。そして、演奏した菊地裕介は、そのインスピレーションを繊細でかつ明快なタッチで生き生きと描き出していた。
このように、演奏した曲が前の曲から次の曲へと、有機的な関連性を持って感じられたのは、偶然ではなく、やはり菊地の綿密なプログラミングと、演奏表現の成果だろう。アンコールのベートーヴェンでも手綱を緩めることなく、スピード感と、やはり刹那的な美しさを鮮明に印象づけた。
だがしかし!そんな素晴らしいリサイタルの流れを断ち切るやつがいた。またしてもまたしてもまたしても・・・・携帯の着信音だ!事件が起きたのは三善晃のソナタのセンシティヴな第1楽章がまさに終わろうとしていた時だった。先月の演奏会では、とうとう声を上げた僕だったが、今回は最後の曲だったため怒鳴るタイミングを逸した。
ホールはあらゆる手段を講じてこうした事故を未然に防ぐ対策を取ってほしいし、それでもケータイを鳴らしたやつは、その場で縛り上げて、場外に放り出されるべきである!
声を上げることは自分自身大きなストレスだが、これからも機会があれば、こういう超迷惑野郎に対しては声を上げ、場合によっては拳も上げる決意を新たにした!
東京オペラシティ リサイタルシリーズ B→C ビートゥーシー[128]
東京オペラシティリサイタルホール
【曲目】
1. バッハ/「フーガの技法」BWV1080~3つの主題によるフーガ(第14コントラプンクトゥス)
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2.リスト/B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ
3.バッハ/半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903
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4.リゲティ/ピアノのための練習曲集第2巻~「悪魔の階段」(1993)
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5.ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110
6.マタロン/ドス・フォルマス・デル・ティエンポ(2000)
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7.三善 晃/ピアノ・ソナタ(1958)
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【アンコール】
1.ベートーヴェン/ワルトシュタインソナタ~第1楽章
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2.ショパン/英雄ポロネーズ
菊地裕介の名前に聞き覚えはあるが、どんなピアニストかは全然知らない。このオペラシティのB→Cのチケットを買ったのは、隙も妥協も「余興」もないフログラミングが素晴らしく、このピアニストの並々ならぬ意欲と本気度と自信が感じられたから。プログラムのうち唯一、マタロンという作曲家の曲だけはどんな音楽か想像できなかったが、他の曲目をみれば、未知の曲への期待が高まる。
最初の「フーガの技法」は、そんな菊地さんの本気の選曲にふさわしいオープニングとなった。ポリフォニーの世界を完全に手中に収め、充実した響きの世界に、各声部のフーガのテーマが明かりに照らされたように存在感を示し、全体が見事に統制されていた。ただならぬほどの集中力と明確な方向性が絶筆の箇所でいきなり断ち切られるショック… そして直前まで鳴っていたBACHのテーマが、リストの曲に引き継がれる心憎い演出。
このアイディア、考えつく人は他にもいるかも知れないが、実践したのを聴くのは初めて。アイディアを出すのは容易でも、プログラムとして繋げるのには困難があるのだろうか。このリストの演奏は、どこかにバッハの呪縛から抜けきれないようなある種の窮屈さを感じたのは、バッハの名前を曲中に入れるという大それたアイディアを敢行したリストに対するバッハの呪縛か、或いはバッハの演奏者への呪縛だろうか…
しかしまた次のバッハで演奏は息を吹き返す。単音がめまぐるしく動き回る幻想曲でも、くっきりとしたテーマを追いかけ合う追走曲(フーガ)でも、厳しさのなかに溢れるファンタジーが聴く者のイマジネーションを広げる。「フーガの技法」でも感じた明確な方向性が、更に力強く多様に展開し、堂々と曲を締めた。
この方向性が、次のリゲティでは執拗なほどの這上がる方向性となって表れる。執念で這いのぼっては落ち、這いのぼっては落ちを繰り返しながら、気がつけば天界にまで達してしまった自分に驚いているようなリアリティ!
後半の最初はベートーヴェン。自分の中でのこの曲の理想は、彼岸的な美しさが際立った演奏だが、菊地の演奏はもっとリアルなものだった。修行僧のストイックな荒行か、ベートーヴェン自身の赤裸々な告白か。ペダルの使用を大幅に抑えたセッコな響きがそんな禁欲的な雰囲気を醸し出しただけでなく、音を刹那的に捉え、その場に最もふさわしい響きや表情をパッとイメージして作り上げて行く、瞬間の美学めいたものがある。
その瞬間の美学が、次のマタロンの作品でも活きていた。躍動感溢れる前半部分からは究極のリアリズムが伝わり、高音が風のように吹き抜ける後半はデリケートな美しさを放出していた。
デリケートさと言えば、プログラム最後の三喜晃のソナタの第1楽章が、今回のリサイタルで最もデリケートでセンシティブな魅力を湛えていた。三喜晃のソナタは、無調音楽にありがちな無機質さや深刻さではない、感性のひだに優しく入り込んでくる親密さがある。菊地さんの筆致もデリケートで、淀みない呼吸が音楽を息づかせる。
瞑想的な第2楽章を経て、第3楽章では三善晃らしい闘争的な情念もかいま見られたが、響きの美しさへの追求も感じる音楽で、「若き三善晃の意欲作」とプログラムノートで紹介されていたこの作品は、ソナタとしての完成度も高いし、多くのインスピレーションを持った素晴らしい作品だと感じた。そして、演奏した菊地裕介は、そのインスピレーションを繊細でかつ明快なタッチで生き生きと描き出していた。
このように、演奏した曲が前の曲から次の曲へと、有機的な関連性を持って感じられたのは、偶然ではなく、やはり菊地の綿密なプログラミングと、演奏表現の成果だろう。アンコールのベートーヴェンでも手綱を緩めることなく、スピード感と、やはり刹那的な美しさを鮮明に印象づけた。
だがしかし!そんな素晴らしいリサイタルの流れを断ち切るやつがいた。またしてもまたしてもまたしても・・・・携帯の着信音だ!事件が起きたのは三善晃のソナタのセンシティヴな第1楽章がまさに終わろうとしていた時だった。先月の演奏会では、とうとう声を上げた僕だったが、今回は最後の曲だったため怒鳴るタイミングを逸した。
ホールはあらゆる手段を講じてこうした事故を未然に防ぐ対策を取ってほしいし、それでもケータイを鳴らしたやつは、その場で縛り上げて、場外に放り出されるべきである!
声を上げることは自分自身大きなストレスだが、これからも機会があれば、こういう超迷惑野郎に対しては声を上げ、場合によっては拳も上げる決意を新たにした!